第6章 今、私が好きな花
このエピローグは時が交錯して少々わかりにくいと思いますが、頑張って付いてきてもらえると嬉しいです!
✽ エピローグ ✽
仮婚約をしてから十年後、私の愛する息子と娘が正式に婚約をした。
王都の学園に入学する前に正式に婚約したいとグロリアが強く主張したからだ。
「ケビンが王都へ行ったら、きっと女の子に囲まれて、生活するのも大変になるわ。それを防ぐためにも、私がケビンの正式な婚約者になる必要があると思うの」
「牽制するためだけなら姉権限だけでいいんじゃないのか?」
「お父様は甘いわ。姉って言っても私達は義理の姉弟だってバレバレなんだから、私は美形で優秀な義弟に嫉妬する性格の悪い悪役令嬢にされちゃうわ」
「うーん、意味がよくわからない。でも、婚約しないとグーアに迷惑がかかるというなら別に婚約してもかまわないよ」
一見クールな息子だが、その実グロリアを溺愛していて、誰よりも彼女を大切にしているので、それが真剣なお願いである場合は決して断わらない。
ケビンが十五歳の誕生日を迎えた朝、私は彼と二人で聖堂を訪れた。それは毎年恒例のことだった。生を受けた場所で、無事に生まれてこれたこと、産めたことを感謝するために。
でも、今年の誕生日は特別だった。私は少し緊張していた。
まず感謝の言葉と共にお祈りをした後、トベラ様に同伴をお願いして、ケビンの生まれた部屋へと移動した。
そこで私は、ケビンに彼の出自について包み隠さずに話をした。
もしかしたら感情的になってしまうかもしれないと恐れていたが、トベラ様が私の両手を握っていて下さったので、私は最後まで落ち着いて話すことができた。
ケビンは私の目をしっかり見つめながら、全く動じることなく聞いていた。途中で口を挟むこともなく。
息子は、オスカー様が自分の本当の父親ではなく、自分は彼の養子なのだということを、割りと早くから理解していた。何せ姉のグロリアとは四か月しか違わないのだから。
しかしケビンは、これまで自分の父親が一体誰なのかを私に尋ねることはなかった。
私は話の最後にケビンにこう告げた。
「貴方にはたくさんの選択肢があるのよ。そして今後どの道を選んでもいいの。だから私やお父様に気を遣わずに、貴方の好きな道を選んでね」
夫のオスカー様は私達を守るために、例の優秀な人探しのプロ(兼情報屋)に依頼して、王都に住むスターレンや実家の情報を定期的に入手していた。
末娘のリステアの洗礼の日にスターレンが現れたことで、夫は私とケビンが奪われるのではと恐れたからだ。何せ居場所がばれてしまったのだから。
しかし、あの時のスターレンは、私が再婚していたことを知らず、まだ聖堂にお世話になっているものだと思っていたようだ。
それ故、あの場所にいたグロリアを疑うことなく私の実子だと思い込んだ。そしてやはり私が浮気していたのだと腹を立て、きちんと確かめることもせずに王都へ戻ったのだろう。
だからこそ、あの後彼は二度とこちらにやって来なかったのだ。まあ、こちらとしてはその方が助かったけれど。
そしてあの再会の後、私は私の個人的な情報屋さんからスターレンの動向を伝えてもらっていた。
その人は昔、共に苦労しながら商会を支え合った、商会長代理のロバートさんだった。
✽
私の話を聞き終えたケビンは、あまり表情を変えないままにこう言った。
「話をしてくれてありがとう、お母様。だけど、僕にはいらない情報だったみたい。
だって僕はここで生まれ、ここで育った。それが僕の全てだから。
僕は今の自分やこの環境に満足しているんだ。幸せだと思っている。
そしてこれからも幸せになりたいと思っているんだ。
