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那北の春  作者: 森三治郎
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5 美弥と亜弥

 正人と美弥と亜弥は、子供の頃から一緒によく遊んでいた。遊び場所は野に山に川にと、こと欠くことは無い。美弥がリーダーで、正人と亜弥は子分といったところだ。引っ込み思案気味の正人は、強引な美弥と活発な亜弥に引きずり廻されていた。

小学校に入って、三人は揃って剣道を始めた。美弥は同時にバイオリンも始めている。才能があり、天才肌だったのだ。その美弥は、高校を卒業すると剣道を止めてしまった。

「何で、止めてしまうんだ。俺は、まだ一度も美弥に勝ってないんだぞ」

正人は、美弥に問い質した。非難めいた口調になっていた。美弥は、子供を諭すかのような顔をして言った。幼い頃から、美弥の方が順位が上だったのだ。

「もし私と正人が真剣で殺し合いをしたら、私は負ける。私は正人を傷つけることは出来ても、息の根を止めるまでには至らない。しかし正人の力があれば、私を破壊することが出来る」

「そんな・・・・」

「無論、そんなつもりはないわ。今のは理論の話よ。しかし、私たちが習っていたのは剣道なの。剣術じゃなく剣道。解る。つまり、技術の習得が主目的ではなく、いかに平然と人を殺すことが出来うるかという精神を練り上げることを主目的としているのよ。いかに腕が良くとも、気後れすれば負ける。反対にそれ程の腕でなくとも、度胸が据わっていれば勝つ可能性が高い」

何という言葉だろう。とても、二十歳前のお嬢さんのセリフとは思えない。昔から、女にしては理論的というか、理屈っぽかったが・・・・。

「技は力の内にあり。・・・・お解かり」


 正人は高校を卒業してからは、指導員として剣道と国語を教えていた。那北自治会の学校は、正式な先生は校長しかいない。実質的に教えているのは、優秀な成績で卒業した者たち、指導員だった。美弥は音楽の指導員になった。亜弥はまだ在学していた。卒業まで、あと一年ある。亜弥は剣道も音楽もとっていた。亜弥の剣道は、練習ではさほど強いとは思えないのだが、試合になると意外に強い。まもなく、正人は気付いた。亜弥は打ち込みざまに、気合とともに相手の弱み、気にしているところなどを、早口で(ささや)いているのだ。

ハゲ、デブ、ノロマ、短足など、気にしているところを鋭く突く。そして相手の動揺を見透かして、すかさず一本を取ってしまう。時には、短小とか皮っかむりとかドッキリするような、気にしている場合は傷口に塩を擦り付けるような、エゲツないことまで言っている。相手は言葉で打たれ、竹刀で打ちのめされてかなりめげるようだ。

秋の大会、亜弥と山崎修司の試合では、正人が審判を務めていた。二人は実力が伯仲していて、お互いに決め手を欠いていた。亜弥は例の手に出た。

「短足」

修司は動じない。

「ブサイク」

動じない。

「ええい!皮っかむりがー」

修司は面越しに、ニヤニヤと不気味に笑っている。

「むけてるわー」

攻撃に転じた。

「見せてやるぞー」

「見たくない」

「見ろ」

「やだ」

「正人のだったらええんかー」

「くっ!」

突然、亜弥がいっきに引いた。亜弥が動揺したらしい。形勢はいっきに修司に傾くかにみえた。修司もそのつもりか、余裕さえ伺える。

「どうした」と中央で待ち構えていた。

亜弥は、追い詰められ窮地に立たされた獣のような眼差しをしていた。

それは、別人の感があった。

その射竦めるような眼差しで、修司を睨んでいた。そして、ジリジリと修司との間合いを詰め始めた。修司は(さと)った。俺は、触れてはならない亜弥お嬢様の逆鱗(げきりん)に触れてしまったらしい。さっきまでは、オチャラケといわないまでも、とても正当とはいい難い不真面目っぽいものがあった。しかし、今は別人の感がある。張り詰めた殺気があった。

亜弥の端正だった姿勢が、やや猫背ぎみになり前傾していた。修司は背に悪寒がはしった。冷汗が出てきた。口中がネバネバしてきた。亜弥は、あの正人がどうしても勝てなかった美弥の妹なのだ。もはや、その強さは伝説となっている美弥の妹なのだ。(めす)(ひょう)のような、恐ろし気な本性を現したのだ。

審判の正人も、背に悪寒がはしっていた。この緊迫感、張り詰めた空気は美弥そのものだ。

道場内の多くの見学者が、固唾(かたず)を吞んで試合の行方を見守っていた。いつの間にか、間合いは詰まっていた。なお、殺気をはらんでジリジリと亜弥は間合いを詰めてくる。その分、修司は後退していた。ふと気付くと後がなかった。

「キョェエー!」

怪鳥のような叫びで、亜弥の突きが繰り出された。

「グッ!」と叫んで修司は仰向けに倒れた。

「一本、それまで」

亜弥の崩れたような突きを、修司が受け損なったような感じに見えた。しかし、そうではなかった。亜弥の鋭い突きは、正確に修司の喉を突いたのだ。修司は、かろうじてそれをかわした。瞬間、二打目がきた。それが掠った。と、思ったら次のやつをまともに喰らった。

修司は中央に戻って礼をしようとして、そのまま倒れた。

「すぐに医務室へ」

正人はすぐ駆け寄ると、素早く指示した。亜弥は大きく肩で息をしている。

それにしても、何という鋭い突き、凄まじいまでの三段突き。正人は、亜弥の別の顔、空恐ろしいまでの凄みを垣間見(かいまみ)る思いがした。


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