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予想外

「暑そうだね」


 遠くで鳴くセミの声を聞きながら、非常階段にいる藍へ話しかけた。

 森下さんは天文部員も含めて全員ファミレスにいると言っていたが、ここに藍がいると言うことはそれは嘘だったらしい。いや、藍ならそもそも誘われた時点で断っていそうなものだな、と声をかけてから気が付いた。


「ん」


 簡素な返事に、一つ苦笑した。

 僕は非常階段の日陰に座る藍の隣に腰を下ろした。夏本番の外は、やはり暑かった。制服の夏服が、早速汗ばみだしていた。


「ファミレスには行かなかったの?」


「別に、遊びに来たわけじゃないから」


「……それもそうだ」


 藍の意見に、全面的に同意だった。

 僕達がしに来たことは、あくまで森下さんのクラスの映画撮影の手伝いなのだから。


 まあ、そのクラスの連中が遊び気分で学校に来ていたことはわかっていた。作業中の態度だったり、今回の一件だったり。


 せめて本気を出して作業に取り組んで欲しいものだが、僕の話など聞きはしないだろうな、連中は。

 かつての十年間、仕事の時にも度々味わったことがある感覚だった。

 納期に間に合わない仕事に、納期が間に合わないとわかったからこそヘルプで呼ばれ、そして一緒に大変な思いをすること。

 まるでそれは、沈むことがわかっていた地中海ツアー豪華客船に乗り込んだような、絶望感。

 ゆっくりと襲ってくる破滅の時に向けて、抗う術もないようなそんな気分だった。


 本当に、貧乏くじを引いてしまった。


 こんなことなら、プラネタリウムの件を早々に諦めて深入りなんてするんじゃなかった。一つ目の依頼を脅され引き受けた。あれが結局尾を引いている。あれが成功したから、費用面の手引きが上手くいくと思ってしまって安心しきっているから、立場的に上である森下さんの依頼に欲が出て断れなくなってしまっているのだ。


「ごめんね、巻き込んで」


「……何言ってるの」


 謝罪すると、藍は言った。口調から怒りの感情を感じたが、会話の流れから察すると巻き込んだことに対する怒りではないらしかった。


「あんたが悪いわけじゃないでしょ」


「……そうかも」


 諸悪の根源が誰かと言えば……森下さんで間違いない。

 本当に、最近の僕は彼女にかき乱されまくりだ。生活の方も。精神的な方も。あれが、後先考えずに僕を欲するあの人のやり方か。


 僕の気持ちもいざ知らず。周囲の反応もいざ知らず。


 一つの目的に向けて、根回しをしていく。

 根回しされれば最期。まるで建物に複雑怪奇に絡みついたいばらのつるのように、僕の身を絡みとって離さない。


「このままだと、キャンプも危ない……」


 思わず頭を掻いた。

 苛立ち、焦り。碌な心境ではなかった。


 いっそのこと、このまま天文部を退部して全てのしがらみから解放されてしまおうか。

 ……それが出来る人種なら、そもそもここまで悩みやしないのだろう。


 隣にいた藍は、作業の進捗具合が芳しくないことは察していなかったのか、のんびりとお昼ご飯を食べていた。


 なんとなく藍なら共感してくれそうなものだったから、僕は余計に焦りの気持ちが強まった。それほど森下さんの思惑通りに事が進んでいるということだろうか。


「ねえ」


 藍が呆れた声で、僕に声をかけた。


「ん?」


「お昼、食べたら?」


 そう冷たく言いながら、藍は僕にお弁当箱を差し出した。さっき手にしていたお弁当箱とは違う。恐らく僕用に用意してくれていたのだろう。


「……ありがとう」


 断るのも申し訳なく、僕は藍から弁当箱を受け取るとそれを食しだすのだった。

 慌てていた気持ちも、ご飯を食べていると少しずつ落ち着いていくのがわかった。藍の手料理の味は、いつも通りの馴染みある味だった。


「……ねえ、一ついい?」


 僕が落ち着いた様子を隣でジッと見ていた藍が、再び声をかけてきた。


「何?」


「キャンプ、どうして行けないの?」


 藍は、少し寂しそうに尋ねてきた。


「……行きたく、なくなっちゃったの?」


 今にも泣きそうな藍の声に、一つの回答ミスも許されない状況であることを僕は察した。態度には出さないようにしたが、背中に不快な冷たい汗が伝っていた。


「そんなことあるもんか」


 一先ず、不安の解消の言葉を僕は発した。


「じゃあ、なんでよ」


「今の仕事、このままだとキャンプまでに終わらないだろう」


「……で?」


「え」


 首を傾げる藍に、思わず間抜けな声が出た。藍はと言えば、心底疑問そうな顔をしていた。


 ……そうか。

 藍は、森下さんが僕達がキャンプに行くことを妨害するために自分達のクラスの手伝いをさせたことを知らないのか。知るはずもないか。きっとそのことは、僕だって森下さんだって言っていないのだから。


