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第4章 依頼された意外な仕事


 建物の中へ入った途端、今度は凄い勢いで男の子が飛んできて、私に抱きついてきた。

 

「おかあさま、どこへ行っていたの?

 ずるーい、グーアがおかあさまにだっこされてる!!」

 

 五歳になってもまだ抱っこをねだってくれる息子が愛おしくて、私は少し屈んで息子のことも抱き上げた。


 

 黒色の髪だけは母親の私と同じだけれど、それ以外の整った顔立ちやアイスブルーの瞳は父親似のケビン。

 父親に瓜二つの息子を見た瞬間に、実の父親から隠し通すのは無理だとあっさりと私は諦めた。


 何故なら、息子には最高の学問を学ばせてあげたい。そのためにいずれケビンを王都へ送り出してやりたいと思っていたからだ。

 十五年後、ケビンが王都へ出て行けば、息子の顔を見てアレ?と思う者が必ず出てくると思った。私に似て地味顔だったら気付かれることもなかったでしょうに。

 まあ、だからといって大抵の人は他人の空似くらいしか思わないだろう。私の実家の人間やスターレン以外は。


 そして彼らに見つかってもまあいいかと、次第に私は開き直れるようになっていた。

 戸籍上、ケビンはスターレンや私の実家とは何の関係もない。故に、彼らは法的に息子に手出しできない。

 その上今の私達には、守ってくれる力強い人ができたのだから。

 

 それにその頃にはケビンも自我がしっかりしていることだろう。実の父親とどう向き合うかは本人に任せるつもりだ。

 息子の気持ちは息子のものだ。息子の思いを支配し、縛り付ける母親にだけはなりたくないから。

 とはいえ、その時息子ができるだけ正しい判断ができるように、可能な限り私情を挟まずに事実を語るつもりではいる。

 まあ実際のところ、どれだけ私が冷静に客観的に話せるかは怪しいので、トベラ様に立合いをお願いするつもりではいるけれど。

 

 ケビンの存在に気付いた時、スターレンが新しい家庭を持っているかどうかはわからないけれど、驚くことだけは間違いないわね。

 自分の子供が娘じゃなくて息子だった事実に。しかもそれが自分に瓜二つの息子だったということに。

 きっと可愛らしい子供の頃の姿を見られなかったことを悔やむことだろう。

 それが元夫への私のささやかな復讐だ。まああれは本当に偶然の産物だったのだけれど。今日あの場に彼が現れるだなんて、私にわかるはずもなかったのだから。

 


「こらこら二人とも、五歳にもなってお母様に抱っこしてもらっているのか。お母様が重くて大変だろう」

 

「大丈夫ですわ。母親というものは本来力強いものなんですよ。私は普通の貴族夫人ではありませんからね。

 それにリステアが生まれるまでずっと、二人は抱っこを我慢していたのですから、これはそのご褒美なのですわ、旦那様」

 

 私はこの辺りを治めている領主で、子爵でもある夫にこう言った。

 

「やっぱり父親の抱っこでは駄目かぁ」

 

 赤色の短髪を掻きながら、旦那様はその端正で男らしい顔を崩して、少し情けなげにこう嘆いたので、私は笑ってしまった。

 

「旦那様には抱っこよりも肩車をしてもらった方が、子供達は喜びますわ。母親では無理ですもの」

 

「そうか。ケビン、お父様が肩車をしてやろうか?」

 

「いーや。ぼくはおかあさまのだっこがいいの」

 

 ケビンが私の首にしがみついたのを見て、旦那様の肩がさらに下がってしまった。それを見て私は幸せだなと思った。

 子供達は両親の愛情に包まれて、親の機嫌を窺うこともなく、自然の感情を出せている。そんな家庭を持てるだなんて、私は夢にも思っていなかったのだから。

 


 ✽✽✽✽✽




 五年前、私はこの聖堂の一室でケビンを産んだ。そしてそれからふた月後、私はシスター長様からある依頼を受けた。

 それは領主様の一人娘グロリア様に、数日でいいから母乳を与えてもらえないかと。

 なんと、領主様の奥方である子爵夫人が突然姿を消してしまい、赤ん坊は今朝から白湯と少量の砂糖水しか口にしていないというのだ。

 子爵夫人は乳母制度は悪だと言って、自分で子育てをしていたらしく、乳母がいないらしい。

 

