薄情者
森下さんのクラスの映画撮影準備は、土日を問わず学校にて作業が行われた。
時間がないこともあり、僕達も毎日のように再び学校に通う日々を送った。作業の時間は、朝九時から十八時まで。
日頃の凝り固まった授業と違い、仲間内で仲良くやっていることが原因か、作業者達から不満の声などは一切聞こえては来ていない。
これがもし仕事であれば、休日出勤もさせる上司陣に非難が相次いだだろうが、そこはまだ子供のやるおままごとみたいなものと言うことだろう。
まあ、森下さんクラスの連中の態度を見ていると一概に楽しい場だから不満の声も出さずに作業に明け暮れているというわけでもなさそうだなと思ったのは、この教室で作業を始めて三日目の日。つまり、土曜日のことだった。
クラス準備のグループは、おおまかに分けて三つに分かれていた。
一つは、役者チーム。
台本を持ち、棒読みで演技練習に没頭していたり、仲間内でキャッキャッと楽しそうに笑っていたり、そんな感じ。
もう一つは、衣装チーム。
本映画のある意味の主役になるであろう怪人の衣装を作成している。と言っても、黒マントに白い不気味な仮面を用意するだけで、既に作業はほぼ完遂しているように見受けられる。大半の時間、仲間内でワイワイとしていた。
最後に、小道具チーム。
ここが一番人員が割かれている。
そして、一番作業が滞っているチームでもあった。単純に、このチームに一番リソースを割いているとはいえ、やることが多すぎるのだ。
映画の台本上、役者達はこれから怪人に腕だったり足だったり四肢をスッパスッパと切られて死に絶えていく。
そんな台本故、腕だったり足だったり、とにかく準備が多すぎるのだ。
それもクオリティを重視するあまり、役者の腕、足の型を取るだなんて、手が込みすぎている。
天文部一年組含め、元よりこのチームに所属していた江頭先輩、森下さん含めて、とにかく今は火の車で作業を回すことばかりに追われていた。
「森下さん、他のチームの手を借りるべきでは?」
作業進捗は、やはり予定通り進まなかった。
このままでは僕達のキャンプだけでなく、映画撮影にまで支障をきたす。そう思った僕は、その日の昼休憩、クラスの人達が教室を空けたタイミングで森下さんにそう持ち掛けた。
「んー? どうして?」
わかっているだろうに。
誤魔化す森下さんに、少し苛立ちを覚えた。
「このままじゃ、映画撮影上手くいきませんよ? 良いんですか?」
「んー。どうかなあ」
まるで要領を得ない話し合い。
……薄々思っていたが、この人はどうやら僕と藍に来週の火曜水曜のキャンプにどうしても行って欲しくないらしい。
「……構いませんが、有耶無耶にはさせませんよ?」
「どうするのかな?」
「現状を全員に認識させて、危機的状況であることを煽ります」
「どうやって? 進捗表なんてもの、誰も作ってないのに」
「……うぐ」
人は楽な方向に流れる生き物だ。
情報社会になり、情報の取捨選択が重要だなんて言っている人が、怪しいマルチ商法みたいなものに引っかかっていることを良く目にした。
あれはつまり、取捨選択と言いつつ人は自分に都合の良い話を鵜呑みにするだけの愚かな動物だという事を証明している。
だから、人は自分に都合の悪いこと。自分にとって苦痛を伴う道には簡単に進みたがらない。
今、他のチームの連中は現状に満足している。楽だから。だから、他のチームが大変な情報を目の当たりにしているはずなのに、呑気に目の前で携帯電話をいじってられる。
そんな人を説得させることは楽ではない。
ただ、映画撮影を完遂させるという大義名分があるだけまだましだ。今ならまだ、軌道修正出来るのだ。
……が、そんな連中を説得させるのに、データが足りない状況は芳しくなかった。
いつかも言った通り、人を納得させるにあたり、情報は得られるだけ得た方が有利になるのは当然の話。それを怠ることは、まさしく怠慢なのだ。
進捗表、敢えて森下さんは作っていなかったのかもしれない。
思わずそう勘ぐってしまうが、それは一先ずどうでも良い。問題なのは、無いならないで作るしかないが、そのキャパが今僕にはない、と言うこと。
こんな状態で、他チームの人間を協力させられるのか。
答えは恐らく、否であろう。
とは言え無理やりにでも話し合いの場を設けて、チーム間で対立させてしまって映画撮影自体有耶無耶にしてしまうのも手か。
いや、多分そうはならない。
小道具チームの人間だって、天文部からお助けが来たけどちょっと作業進捗やばいかなくらいの認識だろう。
人は楽な方向に流れる生き物なのだから。
そうなると対立どころか、批判の目が僕に向くだけ、と言う状況になりかねない。
それは、最悪の状況だな。
僕がどうにかなるのは構わない。
……が、天文部員。
引いては、藍にまで悪評が及ぶのは、避けたかった。
「……そんなに邪魔したいですか?」
「さあ、どうかな?」
感情的になりそうな気持ちを押さえて、僕はため息を吐いた。
いがみ合っても、しょうがない。
とにかく、この状況をどう切り抜けるのか。
予定通り、キャンプに迎えるようにするのか。
それを話しあうしかない。
「今から少し良いですか?」
「無理」
「……は?」
思わず、間抜けな声が出た。
「だって、お腹空いたもの」
文句を言いかけて、森下さんの携帯電話が鳴ったから僕は口を閉ざした。着信のせいで、文句の言葉を吹き飛ばされたのだ。
「もしもし、あ、桐ケ谷君?」
相手は、森下さんのクラスの男だった。
電話口から、少しだけ浮かれた間抜けな男の声が漏れていた。
「うん。うん。ふーん。わかった。じゃあ今から行くよ」
どうやら手短に話が済んだらしい。
森下さんが携帯電話をポケットに入れたタイミングで、僕は文句を言うべく口を開けた。
「ごめん。男子に呼ばれたからファミレスに行ってくるね」
「……は?」
「なんでもクラスの皆いるらしいから。あ、天文部の子もいるって。青山君も行く?」
……文句の言葉は吹き飛んだ。
むしろ、呆れて全てがどうでも良く思い始めていた。
「……結構です」
「あ、そう。じゃあ行ってくるね」
教室を出て行く森下さんを見送って、僕は教室の窓から外を眺めた。
どうしてこんなクラスの協力をしているのだろう。危機感を持っているのは僕だけ。このままだと、映画撮影自体失敗する可能性があるって言うのに。
……生温い風が、少し不快だった。
ため息を吐いて、非常階段を何の気なしに覗いた。
そこで一人、見知った顔を見つけた。