9 脱出
夕食会は唐沢邸の大広間で、七時に始められた。矢板市の主だった要人たちが、多数招かれている。正面に唐沢の一族、右の列は警備隊や消防などの治安関係者、左の列は商工会の関係者が座っていた。正人と中沢は唐沢一族と向かい合う形で、彼らとは一番遠くに離されていた。当然、まだ信頼はされていない。用心のためらしい。
善道の弟、正義が立ち上がった。
「この度、秋津君、中沢君を得て警備隊もますます頼もしくなった。今とも、矢板市の発展のために尽力してもらいたい。それでは、乾杯」
「かんぱーい」
皆が一斉に唱和した。次に、善道が立ち上がった。
「皆さん、ご苦労様です。どうぞ、気楽に食事をしながら聞いて下さい。私が矢板市に奉職して三十数余年、その間いろいろあったが何とかやって来られたのは、ひとえに皆様方のおかげと感謝しております。辛いこともありました。悲しいことも、嬉しいことも、楽しいことも・・・・。え~何だ・・・・、ちょっと待ってください」
善道はイスに座り込んだ。頬杖をついて、目をつぶって考えた。そして、そのまま寝てしまった。席の大半の者たちが、マズイと思って睡眠の誘惑に必死に抵抗していた。そんな中、佐藤だけが姿勢を正したまま、腕組みをして目を瞑っている。
不気味な存在ではあったが、正人たちは予定の行動に出た。中沢が「ちょとトイレに」と言って出て行った。その後正人は、席を立って廊下に出た。
「どこへ行く」
廊下に目をヌメリと光らせた小夜が、ふらふらと出てきた。正人は困った。小夜にねめられて、うまい言い訳も思い浮かばない。正人は意を決した。素早く駆け寄り、素早く当身を食らわせた。
「ぐうっ」と言って、小夜は恨みがましく正人を見てかがみ、崩れた。
「こりゃあ、死ぬほど恨まれますよ」
すでに山口も席をたって、後ろにいた。
「イヤな事を、言わないでください」
「そうでね、急ぎましょう」
山口は、馬の用意に走った。正人は追ってが掛かった場合を想定し、後ろを警戒しながら予定の場所を目指した。唐沢の館を出ると、守衛が倒れているのが見えた。
「待て!」
突然の誰何に振り向くと、男がいた。手に、鈍く光る日本刀を持っている。
「秋津だな。どこへ行く」
「あなたは誰です」
「第二警備隊副長、新見という者だ。それよりお前、小夜さんをどうするつもりだ。小夜さんは、お前と一緒になるつもりだぞ」
「どうもこうもするつもりは、ありません。俺は出て行きたいだけです」
「それは、ちと冷たいじゃないか。小夜さんは、いろいろ悪くいわれているがいい人なんだぞ。可愛いところもある」
小夜を、別な見方をする男がいた。正人は意外な思いがした。『蓼食う虫も好き好き』を具現する男だ。
「あなた、小夜さんが好きなのですか」
「・・・・」
「ならば、あなたが小夜さんと一緒になればいいじゃないですか」
「そうはいかん。小夜さんは、お前が好きらしい」
「迷惑です。俺は小夜さんが嫌いだ」
「ならば、首を置いていけ。そうすれば、小夜さんも満足するだろう」
「無茶な。どうでしょう、ただとは言いません、金券があります。俺たちは、常に金を持ち歩いているわけじゃない。危ないし、重たいですからね。金券を持って、近くにある那北の出張所に行って必要なだけ金に代えるのです。それを、全部げましょう」
「ふ~む、いくらあるんだ」
「相当な額ですよ」
正人は、服の下に手を入れた。正人が出したのは、拳銃だった。『パン』と乾いた音がして、銃弾は過たず新見の額を打ち抜いた。新見は驚愕の表情のまま、ドッと棒のように仰向けに倒れた。銃声で、さすがに館が騒然としてきた。バラバラと人も出てきた。正人は予定の場所へと急いだ。