6 唐沢一族
正人と中沢は夜明け前、押し込み強盗の仲間割れとして届けるよう言っておいた。正人は他人事ながら、このような治安の乱れた地域で暮らすのは、難しいだろうなあと気の毒に思えた
娘が「何もお礼ができません。せめて、これだけでもお持ちになってください」と、暖かいオニギリを差し出した。その縋るような眼差しが、心に突き刺さったままだ。
昨日の雨はウソのように野辺はうららかに晴れ、陽射しが降り注ぎ目に鮮やかな緑の絨毯になっていた。
「検問所ではあんなに厳重な警備なのに、市内は治安が良くないようですね」
「どこもここも、そんなもんだよ。警備は、自分の都合だけでやっている。むしろ、那北みたいのは、珍しい方なのだ」
「そんなものですか」
中沢圭吾という男は、経験豊富らしい。世知にも長けた男らしいが、今一つ正体がはっきりしない。しかし、俺のことや那北のことは意外と詳しい。議長も言っていた『お前は、経験が不足している』と。まさしく、自分が井の中の蛙だと実感できた。
だいぶ、陽も高くなってきた。一本道の向こうに、柵らしき物が見えた。
警備兵らしきも見える。
「この辺も、唐沢一族の勢力圏なんですかね」
「どうも、そうらしい。仕方ない、相手の出方を見る。高飛車に出たら、強行突破だ。下手に出てきたら、ようす見」
二人は、なお進んだ。
「馬を下りよう。無用な警戒は避けるのだ」
二人は下馬し、なおも進んだ。その時警備兵の士官らしき者が、同じく馬を下りるのが見えた。
意外な思いがする。警備兵は五名、士官が一人、馬一匹。強行突破も可能と思えるが、相手は下手に出てきた。これは、何かウラがある。正人は、悪い予感がした。士官が前に出た。
「私は矢板第一警備隊隊長の佐藤公康という者だが、君たちの姓名を聞かせてもらいたい」
「中沢圭吾という」
「秋津正人です」
「ほう・・・・君が、那北四天王の秋津君か」
またしても、自分の与かり知らぬところで、那北や自分たちのことが知られている。
「昨夜、吉の目地区に押し込み強盗が入った。家人の話では、仲間割れを起こして、斬りあいになったということだ。君たち・・・・知らんかね」
「初耳だ」
「知りません」
「そうかね・・・・」
佐藤は、やけにニヤニヤしている。
「まっ、いい。ところで、今はこんな情勢だ。矢板市では、広く有能な人材を募集している。どうかな、テストを受けてみないか」
「嫌だと言えば、不審のかどで逮捕すると言うんだろ。どっちみち、行かなきゃならないらしい」
「そう、出来れば穏やかにことを進めたい」
佐藤は、二人に先を歩くよう促した。いくらかも歩かないうちに、正人は異様な殺気を感じた。
「ぬっ!」鞘なりを聞いた瞬間、振り向きざま鉄手甲で撥ね、そのまま後ろに大きく飛び抜刀した。見ると、佐藤が抜き身を構えている。中沢も大きく脇に飛んで、錫杖を構えていた。
「ははは、すまない。今のは予備テストだ。はははは」
佐藤は刀を納め、もとのニヤニヤ顔に戻っていた。
「さすがは那北四天王の一人、感服しました。中沢さんもよろしい。合格です」
佐藤は市庁舎に着くと、山口という副官を紹介した。
「山口亮といいます。どうぞよろしく。さっそく、ご案内しましょう。こちらへ」
山口はやけに腰が低く、愛想がいい。軍隊組織に近い警備隊なのに、武骨な面がまったくない。
まるで、セールスマンのようだ。山口は、市庁舎をざっと案内すると外に出た。
「ここが矢板中学校です。統合校です。小中高と入っております」
「あれは」
グランドでは、数十人が隊列を組んで走っていた。
「グランドは、警備隊の訓練場としても使います」
次に山口は、小高い丘を目指した。
「あれが、現市長唐沢善道様の館です。案内しましょう」
「市長に様づけですか」
「さようです。一応たてまえとしては、矢板市は民主的な行政組織です。しかし、この十年市長選挙は無いと聞いております。他に立候補者がいないので、現市長の無投票当選が続いているんだそうです。そして、それは現市長が死ぬまで続くといわれています」
「矢板市は、唐沢の私物のようなものか」
「正解、そうなんです。議会、裁判所はもちろんのこと警備隊も商工会も、すべて唐沢一族が牛耳っております。ここでは唐沢一族に逆らっては、一瞬たりとも生きてはいけません」
正人は、山口のあまりの口の軽さを危うくないのだろうかと疑問に思った。
「余計なことかも知れませんが、俺たちみたいな一見の者に、そんな軽々しく内情を話しても良いのですか。俺たちを怪しい奴だとは、思わないのですか」
「別に、気になさる程のことはありませんよ。私の話す事など、誰にでも分かることです。それに今時、怪しくない人を見つけることの方が大変でしょう。市長は唐沢善道ですよ。息子は善雄に善行、善道の弟は正義。その他、唐沢一族は善良な人と正しい人ばかりですよ。すごいでしょう」
「名は体を表さないんだ」
「ご明察。さっ、どうぞこちらへ」