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第1章 六年振りの再会

「正義」そして「寂しい愛情」「苦悩」「貞節」「誠実」……

 

 昔の私はこんな花言葉を持つリンドウの青い花が好きだった。自分に似合っていると思っていたから。

 でも、今の私には似合わなくなった。

 ニセの正義も下らない貞節も見せかけの誠実さも、そして寂しい愛情なんてもう私には必要ない。

  

「受け取れませんわ」

 

 差し出された青いリンドウの花束を見ながら、手を伸ばすことなく私は言った。本当は払い落としたかったけれど、花に罪はない。

 

 見事な金髪にアイスブルーの瞳をした目の前の男は、とても悲しげな顔をした。

 絶世の美男子だとかつて皆にもてはやされた男の容姿は、相変わらず整ってはいたが、以前と比べるとかなり窶れて見えた。

 心労が多いのだろう。嫌でも彼の噂は、王都を離れた私の耳にも届いてくる。

 

「君はこの花が好きだったよね?」

 

 だから持ってきたんだとばかりに男は言った。

 ええ、好きだったわ。だけど、婚約していた時も結婚してからも、一度も贈ってはくれなかったわよね。地味で辛気臭いそんな花を、花屋では買えないからと言って。

 それならばと、結婚後に庭の花壇にリンドウの花を植えようとしたら、あなたに反対されたわね。

 華やかな我が家の花壇には相応しくない。ただでさえ黒髪の君がいるだけで、この屋敷は辛気臭いというのにと。

 それなのに、何故今さらこの花を持ってきたのかしら? 嫌がらせかしら?

 

「ええ、確かに以前は好きだった花ですね。だけど、今は好みが変わったのです。別れてからもう六年も経ったのですもの」

 

「そうか、それは知らなかった。次は君が好きな花を持ってくるよ。今は何の花が好きなんだい?」

 

「教えませんわ。持ってきてもらっても迷惑ですから」

 

「花がいらないのなら他に欲しいものはあるかい?」

 

「伯爵様は相変わらず相手の気持ちなんてお構いなしなのね。自分の主張ばかり通そうとして。

 伯爵様は私に離縁届を突き付けた時に、今後一切自分に関わるなと言い放ったのですよ。

 それなのに何故今頃になって、図々しく私に会いに来たのですか?」

 

 今さら怒るつもりはない。けれども、こちらが不快であることははっきりと示しておかなければならない。ほんの僅かでもこの男に期待を持たれては困るから。

 元夫であるこの伯爵様は、とても思い込みが強い。三年間の結婚生活とその前の五年にも及ぶ婚約期間で、嫌というほど思い知らされた。

 

「次に現れたら、付き纏われていると警邏隊に届けを出しますよ」

 

 私がこう言うと、さすがに元夫は慌てたようにこう言った。

 

「待ってくれ。付き纏うつもりなんてない。ただ子供の成長を確認したくて来ただけなんだ。君の子に会わせて欲しい」


「何故関係もない人に我が子を会わせないといけないの?」

 

「関係ないってことはないだろう。君の産んだ子は僕の子だろう?」

 

「いいえ。私の子は私一人の子で父親はいません。

 なぜなら私の元夫は、婚姻中にできた子だというのに、妻が浮気をして作った子供など自分の籍には入れないと言い捨てましたからね。

 伯爵様に私の子に会う権利はありません」

 

 離縁する三月ほど前、結婚以来ずっと家庭内別居していた名目上の夫だったはずのスターレンに、私は寝込みを襲われた。

 それなのに、翌朝目醒めた元夫はそれを覚えていなかった。

 たとえ酔っていたとはいえ、何故あれほどまでに嫌っていた私を襲ったのか。

 後になって、あの時はまだ愛人だった女性の悪阻がかなりひどくて、しばらく閨を共にできなくて欲求不満だったからだ、という理由を知った。

 

 私は、浮気をして不義の子を身籠った阿婆擦れだと、両家の家族や親類から罵られた。婚家からは離縁され、実家からも縁を切られた。

 そして身重の私は着の身着のままで放り出されたのだ。

 

 元夫の別れの時の最後の言葉は、

 

「慰謝料を請求されないだけありがたいと思え」

 

 だった。

 

 

 

 ✽✽✽✽✽

 

 

 

