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第3章 元夫の後悔と衝撃

 冒頭の丘の上の、元夫である伯爵との六年振りの再会シーンに戻ります。


「私がここで暮らしていることをどうやって知ったのですか?」

 

 私が元夫だったスターレンにこう尋ねると、彼は友人から聞いたのだと言った。

 先月この村では年一度の収穫祭が催された。何百年前から続く伝統的行事で、開催中は国中から観光客が集まってくる。

 私もその祭りにシスターの皆様と共に手伝いとして参加していたのだが、どうやら観光客の中に私を知る人がいたようだ。

 あんな群衆の中で地味な私に気付くだなんて驚きだった。余計なことをしてくれたと恨むよりも、ただただ感心してしまった。

 

 元夫とは二度と会いたくはなかったが、まあいつかこんな日も来るかも知れない、と多少覚悟はしていたのだ。

 

「ソフィーネ、お願いだ。一目でいいから子供に会わせてくれないだろうか。僕の子は男の子なのか? それとも女の子なのか?」

 

「それを知ってどうするのですか?

 伯爵様は私の子など望んでいなかった。死んでもいいと思っていた子の性別を聞いてどうするのですか?」

 

「死んでもいいだなんて思っていなかったよ」

 

「いいえ、思っていたでしょ。着の身着のまま、真冬の寒さの中に妊婦を放り出したのですから。

 頼る人が誰もいなかったあの状態で、無事に出産できて私まで生き延びられたのは、本当に奇跡だったのですよ。

 そしてその奇跡は我が子のために起きたもので、伯爵様のためなどではないのです。

 ですから、私の子に会いたいなどという無謀な望みは捨てて下さい。

 もう過去など振り返らず、伯爵様は今の家族を大切にするべきです」

 

「君達以外に僕に家族はいない」

 

「伯爵様には真実の愛で結ばれた奥様とお子様がいるでしょう」

 

「五年前のあの裁判の後、僕はそれまで気付けなかったことや、隠されてきたことをようやく知ったんだ。

 本当にすまなかった。君に酷いことをしてしまった。

 僕とあの女は同級生で、学園に在学していた頃から付き合っていたんだ。

 しかし、あいつは当時から僕以外の男とも色々遊んでいたんだ。  

 僕の借りた家で暮らすようになってからも、複数の男を出入させていたらしい。だから、あの時妊娠していた子供は、僕の子供ではなかったんだ。

 生まれた時から赤子は僕には全く似ていなかったから疑ってはいたんだが。

 そして裁判の後に独自に調べてみたら、あいつが付き合っていたという男のリストに、赤ん坊によく似ている輩がいるのに気が付いたよ。かつての同級生だった」

 

 おそらくそんなことだろうとは思っていた。一応伯爵夫人として夫の動向は把握しておく義務があったので、愛人についても定期的に探らせていたからだ。

 

 スターレンは再婚後、大人しくて健気げでたおやかだった平民妻が、その態度をがらりと変えたことにまず驚いたという。

 自分より身分の低い者達には横柄な態度をとるようになったのだそうだ。

 それは自分達がもっとも嫌うタイプの人間だった。彼女もそうだったはずなのに何故なんだと。

 

 結婚当初、スターレンは妻の言うことを真に受けて、長年忠実に勤めてくれた使用人を数人クビにしてしまった。しかし、さすがにこれはおかしいと思い始めた頃、残りの使用人達が揃って皆辞めてしまったそうだ。

 そして新たに妻が雇った者達は、伯爵家というより貴族の家では到底務まらないような使用人ばかりだったという。

 

 そのせいで伯爵邸は屋敷の中も庭もすぐに荒れ果ててしまったそうだ。

 彼の愛妻はきちんと学園を卒業しているはずなのに、商会の仕事どころか屋敷の切り盛りさえまともにできなかった。

 そして全くマナーも身に付いていなかったので、どんなにせがまれても社交場には出さなかったらしい。

 不平不満の妻に、人前に出たいのならばそれなりに振る舞えるようになってからだと彼が言うと、彼女はこう言ったという。

 

「貴族のマナーなど古くさくて意味がない。もっと自由に心のままに振る舞うべきだと言ったのはあなたでしょう。

 それなのに今さらそんな下らないものを覚えろだなんておかしいわ。

 昔の仲間達が社交界を変えようとしているそうじゃない。私も彼らに協力するつもりよ。だってそれが正義でしょ?」

 

 しかし彼女が彼らの手伝いをしたいと思っても、それは無理な話だった。

 昔の仲間達は全ての社交場から出入り禁止となり、商売相手からも付き合いを拒絶され、廃嫡されたり爵位を返上して平民になっていたからだ。


「僕達の正義は酷く独りよがりだった。

 本当は卒業パーティー後のゴタゴタを目の当たりにし、結婚して君と接していくうちに、気付いてはいたのだ。自分達の正義など机上の空論で、まるで実効性を伴わない子供の戯言のようなものだと。

 しかし、君の貴族としての正義をどうしても受け入れられなかった。

 かといって昔の仲間達とつるむことはもうしたくなかった。もう潮時だ。あの女とも縁を切ろうと考え始めた時、あの裁判を起こされたんだ。

 そして目を逸らして誤魔化してきた、あの女の真の姿を突き付けられて、ようやく僕は決断をしたのだ。

 まあ大切なものを全てなくしてからだったが」


 スターレンは切なそうな顔で私の顔を見ながら言った。茶番だわ。そのなくした大切なものが、私と子供だとでも言いたいわけ?


