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今更

 夏休みが開けると、呆気ないくらいにあっという間に文化祭の日はやってきた。


 僕達天文部のプラネタリウム製作は、事前の準備、そして身内が承認側にいる甲斐もあって無事満額費用を回収して、目論見通りのプラネタリウムを製作できた。嬉しかったことは、文化祭実行委員会に提出した見積額と使用額の差し引きがごく僅かだったこと。この姿になってそれなりの時間が経ったが、社会人時代の経験はまだ体は覚えているようだった。


 森下さん達のクラスの映画撮影は、夏休み中に何とかクランクアップしたらしい。ネタバレ防止とのことで、撮影にまでは僕達を同伴させてくれなかったが、連中の満足げな顔を見るに出来栄えは主観では悪くないのだろうと思われた。


 そんな順風満帆な中で迎えた文化祭当日だったが、吹っ切れたような顔をする森下さん。そして日頃の彼女と比べれば少し舞い上がっているのが見受けられる藍とは異なり、僕は少し気落ちした状態でその日を迎えたのだった。


 あの日。

 森下さんに謝罪をした日、彼女の仮説を聞いた日。


 かつての十年間。

 たくさんの思い出を共有した藍と。

 ずっと支えてもらっていた藍ともう会えないのだと悟ったあの日から、僕の気持ちはずっとこんな調子だった。具体的に言えば、ナイーブ、というやつだ。


 神様は、僕に後悔をさせるためにこの十年間のタイムスリップを起こした。


 いつか藍に、後悔をするのは当然だと諭されたことがある。だから次から対策していけばそれで良いと、慰められたことがある。


 でもそれは、取返しのつく後悔に限られるのだとこの時学んだ気がした。


 いつまでも気落ちしてられない。そう思って、空元気ながらいつもの自分の感じで周囲とは接していた。

 でも、心にはずっとぽっかりと穴のようなものが開いていた気がした。


 その穴は、活気づいた文化祭中の学校の熱気を以てしても改善される兆しはなかった。


 だから僕は、プラネタリウム講演とクラスの模擬店の僅かな隙間時間に、一人で校舎を出て校庭の木陰で青空を見上げていた。


 ここは、いつからか藍と一緒に昼ご飯を食べるようになった場所。


 本当はここにも来たくなかったが、今静かな場所はここくらいしかこの学校には残されていなかった。


「何やってるの」


 だから、か。

 彼女に。


 藍に、見つかったのは。


 ゆっくりと、声がした背後を振り返った。


 藍は、いつも通りのクールな様子でそこにいた。


「夏休みからやってきたことの成果を発表する場でしょ」


 藍は、言葉少なくそう僕を諭した。

 それはつまり、こんな場所で油打っている暇はないだろ、と言う意味だ。


「そう、だね」


 言われていることはわかったが、立ち上がる気力はあまりなかった。


「……今度は、何?」


「え?」


「あんた、また悩んでいるでしょ」


 言い当てられた。


「それも、ここ最近ずっと」


 それも、ずっと前からバレていたようだ。


 本当に、彼女には敵わない。


 僕は苦笑した。


「後悔しているんだ」


 そして、僕はそう呟いた。


「あんた、本当に後悔ばかりだね」


 藍は、そう苦笑した。


「ま、あたしも人のこと言えないけどね」


 そして、そう続けた。


 藍の後悔。どうしてか、あまりイメージが付かなかった。いつだって不愛想に言葉少なく、僕を厳しく優しく、正してくれるのが藍だと思っていた。


「藍は、どうして後悔をしているの?」


「素直になれないから」


 ただ、そう言われれば腑には落ちた。

 珍しく藍は、苦笑していた。文化祭の浮かれた雰囲気に当てられているのかもしれない。


「直さないととは、思ってたんだけどね」


「……十分、改善され始めているじゃないか」


 以前の十五歳の時、僕が見ていた藍と違い、今の藍は随分と物腰が柔らかくなった気がした。


 いつか、僕が言わないとわからないとそう言ってから。

 いつか、僕達が一人では同じ過ちを繰り返すのだと悟ってから。


 彼女は、本当に変わった。


「今更改善されたって……遅いこともある」


 ただ、藍は納得はしていないらしかった。その藍の言葉を翻す真似は出来そうもなかった。藍の言いたいことは、どうしようもなく理解出来た。何故ならそれが、今の僕が立ち直れないと思っている主要因なのだから。