 スターレンは最初から私に対して慰謝料など請求できるはずがなかった。

 なぜなら私が妊娠する前に、スターレンは幼なじみの平民の女性との間に既に子供を作っていたのだから。

 それに私が浮気をしたという証拠など何一つなかった上に、反対に使用人達が私の身の潔白を証言してくれたのだ。

 ついでにあの日夫が私の部屋に無理矢理忍び込んだということも彼らは証言してくれた。

 しかも侍女達は血痕の跡のついたシーツを目にしていたのだ。それはその日まで私が処女であったこと、浮気などしていなかったことを証明するものだったのだから。

 そう。私達は三年近く白い結婚だった。だからあと数か月で私はあの結婚を白紙にできたのだ。

 あの日、スターレンに無理矢理乱暴されなければ。

 

 

 離縁から一年後に真実を知った私の実家の両親は、怒り心頭になって離縁取り消しの訴えを起こした。

 そして裁判で、何故今頃になってそんな証言をする気になったのかと問われた使用人達は、離婚騒動中に主の両親である伯爵夫妻にはちゃんと話をしたと証言したそうだ。

 

「奥様は貞淑な方で、旦那様が愛人宅に入り浸って滅多に帰宅しない時でも一人で屋敷を切り盛りし、伯爵家が運営している商会も会長と共に運営に携わって、毎日大変忙しく過ごされていました。

 その間いつも私達侍女の誰か一人が側に付いていたので、奥様が単独行動をなさったことはありませんでした。

 それ故に奥様が浮気をする暇など絶対にありませんでした。

 それなのにある日、珍しく酔って帰宅したスターレン様は、一人でさらに酒を飲んだ後で、奥様の部屋へ忍び込んだのです」

 

 そして使用人の告白を聞いたスターレンの親である伯爵夫妻は、その事実を揉み消して、余計な話をするとクビにすると彼らを脅したのだという。

 

 使用人達にも家庭がある。私に罪悪感を抱きながらも口を閉ざすしかなかったのだろう。仕方のないことだと私も思った。

 クビにされた挙げ句に紹介状を書いてもらえなかったら、彼らは路頭に迷ってしまうのだから。

 

 しかし、そんな彼らが何故その後証言する気になったのかと言えば、スターレンから解雇されたからだ。

 新しく女主となったスターレンの後妻は、貴族夫人になったことで舞い上がり、屋敷内で好き勝手、傍若無人に振る舞ったらしい。

 使用人への態度があまり酷かったのでそれを主に訴えると、彼女は使用人から前妻と比較されて馬鹿にされた、虐められていると夫に泣きついたようだ。

 その結果使用人達はきちんと話も聞いてもらえずに、次々と解雇されていったのだという。

 

 

 裁判の結果当然私達の離婚は無効となった。その上で改めて夫側の有責による離縁が成立し、被告側は多大な慰謝料と養育費を原告の妻側に支払うようにと命じられたらしい。

 もっともその裁判に私は出廷していなかったが。私は生まれてまだ数か月の息子ケビンを人に預けてまで、王都に行きたくはなかったからだ。

 それにそもそもその裁判は、私の両親が自分達の名誉回復のために起こしたもので、私が望んだものではなかった。

 

 私は両親に言った。

 

「裁判を起こしたのはあなた達なのですから、手にした慰謝料はあなた達が自由にすればいい。

 ただしその中から、証言してくれた方々にきちんと謝礼をして下さいね。

 それと養育費はあちらへ必ず返還して下さい。子は私だけの子で、あちらには何の関係もないのですから。

 もし、返還しないのであれば、自分達だって娘を捨てておきながら、金欲しさに裁判を起こした強欲な人間だと世間に吹聴しますよ」

 

 両親は喫驚し、何ていうことを言うのだと私を叱った。慰謝料と養育費はお前達がこれから生きていくためにと思って請求したのであって、自分達が使おうなどとは考えたこともないと。

 

 しかし私は両親に再度こう告げた。そんな金がなくても自分は生きていけるので大丈夫だ。今後あなた達に援助を求めるつもりもないから、心配は無用だと。

 

「本当に困っている時には見捨てておきながら、今さら心配して下さらなくても結構です。

 身重の娘が着の身着のまま嫁ぎ先から追い出されたというのに、あなた達は手も差し伸べてもくれませんでしたよね。

 普通に考えてそんな状態の娘が一人で無事出産して、生きていけると思えますか? 思えませんよね?

