真実を告げられることほど残酷なことはない
閲覧感謝です
「いらっしゃい、私に何か用があると聞いたけれど…」
紫悠重として演技する遥稀に案内され、俺は数回入ったことのある家をお邪魔しましてと言わんばかりに辿々しく進む。
「えぇ、少し貴方の奥さんについて気になることがありまして」
「…失礼ですが、貴方の名前は? 妻から友人とまでは聞きましたが具体的にどういうことをしている人なのでしょうか?」
紫悠の親父である筈の中年の男が懐疑心を隠さずに俺の正体を問う。
「あぁ、そう仰るのも無理はありません。…失礼、実は私こういったことを生業にしている者でして…」
懐から名刺入れを取り出し、その中の一枚を紫悠の親父に渡す。
「…記者…ですか、私の聞いたことがない会社ですね」
今回、俺は記者ということにしている…無論嘘だ。
適当にそれらしい企業名を入れ、如何にもそれらしい態度をし続けている、名刺もちゃんと自作したさ。
「あはは…私共の様な業界木っ端を知らなくても当然ですよね…。あくまでこの地域に根付いた…そうですね、地元特集の様な物ですから」
ぽりぽりと悲壮感を出しながら頭を掻き、少しだけ自虐を含めた言葉を放つ。
自虐というのは見知った相手ならばネタとして扱えるが対して知らん奴に対して言うと引かれる。
それも相手の失言から自虐に繋げれば相手の気まずさと言ったら…そりゃもう酷い。
「い、いえ…! 別にそういったわけでは…」
罪悪感を一度でも抱かせたら俺の勝ちだ、これで俺がいくら怪しかろうとも安易に俺に指摘出来なくなる。
後々バレるだろうがそれは問題ない。
今この一瞬だけでも誤魔化せればそれでいい、どうせ後でバレるしな。
「いえ、事実ですので…」
正直相手がそれでも指摘を続けるタイプなら困り果てたが…事前情報でそれはないと絞っていた。
どうやらこいつは元来誰にでも優しい性格らしいからな…そこを逆手に取らせて貰った。
「…その、すみません…話を戻しますね?」
「は、はい…どうぞ」
わざと作った気まずい空気の中、俺から切り込む。
この空気は今のうちに使っておかないと…後になったら使えなくなるからな。
「実は本日私がこのお家にお邪魔させて貰ったのには理由がありまして…今、我が社ではこんな企画が立ち上っていまして…その企画の為に奥さんに取材をさせて貰いたいと想ったんです」
用意した鞄から一つの資料を取り出して紫悠の父に渡す。
紫悠の父はそれをおずおずと受け取ると…。
「町の有名人の紹介コーナー…?」
そんな疑問に満ちた声を上げる。
「えぇ…! この町はこれといって田舎ではありませんが都会でもありません。これといった名産、有名人もなく、交通の便がよいという他にとりわけ人が寄る理由もない場所です…つまり、この町と長年連れ添う人が段々と減っているのです! そこで町おこしの一環としてこの町のそういった面を我が社で見せていけば町に人は来る! そこで我が社の雑誌を買って貰うという好循環を生み出せると思ったのです! ですから是非奥さんには御協力をお願いしたい…!」
熱意に満ちた様子で俺は机の上に前のめりになりながら遥稀の親父にぐいぐいと迫る。
遥稀の親父は困った顔で俺を見ている、まるで何を言っているのかわからないとでも言いたげな漢字だった。
「一度奥さんにご相談させて頂いたのですが、そういうのは貴方を通して欲しいと言われたので一度相談させて貰いました! …どうかお願いできないでしょうか?」
わざと捲し立てて急かしているからか遥稀の親父は困り果てている。
正直こんな馬鹿な話に乗らないだろうということはわかっている。むしろそういう反応をされたら本当に困る。
いきなり知らん記者から取材を受けさせろと言われて二つ返事で受ける奴は馬鹿だ、そして遥稀の親父は馬鹿ではない。
「あの…申し訳ありませんが何を言っているのか私にはさっぱりで…」
当然そんな疑問を口にしてくれる。
「あの、私の妻は至って普通の主婦です。貴方の言う有名人…にはなり得ないのではないでしょうか?」
おっと、その点にももう触れてくれたか…。
ここで口を挟みたいところだが…どうやらまだ喋り足りていないらしい、次々と言葉を繋げる。
「私は妻と長い間共に過ごしていたからわかります。妻は確かに美人で気立てがいい、理想的な人であるということはわかり切っています…ですが、それはあくまで主婦の範疇、それ以上でもそれ以下もなく普通の人です…そんな妻の何を取材しようとしているのでしょうか?」
「…はい! それでは説明させていただきます」
へらへらとした笑みを浮かべながら、内心で大いに笑う。こいつは今一番言って欲しいことを言ってくれた。
「確かに貴方の言う通り、紫悠重さんにはとりわけ有名人になる噂はありませんでした。普通の趣味、普通の妻…そして、普通の…でしかない」
「はぁ…」
一部の言葉を敢えて聞き取りづらく言いながら相手の言葉に同意をする。
その間にまた鞄の中から資料を取り出した。
「ですけど、一つだけ普通の主婦とは異なる部分があります…きっと全世界でただ一人、奥様だけの特徴が…」
相手の向きに資料を置き、それをスッと渡す。
遥稀の親父はそれを怪訝そうな顔で受け取ると…。
「何せ、既に死んでいる人間がこうやって今も生きているんだ、そんな不思議な存在はここにしかいないでしょうよ」
「───は?」
一気に話を切り込む。