 スターレンは二度目の妻と離縁して、彼女と娘を、昔の仲間でもあった子供の父親のもとへ送り届けてやったという。

 その男は廃嫡され、政略結婚した妻とは離縁していた(させられていた)ので、今でも同じ信念を持つ同士で仲良く暮せばいいと。

 彼らが忌み嫌う伝統的な貴族達とも、滅多に会うことのない辺境地だから、家族で自由にストレスなく暮らせることだろう。

 そうスターレンは笑った。

 それに関しては私も同意した。私は田舎暮らしも悪くないと実感しているから。


 それにしても、彼の前で私が貴族としての正義を振りかざしていた、という言葉には正直驚いたわ。

 確かに私は、正しくありたいと自分を律していたわ。でもそれは決して貴族としてではなく、人としてだし、それを他人に強制したつもりはなかったから。

 それでも元夫が私に強制されていたと感じていたのなら、申し訳ないことをしてしまったと素直に思った。

 まあだからといって、彼にされたことは忘れられないし、許せることではないけれど。

 

 スターレンは私に非があるかのような物言いをした後で、謝罪を繰り返したわ。私を追い出して彼女と再婚した直後からすぐに後悔したと。

 そして以前の快適な暮らしが、私の献身によって得られていたのだ、とようやく悟ったと。

 

 そしてそれは屋敷内だけのことではなかったと。

 それまでは、自分達が何もしなくても勝手に懐に入ってきた商会からの利益がなくなって、元義父母は怒り狂ったそうだ。

 誰に怒っていたのかしら? 自分勝手な人達だったから、やっぱり私なのかしら?

 そしてある日、興奮し過ぎたせいで二人とも血圧が急上昇して、息子の目の前で倒れ、その二年後に相次いで亡くなったという。

 

 金食い虫だった両親と後妻がいなくなり、その住居や家具や装飾品を処分した結果、まとまった金額になったので、それを商売の資金に回した。

 失くした信用を取り戻そうと死にもの狂いで頑張った結果、なんとか商会を立て直すことができたそうだ。

 しかし、そもそもこの商会が再建できたのは私のおかげで潰れていなかったおかげだ、と商会の責任者から聞かされたという。

 元伯爵夫妻やあなただけだったら、とうにこの商会は影も形もなくなっていただろうと。

 

 彼に言われるまでもなく、それまで自分が好き勝手をしていても、屋敷の中が回っていたのは元の妻のおかげだったことくらい理解していた。

 自分の愚かさに吐き気がした。取り返しがつかないことをしたと気付いた時の絶望は、計り知れないほど大きかったとスターレンは言った。

 

「ソフィーネ、君や僕達の子供のことをすぐに探そうと思った。いや実際に探したんだよ、できる限り。

 でもそこで思ったんだよ。僕が探し回ったら君達が迷惑するのではないかと」

 

「その通りですね。過去はやり直せませんから。

 伯爵様が幸せになりたいと願うのなら、過去の反省を活かして、新しい別の何かを見つけて下さい。

 私の子を亡き者にしようとしたことには、もう罪悪感を持たなくても結構です。

 先ほどから申し上げております通り、私の産んだ子は私の子で、伯爵様の子ではありません。

 ですから、どうかもう二度とここへはお出でにならないでください。そして、ご自分で新しい幸せを見つけて下さい。さようなら、伯爵様」


 私は最後まで元夫の名前を呼ばなかった。貴方とか旦那様とも。

 結婚初夜に、馴れ馴れしくするな、君とはただの同居人だと言われたからだ。

 まあ、こちらも名前や貴方などとは気持ちが悪くて呼びたくなかった。

 それに妻としての手当など一切もらっていなかったので、旦那様と呼ぶのも変だと思っていたし。

 私は商会では一応、一会員という名目で仕事をしていたので、そこからそこそこの手当をもらっていたので、それで自分の身の回りの物を揃えていた。


 そんな状況だったので、私は元夫のスターレンを伯爵様と呼んでいた。それだけは事実だったから。


 

 予想外に随分と長話をしてしまった。婚約してから離縁するまでの八年分の会話より、もしかしたら長かったかもしれないわ。

 そう思いながら私は、クルッと背を向けて聖堂に向かって歩き出した。

 その時、建物の中から幼女が飛び出してきて、まだ小さな両手で私のスカートを掴んだ。

 

「おかあさま! どこへ行っていたの? 探しちゃった」

 

「ごめんなさいね。偶然に昔の知り合いに会ってしまって、つい長話をしてしまったの」

 

 娘のグロリアを抱き上げながら、そう言うと、娘は私の肩越しからスターレンの姿が見えたようで、

 

「知らないおじさんがグーア(グロリア)のことをみてるよ。おじさん、なんかとってもびっくりした顔をしてるけどどうしてかな?」

 

 と、不思議そうに言った。現在五歳の私の娘のグロリアは、真っ赤なふわふわした髪に黒い瞳をしている。

 そしてそんな娘は、黒い髪にライトグリーンの瞳をしている私とは、色合いだけでなく顔形もまるで似ていない。当然金髪にアイスブルーの瞳をした元夫とも違う色だ。

 彼はグロリアを見て愕然としていることだろう。意趣返しができて私の溜飲は下がった。

 意地が悪いかしら? でも意図してこうなったわけではないし、今まで私がされてきたことを考えれば、これくらい大したことではないわよね。

 

 私は一度も後ろを振り返ることなく、グロリアを抱いたまま聖堂の建物の中へ入って行ったのだった。


 読んで下さってありがとうございました!


 


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