んーん。そうだ。それじゃあ、お言葉に甘えて、いつか将来の分岐点に差し掛かった時には、進むべき道は自分で決めさせてもらうよ」
と。
そしてあれから一年、息子は沢山の選択肢の中から、グロリアと婚約し、いずれ結婚してこの田舎の子爵家を守るという選択肢を選んだようだ。
まあ、今の息子の頭の中は、愛しいグロリアに悪い虫が近寄るのを阻止したい、ただそれだけなのかもしれないけれど。
そして入学後はグロリアの予想通りになったようだ。我が息子ながら、眉目秀麗で頭脳明晰なケビンは女生徒から非常にもてているらしい。
しかもケビンがただの養子で子爵家の嫡子ではないことがわかると、婿養子に欲しいと望む親達まで現れた。
ただしその話は、私達がそれに対応する前に、必ず相手方から全て取り下げられた。
それは元夫のスターレンが裏で手を回していたのだが、それは私の想定内だった。
彼からするといくら法的には無関係とはいえ、ケビンが自分の息子であることは一目瞭然だった。
自分の血を引く唯一の息子を、何の関係もない奴らの婿養子などにされてたまるか!との思いからだろう。
✽✽✽
十年前に私と再会した後、スターレンは以前にも増して人間不信になり、領地を手放し、唯一信頼する商会長代理のロバートさんに商会を任せ、本人は屋敷に引きこもって、投資に専念するようになったそうだ。
すると、案外そちらの方に才能があったらしく、かなりの儲けを出し、それを商会の運営費に回したので、彼の商会は今では王都でも五本の指に入る大商会になっていた。
それ故に商会長の後妻になりたがる女性が山のようにいたようだが、女嫌いになった彼は社交界には一切顔を出さなかった。その上まともに外出することもなかったので、その女性達の毒牙にかかることはなかった。
ところが引きこもって十年後、卒業した学園から、膨大な寄付金を納めた功労者として表彰したいので、是非とも入学式に参列して欲しいとの依頼が来た。
さすがに入学式で不埒な真似をする者はいないだろう、そう考えたスターレンは久々にその招待に応じた。
そしてその入学式の日、スターレンはそれまでの人生で最大の喜びを得たとともに、最大の後悔に打ちのめされたようだった。
新入生代表として壇上に上がった少年は、髪の色こそ違ったが、アイスブルーの瞳や顔立ちは自分に瓜二つだった。
彼の名前はケビン。そして姓はかつてリンドウの花束を持って訪れた地方の領主と同じだった。
ケビンは堂々と答辞を述べると、無表情な顔でスターレンの顔を一瞥した後で自分の席に戻り、隣の席の少女に優しく微笑みかけた。
その少女の髪は鮮やかな赤色だった。そう。かつて彼が見たことのある色だった。
「全て僕の勘違いだった。彼女は浮気などしていなかった。僕は二度も彼女に冤罪をかけてしまった。最低だ。
そのせいで、僕は自分の息子に何もしてやることができなかった」
スターレンは、唯一身内のように信頼している、商会長代理と酒を飲んで泣きながら、一晩中後悔の言葉を発していたという。
十七年前のあの日の夜、スターレンは深酒をしてかなり酔っていた。目を覚ますとそこは見知らぬ部屋のベッドの上で、隣でソフィーネが裸体に毛布を巻き付けて泣いていた。
何が起きたのかが理解できずに、彼はパニックを起こしてその場を離れた。
彼は本当に何も覚えていなかった。
それまでスターレンはずっと妻に無関心を装ってきたが、実際は違っていた。
派手ではないが上品なその容姿に好感を持っていたし、控えめだが優秀で屋敷の者や商会の人間にも好かれている妻に、本当はいつしか心惹かれていた。
しかし、今さらそれを認めることはできないと、その思いを無理矢理溜め込んでいたから、酒で理性をなくした時に妻を襲ったのだろうか?