俺が渡した資料には《紫悠重》という存在の死の証拠がありありと書き記されていた。
当時の事故…の新聞、他には地方のニュース番組を切り取った写真など、集められる限りの証拠がそこにある。調べるのが結構大変だった。
「ここにいる奥さんはいったい誰なんですかねぇ…表向きには紫悠重という人物は死んでいる筈なんですよ、本来ならこんなふうに当たり前に存在していい人物じゃあない」
「………」
紫悠の親父は目に見えて動揺している。
食い入る様に、血走った目をしながら俺が渡した資料を目に焼き付けている。
「こ、こんなのは…」
「デタラメだって? そう思うのは仕方ありませんよねぇ…」
先回りをして相手の言葉を潰す。
今は俺のターンなんでな、ちょっと黙ってて貰うとしよう。
「私もそう思ってちょっと調べてみました。…死亡届というのはご存知ですか? 文字通り故人が故人であるということの証明書なのですがね? それがあったのですよ。…あぁ、そこの資料にもありますよね? よく見てください」
その点もぬかりなく…どうあっても言い逃れが出来ないように証拠を集め切っている。
「もしかしてここにいる奥さんはドッペルゲンガーか何かなのでしょうか? それとも実体化した幽霊? もしかしたらただのそっくりさんという可能性もありますね」
俺はずっとへらへらとしている、それに対して紫悠の親父は先程までの不信感はどこに行ったのか…その表情は無に染まっていた。
「まぁ私としてはどんな可能性でもいいです。一番重要なのはここにいる奥さんがネタになるということ…そういうわけで是非取材の許可を…」
「馬鹿げている!!!」
バンッッ!!! と机を壊すと思える程の衝撃が俺の方まで伝って来た、どうやら紫悠の親父が机を叩いたらしい。
「こんなのはデマカセだ私の妻は生きているこんなものを信じるか巫山戯るな巫山戯るな巫山戯るな巫山戯るナァァァァァァアアアアア!!!!!」
頭を掻きむしり、更に強い力で机を叩き続けている。理知的な姿は霧散し、矢継ぎ早に言葉を捲し立てる。
あまりの豹変っぷりに後ろにいる遥稀の口からひっ…と息を呑む音が聞こえた。
「おやおや、どうしました? 私は嘘は言っておりません。貴方の妻が死んだのは事実、どれだけ貴方が否定してもそれを変わりませんよ?」
まるで動かない筈のナイフが暴れているみたいだ、ちょっとでも近付けば誰彼構わず傷付けると思わんばかりの雰囲気をしている。
「黙れッッ!」
なので、当然排除すべき存在である俺に対して害を与えて来る。
びゅ…ッ、と風切り音を鳴らしながら拳が俺の顔面へと迫り来る。
「いきなりどうしたのですか? 急にそんな声を荒げて」
俺はそれでも変わらずへらへらと笑い、迫り来る拳を受け止める。
「力で排除するなんて野蛮ですよ? ほら、もう少し平常心を保って下さい。今まで出来ていたんですからそれぐらい出来るでしょう?」
「五月蝿い!五月蝿い!!」
取りつく島もないとはこのことだ、まるで会話が通じない。
先程まで見ていた姿がまるで幻の様だ。
優しげな表情も、落ち着いた声も消え去り、半狂乱になりながら俺に殴りかかってくる。
現実から目を背ける様に、見たくないものを見ない様に…ただ暴れ回っている。
「──ッッ!! そもそも! お前は誰だ!」
狂った回しながら遥稀の親父は俺の正体を問うてくる。
「先程申し上げた通り、単なる記者で、貴方の奥さんの友人ですが?」
「嘘を吐くな! お前みたいな奴が……妻の友人なものか!!」
頭に血が上りすぎているのだろう、紫悠の親父はとうとう拳だけではなく凶器を持ち出してくる。
「ははは、嘘ではありませんよ。私は正真正銘貴方が妻だと思っている存在の友人です。それは確かですよ?」
台所の近くに収納してあった包丁、遥稀の親父はそれを俺に差し向けながら暗い瞳を俺に向ける。
「お前は誰なんだ…ッ!」
俺の言葉をまるで信じていないとでも言う様に…敢えて俺の言葉には何も触れずにそんな問いをして来た。
…さぁ、場は温まった。
どんな理由であれ、目の前にいる遥稀の親父は俺を見ている。
殺意による認識の強度は強い、これならあいつは俺の存在を無視出来ない。
敵意を煽れば無関心ではなくなる、無関心でなければ言葉は伝わる…逆に嫌な奴の言葉程脳裏によく届く。確固たる証拠を見せさえすればな。
そして、俺の手元にはその動く証拠がある…後は伝えるだけだ。
先程まで茶番を繰り広げたのもこれの為、自分が記者なーんてホラを吹くのも疲れて来たぜ。
「───俺ぁ、本当にこいつの友人だぜ? アンタが忘れちまっている存在…その友人だ」
口調を解きながら席を立つ。
差し向けられた包丁に相対しながら俺は不敵な笑みを浮かべた。
「初めまして、あんまり関わることはないと思うが一応自己紹介をしておこう」
無防備にゆっくりと…俺は少しずつ遥稀の親父の近くに寄る。
手に持った包丁の切先には揺らぎがない、俺が少しでも巫山戯たことを言えばすぐさま突き刺そうとするだろう…そう思える程にその殺意は俺の肌に染み付くかの様に発せられている。
「俺の名前は名取愛人、実は記者っていうのは嘘で本当はただの高校生」
ある程度の距離を保ち俺は動きを止める。
相手が二歩動けば俺のどてっ腹に包丁を突き刺さる…その程度の距離だ。
「そこにいる…忘れ去られた人間の友人だ」
後ろにいる遥稀に目線を向けながら、俺はそう言うのであった。