知って欲しい
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「………」
「…………」
寒空の中バイクを走らせる。
串を刺された口内がとても痛い…が、それよりもあの串があいつの食べ掛けだったことの方が気掛かりだ。唾液とかついてそうで気持ち悪い。気分的に口内を全部アルコール消毒したいところだ。
「…………」
「………」
後ろに乗っている紫悠と全く会話がない。…そりゃそうだよなぁ。
紫悠にとっちゃ俺は無駄なトラウマを掘り起こした存在…そんな奴とは口を聞きたくないよなぁ…。
「………」
「………」
だがここで謝るのは違う気がする。
そもそも運転している最中で謝るのは一種の脅し…許さなかったらお前だけ放り捨てるぞという意味に取られかねない。もし謝るのならちゃんと逃げ場がある場所ですべきだ。
「名取君…お口、大丈夫?」
「ん?」
もしかしたら嫌われたのではないか…と考えていたのだが、急にそんなことを言われて拍子抜けしてしまう。
普通に責められると思っていたからな。『なんで無理矢理自分を連れ出したんだ』…とか、そんなことを第一声に言われると思っていた。
「喋りづらいが別に見た目ほど痛くはねぇよ。気にしないで大丈夫だ」
バイクで走行中、それにヘルメットを被っているせいでうまく伝わったかわからない。向こうは俺の背に話し掛けているが、俺はそうじゃないからな。
「……僕のこと、気持ち悪い?」
「あ? なんで?」
突然意味不明なことを言ってきたので思わず聞き返してしまう。
「…だって、僕…男なのに…男の人と……」
「ふーむ…」
こりゃバイクの走行中に話す話題じゃないなと思い、ゆっくりとスピードを落とす。
そのまま適当に路駐し、サイドスタンドを立ててから紫悠に降りる様に促した。
「……別によ、気にする必要はないんだよ」
「…どういうこと?」
昔何をしたとか、その結果何が起きたかなんて俺には関係ない。
「俺は過去のお前を知らない、お前の生きてきた境遇なんて知らない…だからお前がこれまで受けてきた辛さや苦しみがわかるなんて絶対に言わない」
勝手にわかった様にされるのが一番ウザいもんだ。…そいつの受けてきたものはそいつだけのもの。決して他人が理解出来るものじゃない。
「俺が知っているのは今のお前だけだ。…だったらそれだけでいいんじゃねーの? …無理して詮索する必要なんてねぇだろ、友達ならさ」
「名取…君」
そりゃあ、本当なら少しは突っ込むでやる方がいいのかもしれない。
言いづらいことなのだからこちらから聞いてやるべき…もしかしたら相手が助けを求めているかもしれないから。
けれど、どうしても俺はそれを聞く気にはなれなかった。…多分、それはこいつのことを友達だと思っているから。
「…俺から見るお前は、頑張って自分を変えようとして今も努力している奴。やろうと思ったことをやり遂げようとする根性がある奴。…それだけで充分なんだよ」
だから聞かない…と、都合の良いことを言っている。
結局逃げているだけだ。…下手なことを聞いて友人を失うのが嫌なだけだ。…これはそんな卑怯者の選択だ。
…だが、俺は自分のことを卑怯者とは思いたくない。…だから、ちゃんと伝えるべきことは伝える。
「…でも、お前が話したいと。…助けて欲しいって言ったら話は別だ」
誰かに乞われなければ俺は動けない。…それを受け取る為に俺はいつだって船を出している。
もし紫悠が俺の出した船に乗るのなら…俺は全力を懸けて問題の解決に動くとしよう。
「俺はいつだって待つ。…俺をどうするかはお前が決めてくれ」
「…名取君は、…本当にカッコいいね」
先程までの重苦しい顔を下げ、紫悠は俺に笑い掛ける。
「…それじゃあ、少しだけ本心を言うよ」
紫悠の雰囲気がガラリと変わる。