わからなかった。そして覚えていなかったからこそそれが悔しくて、妻から妊娠を告げられても、どうしても自分の子だと認めたくなかった。
だから妻は不貞して妊娠したのだと決めつけて、彼女に離縁を突き付けて追い出したのだ。
ところがその一年後、元妻の両親から裁判を起こされ、そこであの夜の行為の証拠を提示されてショックを受けた。
元妻は本当に浮気など一切していなかった。というより、彼女はあの夜まで処女だったことが証明されたのだ。そして当然彼女のお腹の子は自分の子だったのだ。
その裁判の後の一連の出来事は正直思い出したくもなかった。長年の恋人だった後妻の真実を知った時は、気が狂ったかのように笑い続けた。
それまで赤の他人の子を抱きながら、実の子を見捨てていたのだから。
しかもその実の子が今どこにいるのかわからない。無事に生まれたことだけは確かだったが、性別もわからない。
彼女の両親に訊ねても、彼らも孫には会わせてもらえず、性別や名前も教えてはもらっていなかったのだ。何故なら彼らも実の娘を見捨てていたからだ。
それを知った時、スターレンは今さらながらに戦慄を覚えた。貴族の娘が夫や両親から見放されて、どうやって子供を産み育ててきたのだろうかと。
いつか元妻と子に逢えたら少しでも償いたい。そう思ったスターレンは、失くした信用を取り戻そうと必死に働いて商会を立て直した。
しかしその五年後に再び同じ様な失敗をして、さらにその十年後にその過ちに気付いてこうやって泣きながら酒を飲んでいるのだから、本当に懲りない人だとロバートは呆れた。
それでもスターレンは彼にとって息子みたいなものだから、今さら見捨てられなくてこういったそうだ。
『これからだってしてやれることはいくらでもあるさ。
ただし、間違っても名乗らないで下さいよ。それをしたら、それこそそこでお子様との繋がりは切られて終わってしまいますからね』
と。
商会長代理のロバートからの手紙にはそう書かれてあった。
私は離縁した後もずっと、ロバートさんと手紙のやり取りをしていた。
突然自分が辞めたことで、商会員の皆さんが困っているに違いないと思ったからだ。だから、せめて引き継ぎだけでもしておきたいと思ったのだ。
そして、その手紙のやり取りは、その後もずっと続けられたのだ。
何故なら私が領主であるオスカー様と再婚した後、商会とは麦を中心とした我が領地の農産物などの取り引きを行っているからだ。今では互いにそこそこの利益を上げている。
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そして息子と娘が王都へ行ってから半年後、その商会長代理のロバートさんから手紙が届いた。
そこには私の子供達が相変わらずに喧嘩しながらも仲良く生活していてること。
二人には素敵な友人達ができて人の輪を広げていること。
ケビンが入学式以来トップの成績を貫いていることや、面倒見のいいグロリアが、すでにクラス一の人気者になっていること。
そして手紙の最後には短く元夫の近況が綴られてあった。
『あんなに人間不信になっていた伯爵が、近頃少しずつ社交を始めています。
父親だと名乗れなくても、息子にはせめて資産と人脈だけは残してやりたいと、張り切っています』
まあ、色々と酷いことをされて、元夫にはいい思い出など何一つなかったけれど、彼が不幸になればいいとは思っていない。
あの時、あのリンドウの花束は受け取らなかったけれど、伯爵様から差し出された花がリンドウだったことで、昔の私が少しだけ救われた気がした。
私の好きな花くらいは覚えてくれていたんだと。そして、それでもう十分だった。
だから、今好きな花は何かと聞かれた時、私は彼には教えなかった。
私がグロリアのナニーになって二年が過ぎた頃、オスカー様は私の誕生日に六本の色とりどりのガーベラを贈って下さった。
六本のガーベラの花言葉の意味は『あなたに夢中です』。
そしてその後に三本のピンク色のガーベラを手渡された。併せて九本のガーベラの花言葉の意味は『いつまでも一緒にいてほしい』。
私がずっとずっと欲しかった言葉を、オスカー様はガーベラの花と共に贈って下さった。
だから、今の私の好きな花はガーベラ。贈ってもらいたいのは、愛する旦那様からの、色とりどりのガーベラの花束なの。そしてそれは私達二人だけの秘密。
終わり
これで完結です。
読んで下さってありがとうございました!