 つまりそれは私が野垂れ死んでも構わないと思っていた、ということですよね」

 

 私の言葉に両親と兄夫婦は絶句した。

 

 

 

 嫁ぎ先から嫁は不貞した恥晒し者だ、そう言われたのだから仕方ないだろう。そんなふしだらな娘を引き取ったら、我が家に悪評がたってしまう。

 お前の末の妹の結婚式も間近に迫っていた時期だったから、厄介者を引き取りたくはなかったのだ。家族思いの優しいお前ならわかるだろう?

 

 あの時は仕方なかったのだと、両親はまるで自分達が被害者であるかのように言い訳をした。

 もしあの結婚が私の意志で決めたものだったのなら、彼らの意見にも頷くことができたかも知れない。

 しかしこれは両親が決めた、商売の利権が絡んだ政略結婚だった。

 私は親の命令で愛人のいる男のもとに嫁ぎ、必死に嫁ぎ先と実家の益のために商売にも力を注いできた。

 それなのに私は一方的に濡れ衣を着せられ、離縁され、そして捨てられたのだ。そんな私を見捨てておきながら、仕方なかったの一言で済ませられると、本気で思っているのだろうか。

 

 家族思いで優しいですって?

 学園在学中はずっと上位の成績をとって、才女だと言われてその気になっていたけれど、私はただ学問のできる馬鹿だったのね。

 嫡男の兄と年の離れた可愛い妹に挟まれて、私は幼い頃から両親から関心を持たれなかった。

 だからこそ少しでも両親から愛されたくて、関心を持ってもらいたくて、優しくて家族思いの良い娘を演じてきた。

 しかしその結果私は、ただ単に彼らにとって都合の良い駒になって、利用される存在になっただけなのだと、一年前にようやく気付いたのだ。本当に遅過ぎたわね。

 

「私とあなた方はもう他人です。今回はこの裁判の結果を広報で見たのでやって来ました。勝手に養育費を使われては困りますからね。

 今後一切連絡を取るつもりはありません。どうぞ皆さん息災にお過ごし下さい。

 もし偶然にどこかで私を見かけても、無視して絶対に話しかけてこないで下さい」

 

「他人って……そんな酷いことを言わないで。子供にも会わせてちょうだい。大切な私達の孫なのだから。

 ねぇ、一体貴女は今どこに住んでいるの?

 とりあえずこの近くに家を借りましょう。それくらいの慰謝料は取れたのだから。

 そして今度こそもっと良い結婚相手を探してあげるわ。

 再婚だから相手は初婚というわけにはいかないでしょうし、子供もいるかもしれないけれど、貴女は子供好きだし、そんなことは気にしないわよね?」

 

「ああ、それはいい。私の商売相手にも二、三人思いつく人物がいるし」

 

 ああ。やっぱりこの人達は何も変わっていないのね。自ら自分の娘を捨てておきながら、まだ価値があると気付いたらまた利用しようとするのだから。

 どこまで貪欲なのかしら。嫁ぎ先の義両親同様の意地汚さだわね。

 

「あなた達には言葉が通じないのですか? あなた方と私はもう他人です。今後一切かかわることはありません。

 ただし、養育費だけはちゃんと返しておいて下さい。それをしなかったら詐欺罪で訴えますよ。さようなら」

 

 これ以上何を話しても無駄だと思ったけれど、養育費のことだけはきちんと釘を刺しておかないといけなかった。そんな物を受け取ったら、後であちらから何を言い出されるかわかったものじゃないもの。

 私は久し振りに訪れた実家から僅か三十分で、出されたお茶も飲まないで出て行った。

 もう二度とここに足を踏み入れることはないと思いながら。

 


 

 そして私が向かったのは、駅馬車に乗って二時間ほどの地方の町だ。私は一年前から、その町の古い聖堂でお世話になっている。半年前に息子ケビンを産んだのもその場所だった。

 

 

 そう、一年と少し前、私は嫁ぎ先の伯爵家から追い出され、実家からも見捨てられた。そして厳寒の中行く宛もなく彷徨っているうちに、毎週通っていた大聖堂の前に、無意識にたどり着いたのだった。

 読んで下さってありがとうございました!


 この小説はすでに完成させてあるので、修正しながら毎日一話ずつ投稿する予定でいます。20,000文字程度のお話です。最後まで読んでもらえると嬉しいです。

 ヒロインは過酷な人生を生きていますが、ハッピーエンドです。

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