嫌がらせ
昼過ぎの外は、早朝に比べても一層暑かった。家から一歩外に出ただけで気が滅入りそうになったが、ここで引き返したら後でどうなるかわかったものでもなく、致し方なく僕は駅までの道を歩いた。
背中に汗が溜まった頃、ようやく僕は駅に辿り着いた。フーッと一息つくが、結局ホームも外だから暑さは大して変わっていなかった。
ようやく電車がやってきて、クーラーが効いた車内でポケットに入れたハンカチで汗を拭った。
まもなく電車が学校の最寄り駅に辿り着いた。
ミーンミーンと遠くでセミが鳴いている。車内に留まりたい欲求に駆られたが、意を決して外に出た。
このままでは溶けてしまいそうだなどと思いつつ、ようやく学校に辿り着くと、僕は森下さんらがいるだろう彼女達の教室へと足を運んだ。
映画撮影の件、と森下さんは僕を呼び出した理由を語っていた。
確か、映画撮影が本格化するのは来週の話。急ピッチで天文部の作業を終わらせたのは、森下さんと江頭先輩が映画撮影をするための道具準備に手を取られるから、だったはず。
であれば、学校に呼ばれた理由も加味して、今日僕が呼ばれた理由は恐らく道具準備に関することなのだろう。
そこまで、電車の中で考えを巡らせていた。その上で、更にどういう話が飛び出すのか、と少しだけ不安に駆られつつ、ここまで歩いてきていた。
階段を昇って、ようやく長く暑い旅路も終えられる時がやってきた。
「失礼します」
廊下を歩いていた頃から、彼女達の教室内が和気あいあいとした様子であることは、声が漏れていたからわかっていた。
その中に入ることに少しだけ戸惑いはあったが、まあ別に気にする必要もないしと飛び込んだ。
一斉に森下さん達のクラスメイトからの視線を頂戴した。
「あのー、森下さんはいますか?」
「こんにちは青山君。隣の教室にいるよ」
江頭先輩が楽しそうな雑談を止めて教えてくれた。
「わかりました。ありがとうございます」
隣の教室。
確か、いつか森下さんと色々話した教室。
一旦廊下に出て、隣の教室へ歩いて、扉に付いた窓から教室内の様子を窺った。狭い視界だったが、隣の部屋に人気はないように見えた。
まるでロールプレイングゲームのおつかいイベントでもさせられている気分だった。
これから、森下さんの痕跡でも探して、学校内を徘徊でもさせられるのだろうか。森下さんならないとも言い切れないからたちが悪い。
辟易とした気分を抱きつつ、教室の扉を開けた。
「わっ」
窓の死角、扉の真下に森下さんは隠れていた。
そして、大声を放った。
「なんだ、いたんですか」
「えー、もっと驚かないの?」
内心とても驚いたが、なんだかこの人にその姿を見せるのは負けだと思って……。
「……まあ、はい」
「そっかー。残念」
……この人、本当良い趣味しているな。
「で、本題に入っていいですか?」
「うん」
とびきり良い笑顔を見せて、森下さんは頷いた。
……十年間、僕と一緒に森下さんもタイムスリップしているんだよな。精神年齢成人越え。この人、二度目の学生生活めちゃくちゃ謳歌しているな。僕も言えた口ではないが。
「えぇと、今日結局僕は何を手伝わされるんですか?」
「おおよそ見当、付いているんじゃない?」
「……まあ」
道中、そのことばかり考えていたし。
「映画撮影のための道具の準備が滞っている、とか」
「そうなの。それで困っててね」
「その割に、さっきのクラスメイトの連中は楽しそうでしたよ?」
「危機感がないのかなー?」
「じゃあ、煽らないと」
確信犯めいている森下さんに向けて、僕は肩を落として続けた。
「来週には、撮影始まるんでしょう?」
「そう。始まる」
……言わされた。
恐らく、僕の口から言わせたかったのだろう。来週には撮影が始まることを。
当事者ではない僕が危機感を感じている。事情を把握して、その上でそれがどれだけまずいことと認識しているのか。
それを、敢えて僕の口から言わせたかったのだろう。
それを当事者ではない僕が把握し、危機感を感じていると言うことは、それだけ巻き込みやすくなると言うことだから。
この世は、言った者負けの世界なのだ。
「このままじゃ、多分映画撮影、まずいんだよね」
言われずとも、あなたはわかっているでしょう? と、言葉とは裏腹に、森下さんの態度から察せられた。
僕は苦虫を嚙み潰したように顔を歪めた。
「挽回しないと、まずいんだよね」
……僕は、遅れそうな事情を知っている。言ってしまったから、それも周知の事実。
断れない理由も存在する。
「わかりました……」
やるしかないらしい。
「ありがとう」
「確信犯め……」
「何か言った?」
「別に」
僕は肩を落とした。
「……一つ、いいですか?」
「何?」
「他の天文部のメンバーに手伝ってもらうのはありですよね」
「わかった。特例で認めるよ」
……何故、そちらが認める立場にいるのか。まあ、この際そこをとやかく言う気はない。
「いつまでに道具を準備する必要があるんです? つまり、いつから撮影はスタートするんです?」
「来週月曜から撮影はスタートよ。でもまあ、全部月曜から必要になるわけじゃない。優先的な道具から準備を始めていて、最優先の物は月曜にはなんとかなりそう」
そこまで考えているんなら、最初から間に合わせる手立てもありそうなものだったが。
僕の意を汲んでいてくれそうな森下さんだったが、そこについて弁明する気はないようだった。
「全部の道具が必要になるのは、水曜の撮影からだね。つまり……来週の火曜日までは夜なべして準備することになるかなー」
「……え」
思わず、変な声が漏れた。
来週の火曜日。
それは、僕と藍のキャンプが行われる日だった。
「……あの、森下さん。その日は……」
「藍ちゃんとの予定、ないんだよね?」
「むぐ……っ」
確かに。
いつか、その日藍と会う予定はないと言った。
「そ、それ以外にも、予定はあるんです」
「大事な予定?」
「はい」
「どんな?」
「……それは、言えません。触れて欲しくない話です」
「駄目」
「駄目って、あんた……っ」
文句を言おうと顔をあげて、迫りくる森下さんの顔に気圧された。
後ずさりして、壁際に追い込まれて……。
ドンッ
森下さんは、壁に右手を突いた。
「駄ー目」
有無を言わせぬ迫力があった。
優しい声色が、逆に殺気を孕んでいるようだった。
頬に、冷たい汗が垂れた。
「……言ったよね」
「……何を?」
「あたし、君のことが好きだったの。今でも好き」
だからって、こんなに圧をかけんでも……。
「あたしは君に、隠し事はしないよ」
……いつもなら文句を言ったり、嫌な顔をする場面だったのに。
圧のせいか。
はたまた、その言葉が正しいと思わされたからか。
反論の言葉は出てこなかった。
「君も、あたしに隠し事はしないで」
心が荒むと話を書くペースが上がると思っていた。鬱憤をぶつける意味で、酸いも甘いもある登場人物の生き様を彩るのは楽しかったから。
ただ、より一層心が荒むと何事にも手が付かなくなるのだなと最近悟った。
そう、心が荒む事件が最近あったのだ。
お盆休みが、終わった。
痴呆か?