 伯爵令嬢だった私に、乳母のような真似をさせるのは大変申し訳ないけれど、近隣に母乳が出る女性が他にいなくてと、シスター長様はとても頼みにくそうにおっしゃった。

 もちろん私はその話をすぐにお受けした。赤ん坊を助けることに躊躇うはずがなかった。

 それに他人の子にお乳をあげることに、それほど抵抗はなかった。今の私は貴族ではなくただの平民だ、という自覚がすでにできていたからだ。


 始めは数日という話だった。

 しかし、子爵夫人は一向に見つからず、その上小さな町なので、やはり私以外には母乳を飲ませられる女性がいなかった。

 そのために結局私は、領主様の屋敷の中に一部屋を与えられて、ケビンと共に住み込んでお嬢様のお世話をすることになってしまった。

 旦那様はひたすら恐縮して、一介の使用人の私に、こちらが引くくらいに丁重で破格の対応をして下さった。

 他の使用人の皆さんも皆親切で、私が二人の赤ん坊の世話だけをできるようにと配慮してくれた。

 体力的にはかなり大変だったが、困った時にはベテランのメイドに協力してもらったり、相談に乗ってもらったりして、なんとかこなしていった。


 私はグロリア様の面倒を見始めて、すぐにある疑問を抱いた。夫人はきちんと子育てをしていたのかと。

 顔は汗もだらけだったし、お尻も赤くただれている。すでに生後半年は過ぎているというのに、まだ離乳食も始めていなかったみたいだし。

 そして家敷の中に育児書がなかったことにも疑問を抱いた。

 

 私がグロリア様に、果物のジュースや液状のお粥を与えているのを見た旦那様は、酷く驚いていた。母乳以外のものをもう食べさせても良いのかと。

 首と腰が据わり、人が食べているのを見て口をモグモグさせるようになってきたら、離乳食を始めても大丈夫なんですよ。

 グロリア様は離乳食を始めるのがむしろ遅いくらいですよ。と教えて差し上げると、彼はまた驚いていた。

 

「貴女はケビン君が初めての子供だと聞いた。それにそもそも貴女は伯爵令嬢だったのでしょう? 一体どこで子育ての方法を学ばれたのですか?」

 

「私は学園時代から、聖堂に附属している孤児院に通っていたのです。そしてそこで子供達のお世話をさせてもらっていたのです。そこで自然に覚えました。

 それに家には年の離れた妹もいたので、乳母が赤ん坊の世話をするのをよく見ていましたし。

 奥様は乳母など不要だとおっしゃっていたそうですが、奥様も確か子爵令嬢でいらしたのですよね?  

 やはり孤児院の奉仕活動か何かで育児法を学ばれたのですか? それとも育児書ですか? こちらのお屋敷ではお見かけしませんが」

 

 私は思わず質問を質問で返してしまった。すると旦那様は瞠目した。そして間を空けてからこう言った。

 

「妻がかつて奉仕活動をしていたと聞いたことはないです。

 嫁いできてからも礼拝と施設の見学には行っていましたが、直接子供達と触れ合っているところは見たことはありませんでしたね。

 末っ子だったので自分より年下の人間は苦手だと言っていましたし」

 

 領主様の話を聞いて、私はふとこう思ってしまった。

 もしかして夫人は、あの『エセ理想主義者』のお仲間なの?

 口先だけ聞こえの良い思想に酔って、現実を見ず、学びもしなければ、自ら体験しようともしない軽いノリの人々。

 

 私とのこの会話で何か思うところがあったらしい領主様は、夫人の捜索場所をこの地域ではなく王都に変え、人探しのプロに依頼したようだ。

 そしてそれからひと月後、夫人の居場所が判明した。

 やはり王都の庶民が暮らす地域に潜んでいた。いや、潜むというよりも堂々と、場末の居酒屋で働いていたそうだ。

 学園時代の同級生であった平民の男と夫婦として暮らしながら。

 

 

 その居酒屋は革命家や革新派のたまり場のような店で、夜な夜な人々が集まって雄叫びを上げていたそうだ。

 そしてもちろんその中には、意気揚々と幸せそうに顔を高揚させている子爵夫人と、その恋人が含まれていたそうだ。

 二人の姿を確認し、その周辺で色々と聞き込みをした数日後、人探しのプロは閉店後に夫人に近づいて、彼女に今後どうしたいのかを尋ねた。

 そしてその答えを聞いた彼は、依頼人の要望通りに、彼女の意思を尊重するために必要な二枚の書類を手渡し、それにサインを求めた。


 それは離縁届と、親権の放棄並びに今後一切子供には関わらないという誓約書だった。

 もし、本人が後悔して戻りたがっているのならば連れて帰ってきて欲しいが、もしそうでなかった場合用にと、予め託されていたものだった。


 誓約書にサインすれば慰謝料は要求しない。しかし、今後もし子供に近付いたらその理由は何であれ、慰謝料を要求するといった項目が記載されていた。

 夫人は躊躇うことなくその二枚の書類にサインをした。そしてこれで本当の夫婦になれるわね、と歓喜しながら恋人を振り返った。

 ところがその恋人は愕然とした表情で、彼女の顔を見ていたという。

 