 だったらそれを伝えて……いや、伝えたら多分、話は余計こじれる。


 ……どうしたものか。

 

 あーでもない。

 こーでもないと頭を抱える僕に、


「あの人のこと、考えてる?」


 藍は冷ややかな視線を送っていた。

 あの人とは、多分森下さんのこと。その通り、その人のことを考えていたことは筒抜けだっただろう。


「……まああの人性格悪いし、確かにプラネタリウムの件で脅して駄目だって言うかもね」


「……うん」


「でも、とりあえず言ってみたら? 言ってみて、駄目ならそれから考えましょうよ。言わないとわからないでしょ?」


 いつか、藍に言った台詞をこんな形で引用されようとは。


「……ねえ、藍?」


「ん」


「君から言ってくれない?」


 ここ最近、あの人にかき乱されっぱなしなせいで、いつにもまして僕は逃げ腰だった。別に言うこと自体が嫌だったわけではない。それを言って、また余計な厄介ごとを押し付けられたくなかったのだ。どうやら僕は、藍同様森下さんにも口論で勝てないようだったから。


「嫌」


 しかし、藍に僕の願いは即否定されてしまうのだった。


「あの人と話すだなんて、絶対嫌」


 そろそろ昼休みも終わろうという時間。

 外でどんちゃん騒ぐ声が聞こえてきた。聞き慣れた声だ。


 非常階段から校舎の方を覗けば、玄関先に森下さん達がいるのを見つけた。ファミレスに行った割には随分とお早い帰還であった。


「……あれ?」


 気付けば、非常階段に僕を残して、藍は姿を消していた。どうやらそれくらい、彼女は森下さんと話をしたくないそうだった。


 とりあえず僕は藍持参の弁当を食べあげて、教室へと戻ったのだった。

 弁当片手に教室に戻ると、藍は既に作業を再開していた。黙々と一人作業する姿は、なんだか藍らしい。


 ……言ってみなければわからない、か。


 彼女にも僕にも足りていなかった大切なこと。

 生きる上で。他人と関わる上で、大切なこと。


 いつかあんな大口を藍に叩いた身で、その教訓から目を背けるだなんて、そんなこと出来るはずもない、か。


「……あの」


「ん?」


 背後から作業を再開していた森下さんに声をかけた。声をかけた人が僕だとわかると、森下さんの微笑みが二割増しされた気がした。

 まるで、営業用と本物用を使い分けているようにも思えた。


「青山君、どうかした?」


「……ちょっと、いいですか?」


 僕は不承不承気味に手短に森下さんを誘い出し、隣の教室に入った。


「なあにい? 二人きりで。……まさかっ」


「いや違う」


 即否定すると、森下さんはつまらなそうに目を細めた。


 ……何と言ってみるべきか。

 誘い出したものの、大切なことは一切無策で望んでしまった。いつもなら過剰なくらい外堀を埋めるのに、彼女相手だと碌に過去の教訓も活かせやしない始末だ。


「何? そんなに言い辛いこと?」


「……まあ、誰かさんの日頃の態度のせいでね」


 願い出を切り出す言葉は出ないのに、恨み節はすんなり出てきた。


「アハハ、そう?」


 あっけらかんとする森下さんに、なんだか今なら言えそうな気配を僕は感じた。


 ええい、こうなれば言ってしまった方が気が楽だ。駄目で元々。当たって砕けよう。


「……あの、来週の火曜水曜の件なのですが」


「ん?」


 一度は誤魔化そうとした藍とのキャンプのこと。

 それをダシに休みを申し出ることに、僅かばかりの居た堪れなさを感じていた。


 が、ここまで来たらもう僕は止まらなかった。


「その日、僕別の予定があるので……ああいや、僕と藍、別の予定があるので。森下さんのクラスの手伝い、出来ないです。休ませてください」


 ……言ってしまった。

 固唾を飲んで、見守った。


 得られるはずもない同意のために、僕は緊張していた。




 森下さんは……。




「うん。わかった」




「……そうですよね」


 ……ん?


「え?」


「わかった。キャンプ、楽しんできてね」


 森下さんは、僕の予想と反して、同意してみせたのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 油断しちゃダメだ……絶対ろくでもない条件をつけてくるか、キャンプ後にひどい目にあわせてくるか、キャンプにこっそりついてくるかするんだ……(疑心暗鬼)
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