7 採用試験試合
山口は、登り口の門番に軽く手をあげて通過した。坂道はジグザグに折れながら、上に登って行く。山肌全体に桜が植えられていて、花見の名所だという。しかし、開花はまだ先だ。丘の中腹に、広く開けた場所が出現した。ここにも番人がいた。山口は軽く礼をして通る。正人も中沢もならった。
「ほう、広いですね。サッカーが出来そうだ。これって、個人の邸宅なのですか」
「個人の邸宅に違いありませんが、現在は市長公邸といったところでしょうか。なにしろ、お殿様みたいなものですから」
「あそこに建物があるけど、あれが唐沢の家ですか」
「あははは」
山口は、大口をあけて笑った。
「あそこは、寄宿舎、準備室、用具室などの建物です」
「ああ、どおりでボロい。いや貧弱な、いや質素な建物だと思った」
「あは、そのとおり、オンボロな建物です」
オンボロな建物からは、パラパラと人の出入りがあった。
「唐沢善道は、一代で矢板市の独裁体制を作り上げた人物です。自己顕示欲の強い、ギトギトと脂ぎった男ですよ。もっと、権力を誇示するような豪勢な家に住んでいます。そこへ、案内しましょう」
山口は、丘の頂上を目指した。頂上の入り口には、守衛がいた。唐沢の家に近づくにつれ、番人の数は増えるようだ。丘の上には大きなイチイやモミ、杉などに囲まれて3階建てのどっしりとした建物が、あたりを睥睨するかのように建っていた。
「まるで、お城のようですね」
「豪勢なものだ」
「すごいでしょう。この建物が矢板市の一番高い建物です。いつの時代でもその地域で一番高い建物が、その地域の一番の権勢を象徴するものといわれます。中世の教会、戦国から江戸期のお城、近代からの都市部のビル群など、そしてこの建物もそうです」
3人は、しばし無言で唐沢の家を見つめていた。
「今日は、ここまでです」
山口は踵を返すと、二人を先程のボロっちい寄宿舎へと案内した。
「福田さ~ん、お二人さんご案内~」
「は~い」
山口は明日また、と言って帰った。
翌日、正人たちの周りが、何やらバタバタと騒々しかった。同じように、駆り集められたのであろう十数人と共に外に出ると、すでに警備隊が整列していた。先頭には、第一警備隊隊長の佐藤の顔も見える。正面とおぼしきところにはテントが張られ、机が置かれイスには何人かが座っていた。
「気を付けー」
士官が号令をかけると、警備隊隊士が一斉に姿勢を正した。テント内にいた者たちも、立ち上がった。正人たちも倣って姿勢を正した。やがて、唐沢善道とおぼしき人物が歩いて来るのが見えた。上背があり、痩身だ。油紙のような色肌が、テカテカとしている。薄くなった白髪を、ぴったりと頭に貼り付けていた。善道の後ろには、黒い服を着た若い男と白い服の女が従っていた。
善道は、軽く手を上げると席についた。
「休め!」
係りの者何人かによって、応募志願者たちは一班と二班に分けられた。そして、二つの班同時にトーナメント方式の試合が始まった。審判は、佐藤と山口だ。
正人は勝ち続けた。一班に入った正人の竹刀に、敵対する人物はいなかった。まるっきり我流の者、構がスキだらけの者、面小手など防具さえ満足に付けられない者ばかりだ。正人は、対戦する相手に一交も与えず勝ち続けた。
気が付けば、二班は案の定中沢が勝ち上がって来ている。正人は、こんな形で中沢の棒術と争うハメになるとは思わなかった。しかし、当の中沢は心なしか嬉しそうに見える。
佐藤も始めからこういう対戦になる事を、予期していたような顔だった。警備隊員は思わぬ好カードに喜んでいる。善道も身じろぎもせず、熱心に見入っていた。
そんな中で正人は、自分に注がれている粘り着くような視線を感じていた。驚くとか、意外なとか、注目するとかの尋常な視線ではなかった。蛇のような、おぞましいばかりの視線が絡み付いて来る。視線の主はすぐわかった。善道に従って来た、白い服の女だ。女は、善道の後ろに立っていた。ワカメのような髪を額のところで細い紐で結び、後ろにたらした髪は先端のところをリボンで結んである。背が高いので、よりいっそう痩身が目立っていた。
「始めっ!」
試合が始まった。
中沢は右足が前の猫足立ちで、斜めに構えた。
正人は、中段よりやや下に構えていた。正人は中沢の構えを見て、つつーと左に動いた。
中沢は、逆手からくるつもりかと思った。順手より逆手の方が、わずかに反応が遅いのを狙った動きとみた。中沢は半身の構えを崩さず、正人の動きを追った。なめらかな正人の動きが、つっと素早く動いた。中沢は、軸足を中心に廻る。
「ぬっ!」
中沢は棒を垂直に立て、防御の体勢を取った。太陽を背にする事が、正人の意図と覚ったのだ。
カッと正人の左横面がきた。意外にも順手側にきた。中沢は、かろうじて払った。当たり前のことを、失念していた。正人の人の好さを見て、こうあるはずと決めてかかっていた。ウカツだった。勝負の正人は、別人のごとく狡猾さを見せている。
正人の攻撃は休む間を与えず、鋭く中沢を襲った。次々と繰り出される鋭い攻撃に、中沢は堪らず大きく左に跳んだ。意外にも、正人は追って来なかった。中沢は自分の跳んだ先が警備隊の前と知った。正人は、警備隊の壁を避けたのだ。
中沢は体勢を立て直した。息も乱さずに、正人は元の構えのままいた。中沢が、ジリジリと間合いを詰めた。その分、正人は後退する。間合いの長さは、中沢の棒の方が有利だ。後退しながら、正人は右に動いていた。
中沢が今度は、正人との間合いを平行に移動する。正人の動きが止まった。テントの前だ。
正人の目を追っていた中沢の視野に、ゆっくりとワカメ女が入り、ダブった。その双眸が目に入った瞬間、ぞわっと背に悪寒がはしった。
「きえー!」
その一瞬の動揺をついて、正人の竹刀がはしった。
「くっ!」
とっさに、中沢は棒を水平に構えた。べきっと音がして、棒を突き破った正人の竹刀が中沢の目の前で止まっていた。中沢は、大きく後ろに跳んだ。
「まいった」
中沢の背に、冷や汗が流れていた。
二人の試合を見守る者たちの、息を吞んだような静寂があった。
「それまで」
佐藤の判定で呪縛を解かれたかのように、ウオーと歓声がが沸き上がり拍手が沸き上がった。