 ……あの時の藍にした行いを弁解する余地が、取り返す機会が、もうないことが僕が立ち直れない理由なのだから。




 ただ。



「少し、妬けるな」



 藍に、かつてそれだけ想われていた人がいたことには、少しだけ嫉妬を覚えた。ここまで来て、そんな女々しい感情が浮かんできたことには、苦笑するしかなかった。




「馬鹿ね」




 藍は、そんな女々しい僕を見て、そう言って微笑んでいた。




「今も昔もあたしが後悔することは、あたしが失敗したなと思うことは……大切な人に対して酷いことをしたなって思った時だけだよ」


 ……よくわからず、僕は首を傾げた。

 藍は、途端顔を真っ赤に染め上げた。ニブチンめ、と僕を憎々しげに睨み始めていた。


 しばらく睨み続けて、


「つ、つまり……あたしが後悔したと思うことは、あんたに酷いことしたなって思った時だけって意味! わかった?」


 僕が一向に理解する気配がないことを悟った藍が、真っ赤な顔でそう叫んだ。




「まったく。日頃なら絶対こんなこと言わないのに……」


 そう呟く藍が。


『後悔しないなんて、無理だよ』


 いつかそう言った藍が。


『仕事仕事って、そんなに忙しいなら辞めればいいじゃない』


 かつてそう言った藍が。




 僕の中で、重なった。




 四肢の自由。

 五臓六腑。


 視線。




 そして、言葉。




 僕は、藍に全てを奪われていた。

 見惚れていたわけではない。勿論、今の藍の恥じらいある顔もとても魅力的ではあったのだが……僕は今、彼女に対する想いよりも優先すべきことがあった。


 それは何か。


 それは……あの十年前、タイムスリップ直前の藍と、今の藍が僕の中で重なったことだった。


 今ならあの時、どうして藍があんな突き放すような口調で仕事を辞めたのか、と迫ったのかわかる。

 あれは、僕の身を案じてのこと。仕事に精を出し、身を削る思いまでしていた僕の身を案じてのことだったのだ。


 藍は……今も昔も、僕のことを大切に思っていてくれたのだ。


 今も。




 『昔』も。




 今、確かに藍はそう言った。

 昔から、僕のことを大切に思っていてくれた、と。


 

 でも、僕達の出会いは高校に入ってから。

 この世界での僕達の時間は、ごく僅か。かつての濃厚な十年間に比べれば、本当に短い時間でしかなかったのだ。


 そうだ。

 思えば前の世界で、僕と藍が交際を始めたのは高校三年生になってからだった。


 なのに僕達は、たった数か月の出会いで交際をスタートさせた。


 僕がタイムスリップしたことが影響で、運命が変わった?

 森下さんが介入してきたことが影響で、変化が起きた?


 いや、そんなはずはない。


 だって、森下さんは言っていた。

 このタイムスリップで人生が変わることはないと。


 以前より早期に交際を始めることは、以前とまったく同じ人生を歩むことになるのだろうか。


 時間が増えれば事象は増える。


 今のように。

 藍と一緒に高校の文化祭を回れた、という事象のように。


 一つの思い出が増えて、傷心の心を癒す軌跡になる。


 僕の人生は今、変わり始めているのだ。



 人生の変化。

 そして、藍の言う『昔』。




 ……一つの仮説が、浮かんだ。



 

 気になりだすと途端……たくさんの疑問が浮かんだ。


 連絡もしていないのに藍が僕の家の場所を知っていたこと。

 クールな藍とは関係が薄そうな森下さんを彼女が嫌っていたこと。

 僕が天文部に入ったと告げた途端、天文部に入ると藍も告げたこと。

 僕が距離を置こうと思ったのに、藍との関係が疎遠にならなかったこと。

 横断歩道の設置場所に、以前僕が事故を起こした場所が入っていたこと。


 ずっと疑問に思ってこなかった。

 いや、疑問に思っても、そんなことあるはずないと思っていたのだ。




 何故なら……。




 人生とは、後悔の連続だから。

 人生とは、やり直しの効かないものだから。

 

 だから、そんなはずがないと早々に思考の外へと追いやってきた。


 ……でも。


 まさか。

 そんな、まさか。




 ……藍。



 まさか。

 君は、まさか……。




 なんと言うべきか迷った。


 この想いを、仮説を。


 藍に……何と言うべきか。




『言わないと、わからない』




 迷って、そうして浮かんだ言葉は……その言葉だった。




「……藍、聞きたいことがある」


「何?」


 深刻そうな僕の顔を見て、藍は少し驚いた顔でそう言った。


「横断歩道の設置の件、覚えている?」


「勿論」


「……あの時、公安委員会から資料が届いた。ここに横断歩道を設置しますよって資料だ。その資料に一箇所、あの時僕達が申請をした場所以外に横断歩道が設置されますよって、そう資料に書かれていたの、知ってた?」


「……うん」




「……あれ、そこに横断歩道を設置するよう申請したのってさ。君、なのかい?」




 生唾を飲みこんでいた。

 藍の一挙手一投足から、目が離せなかった。


 藍は。


 顔を見上げて、一瞬逡巡して。


「そうだよ」


 そうして、意を決したようにそう言った。


 体に電流が走ったような気がした。それくらいの衝撃を感じた気がしたのだ。

 唇が震えた。歓喜からか、はたまた驚きからか、恐怖からか。


 わからなかった。


 でも、僕はもう止まれなかった。




「君は、十年間の記憶、あるのかい?」




 涙が溢れていた。

 声は震えていた。


 どうしてかはわからない。


 でも今は自分の感情などどうでも良かった。


 藍がなんと言うのか。

 藍が、そうなのか。


 全ては、それだけ。


 それだけだった。




 ……藍は、




「今更?」




 そう言って、苦笑した。

本当、今更やわ

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