「…確かに、僕は誰かに助けて欲しいと思っている。…この現状から救い出してくれないかと願っている」
先程までの人の良さそうな顔はなりを潜め、その目には空虚しか映っていない。あまりの変貌ぶりに少しだけ息を呑む。
「…けどね、それと同時にこの毎日を続けなければならないという焦燥感もあるんだ。…今は辛く苦しいけど最悪じゃないから…僕が耐え続ければこの恒久が続いていくのだから」
そう言いながら変貌した紫悠は停車した俺のバイクに乗る。
「名取君、君に見せたいものがあるんだ。…僕を、家まで送ってもらってもいいかな」
「…あぁ」
まだ戸惑いは拭い切れない。…どうしたって今まで見てきた紫悠のイメージが先行して目の前にいる紫悠に対して違和感を持ってしまう。
だがきっと…今の紫悠は何も隠すつもりがないのは確かだ。根深く残っていた違和感が紫悠に対しての違和感が少しずつ解けていく様な感覚がある。
…何故、もっと早くに解いてやれなかったのだろうな。
─
「…中に入って、今日は誰もいないから」
紫悠の家に辿り着いた。
俺はその言葉に従い中へと入る。…これで紫悠の家に入るのは二回目か。
「…家族はいないのか?」
ここまで深入りしたのだから踏み入って聞く。
「いないよ、…ふふ、前もそう言っていたね」
紫悠は少し笑いながらリビングまで俺を案内し…そしてソファに座らせる。俺は黙って紫悠に従い続けた。
「…名取君、さっきも言ったけど僕は助けを求めている。…けどね? それと同時に他人に絶望もしているんだ」
「…なんとなくそうじゃないかと思った」
正確には今そうだと気付いた。
俺は今まで多くの人間を見てきた。いい奴も悪い奴も…だからその人間と接していれば大まかどんな奴かがわかる。…さっきまでの紫悠は確かに見てどんな奴か判断出来た。
けど、今は全くわからないでいる。…先程までの紫悠が急に霞んでいっているのだ。…そういう特徴を持った人間がどういう奴なのかを俺は知っている。
「流石名取君、なんでもわかるんだね」
「単なる経験則だ。…お前、根本的に人間が嫌いだろ」
本心を隠し、自分の特徴を掴ませない…そういう人間は大抵人間のことが嫌いだ。
同じ形をしていることに嫌悪し、理解不能な価値観を持った存在。
簡単に傷つけ、簡単に自身を苦しませる…そんな存在が気持ち悪い…だから何もかもを隠す。
「御名答…でも少しだけハズレ」
紫悠は微笑んでいる。微笑んだまま表情を一切変えない。
まるでロボットだなと、俺はそう思った。
「…僕が嫌いなのは欲望に塗れた人。…汚い感情を僕に向ける人、…だからだろうね。…そんな感情を一切向けてこない名取君や……綾辻さんのことは大好きだよ」
そう言って紫悠は自分の服に手を当てる。…そして、それを一枚一枚脱ぎ始めた。
「………」
いきなりの行動だが…突飛な行動ではない。
紫悠が言ったのはあくまで見せたいものがあるという文言…それが何かは言っていない。
つまり、この先にあるのが紫悠の見せたいもの…と、そう推察するしかなかった。
なのでこの瞬間から目を逸らすことは出来ない。…それでは俺がここに来た意味がないからだ。
シャツ、ズボン、そこから更に下着まで全て紫悠は脱いだ。目の前には全裸の紫悠がいる。
「どうかな、僕の体についてどう思う?」
「………」
…なんと言ってやればいいのだろう。
紫悠の体はおよそ普通の男の形をしていなかった。
男なのに胸が膨らんでいるし、そのくせ男性器は存在している。
その他には全身に傷だらけ…酷い虐待の様な痕がある。それがどういう傷なのかはなんとなくわかる。…鞭などで叩かれた痕、熱いものを押し付けられた様な痕…その体に刻まれた印は俺が受けてきたものにも劣らない。
俺は紫悠に対して何と言えばいいのだろう。何と答えれば紫悠を傷つけずに済むのだろう。