 実はその恋人の男は、不遇な家庭環境のもとで育っていた。

 彼の母親は結婚前からとある伯爵家でメイドをしていたが、そこの主に目をつけられ、平民の夫とは無理矢理離縁させられて、その伯爵の愛人にさせられてしまった。

 彼はわずか三歳で理不尽にも母を貴族に奪われた。しかも、父の後妻から虐待を受けながら育った。

 彼が身分制度の廃止を訴える社会運動をするようになったのも、そういう自身の経験があったからだ。

 

 彼は、王太子や高位貴族の子息のようなエセ理想主義などではなかった。

 だから同級生だった子爵令嬢とも、彼女に年上の婚約者がいることを知っていたので、節度ある付き合いをしていた。

 そして卒業と同時に駆け落ちをしようと懇願された時も、貴族令嬢で自分の身の回りのことさえできないような彼女が、平民になって暮らせる訳がないと、その申し出を断っていたのだ。

 それなのに、まさかそれから六年も経って、再びその彼女が現れるとは思ってもいなかっただろう。

 

 彼女は結婚して六年経っても子供ができないことを、夫や義父母に責められて虐げられてきた、と泣きながら語っていたらしい。

 長い間辛い思いをしてきたが、もうこれ以上耐えられなくなったので家を飛び出してきた。どうか助けて欲しいと泣いて彼に縋ったという。

 ずっと彼女だけを思って独身を貫いてきた彼は、夫の酷い仕打ちに腹を立て、そんな夫の元に戻ることはないと、彼女を内縁の妻にしたのだ。

 

 

 ところが、それは彼女の嘘だったことが判明したのだ。

 彼女は子供ができたとわかった時、自分の手で育てるから乳母はいらないと夫に訴えた。

 学も教養もない平民だって当たり前のように子育てをしているのだから、自分にだってできると安直に考えたのだろう。

 貴族だって自分の子供くらい自分の手で愛情を持って育てるのが、人として真の姿よ、と。


 ところが赤ん坊を育てるということは、想像を遥かに超えた難しく厳しいものだった。

 三時間ごとに授乳しなくてはならないから、夜もろくに眠れない。

 オムツ交換まで自分がしなくてはならないなんて知らなかった。オムツの当て方もわからなかったので、オシッコや便が漏れて、赤ん坊の服や布団を汚してしまった。それを見て彼女は恐れ慄いた。

 今さら子育てができないとも言えずに混乱する彼女に、ベテランのメイドが救いの手を差し伸べた。おむつ交換と沐浴はメイドの仕事ですよと。

 しかし、彼女はそのメイドの好意に感謝することもなく、子育てに対するストレスを溜めて、周りの者達に当たり散らしていたそうだ。


 夫はそんな妻に、子育てに悩んでいるなら相談に乗るし、協力も惜しまないと告げていた。

 ところがプライドの高い彼女は、素直に自分の非を認めることができず、信念を曲げてまで夫に助けてもらおうとは思わなかったようだ。

 そしてあの日、お乳を与えてもオムツを取り換えてもまだ泣き続ける娘が疎ましくなり、彼女のイライラはついに頂点に達してしまった。

 もうこんな生活はいや。子供なんていらない。やっぱり政略結婚なんて間違ってるわ。やはり結婚は愛する人とするべきよ。

  

 子育ての失敗や結婚生活が上手くいかなかったのは、単に彼女の勉強不足のせい。そして下らないプライドを捨てられずに、人に頼ったり教わったりできなかったせいだった。

 それを彼女は全て政略結婚のせいにした。そしてそこから逃げ出せば幸せになれるとばかりに、衝動的に家を出て行ったのだ。

 


 子爵夫人は、平民の彼がもっとも嫌いで憎むべき行為をしていた。自分の子を捨てたのだ。

 実母に捨てられたと知ったら、成長した子供がどう思うのかを考えないのか?

 幼い子を育てるために、彼女の夫はおそらく後妻を娶るだろう。そしてその後妻に我が子が虐められるかもしれない。そんな子供の未来を想像もしないのか?

 

 恋人は怒りに震えていたと、人探しのプロは言っていたという。

 ただし彼は、その後二人がどうなったかまでは調べなかったらしい。子爵からの依頼は、家出妻と離縁するための書類にサインをもらうことであり、すでにそれは手に入れていたのだから。

 

 人探しのプロは情報集めのプロでもあった。先ほどまでの話は領主様に結果報告をする時に、まるで世間話をするかのように、さり気なく聞かせてくれたのだそうだ。


 結局領主様は奥様と離縁し、彼女が屋敷に戻ることはなかった。

 そのため私は、領主様から仮の乳母ではなく、正式に乳母兼ナニー(幼児教育のプロ)として働いて欲しいと依頼された。

 そしてその二年後、私は領主様から求婚され、再婚することになったのだった。

 

 読んで下さってありがとうございました。


 この章で完結する予定でしたが、長くなったので、次章に持ち越しになりました。

 よろしくお願いします!

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