…そんなことを考えて、そしてその考えは捨てた。素直に思ったことを言えばいい、そう気付いたから。
「率直な感想を言わせてもらう。…お前の体、気持ち悪いよ」
正直な感想としてそんなものを抱いた。
「男の癖に胸があるのが特に気持ち悪い。俺の常識の範囲外のことが起きているのが気持ち悪い。…他の傷については何も言えない」
「ふふ、容赦ないね」
文字通り酷い言葉を言ったと思う。最低最悪の発言をした自覚はある。
けれど、紫悠は俺の言葉に対して微笑んで見せた。
「君のいう通りさ。…僕は、僕の体が気持ち悪い」
ドス黒い嫌悪の声が聞こえる。
「…もし、僕が望んでこの体になったのだとしたら…僕は素直に受け入れただろうさ。けれど、僕はこんな体になりたいだなんて一度も思ったことはない。…仕方なく、なっただけだ」
苦虫を噛み潰した様に紫悠は言葉を続ける。
「こんな体になったせいで僕は何度も死にたいと思った。気持ちが悪くなるし、体が脆くなるし…食事を口に入れても吐き出してしまう…本当に不便で不快で仕方がない」
一通り怨嗟の声を吐き出すと、紫悠は少しだけ落ち着く。そして俺の方を見つめた。
「…だから、君が僕の体を肯定してくれなくてよかった。…気持ち悪いと言われて、僕の感性は間違ってないんだってわかった。…もし少しでもこの体が肯定されていたのなら…僕は君を軽蔑しただろうね」
そう言い終わると紫悠は脱いだ服を着直す。
「名取君、僕は君のことを信頼している。…君はいつでも僕に優しかった。…僕のことを考えて、助けになってくれた…本当に感謝しているよ」
手早く着直しながら紫悠は口を開く。俺はそれを黙って聞き続けた。
「だから、僕は君については疑わない。君は絶対に僕を助けてくれって信じている。…だけど、だけどね? 今の君に助けを借りるわけにはいかないんだ」
「それはどうして?」
理由を聞き返す。それを聞かなければ何も始まらないから。
「…言ったでしょう? 僕は本当にどっちでもいいんだ。このままずっとこの生活を続けても構わない…そうしたら何も起きないから、何も変わらない日々を送れるから、…致命的な事態にはならないから」
紫悠が何より気に掛けているのはその致命的な事態…というわけか。それが起きなければ自分の存在などどうでもいいと本気で思っている。…その覚悟はきっと何よりも固く強い。
「もし君が下手なことをして避けたい未来が起きてしまったら? …それじゃあ僕が助けを求める意味がない。…だから、君に見せてほしい」
「見せる。何を?」
紫悠は徐に深呼吸をする。…そして、俺の目を見て真っ直ぐに言い切った。
「君の本気を…僕の事情に本気で関わるという意思を僕に見せて欲しい。…烏滸がましいと、下らない考えだけど…どうしても僕はそれが欲しいんだ」
「下らなくなんかねぇよ、誰かの事情に関わるんならそれぐらいの覚悟は必要だ。…それで、俺は何をすればいい」
証明をしろと言うのならするだけだ。…それがこいつを助ける為に必要なことならば。
「……ありがとう。君にして欲しいことはただ一つ…」
少しの溜め、そのただ一つのことが何なのか俺は黙って待ち続けた。
「…僕が、どうしてこんな僕になったのか…それを知って欲しい。知って、それを僕に伝えて欲しい…出来るかい?」
何故そんなことを…とは言わない。
きっとこいつは知って欲しいのだ、自分がどうやって作られたのか…自分がいったいどんな存在なのか。
知って欲しいという願望は間違いなんかじゃない。…相手を知るということは本気で相手と関わろうとすることだから。
「舐めんな、…待っとけ、すぐに見つけてやる」
だから、俺は少しの迷いもなくその言葉を言い切る。俺の本気を見せる為に。
「…やっぱり、名取君はカッコいいなぁ」
静か過ぎるその空間で、その言葉はやけに強く響いた。
紫悠君の体についてわかる人にはもうわかるかも知れませんね。