碌なことがない
翌日は、タイムスリップをして初めての暇な夏休みを迎えることになった。いつもの時間になっても藍はやってこなかったので、そう結論付けることが出来たのだった。
思えば、この時代に戻ってからというもの、結局藍と一緒にいる時間が長かったな、と感慨深げに思いつつ、夏休みの宿題に熱心に取り組んでいた。
さすがに宿題をするのにも飽きてきた昼過ぎあたりに、電話は鳴った。
電話の画面を見ると、相手は江頭先輩。
「もしもし、青山です」
部活のことで何かあったのだろうか。
深く考える間もなく、僕は電話に出た。
『もしもし、青山君?』
「えっ」
受話器から漏れた声に、僕は驚いた。
声の主は、明らかに江頭先輩ではなかった。ならば誰かと言えば、恐らく僕の知らない人、と言うわけではないのだろう。むしろ、声色を聞いて一人、この声の主に行き当たった人がいた。
一体、どんな用事なのだろう。
彼女に絡むと碌なことにはならない、と最近の一騒動を思い出して、僕は露骨に嫌な顔を作っていた。
『あ、今嫌な顔しているでしょう?』
「なんですか、傍で見ているんですか?」
『見てない。でもなんとなくわかる』
ケラケラ、と受話器から笑い声が漏れていた。
「森下さん、江頭先輩の電話を借りて何してるんですか?」
『お、わかってたのね。嬉しい、ありがとう』
こっちはちっとも嬉しくない。
江頭先輩と同じクラスの森下さんとは、あの日……正体を明かしあったあの日以降、彼女が天文部に入ってくる、というトピックもあった割に、関係は停滞していた。
あの日、かつての想いを告げられ。そして、かつての僕と藍の関係に一石を投じられ、色々と迷っている時間もあったのに、ここまで数日進展がなかったのは少し意外だったと今更思った。
少しだけ、同じ境遇の人間だからとからかわれていただけだったのではと思う気持ちがないわけでもなかったが……まさか今日、こうして江頭先輩の電話を借りてまで電話してこようとは。
『青山君、あたしには携帯の番号教えてくれなかったから。江頭さんから携帯借りちゃった』
「あ、そう」
『うん。お久しぶり』
「……お久しぶりです」
受話器の向こうの彼女に、不承不承と頭を下げた。
「で、用はなんですか?」
『青山君と電話したかっただけよ?』
つまり、からかいたかっただけだと?
悪い趣味である。
『冗談じゃないよ?』
「はいはい。それで、本題は?」
彼女が天文部に入部してくれてからと言うもの、藍が非常に機嫌が悪くなった。それで実害も度々味わっている……し、役得もあったが、とにかくトータルで見ると碌なことはなかった。勿論、全てが全て森下さんのせいではないことはわかっている。僕のせいだって、多分にあるだろうが……少し気乗りしないのは事実だった。
『今日、これから学校来れる?』
その質問には、二つ返事はしかねるのだった。
「どうして?」
『映画撮影の件でね』
「ああ、森下さんが嵌めてきて、僕をピエロにした映画撮影の件ですか」
恨み節をたっぷりと込めて言うも、森下さんは受話器の向こうで笑うだけだった。
『そうだね、その件』
「……はあ」
『ちょっとね、手伝って欲しいの』
映画撮影というワードが出た時点で予想はしていたが、本当にその件、か。
少しだけ、手伝う気持ちが削がれているのが本音だった。
さっき恨み節交じりに言った通り、僕は森下さんに、この件で一杯食わされているのだ。
……ただ。
「森下さん、一つ質問良いですか?」
『なあに?』
「さっき森下さんは、あくまで疑問形の体で僕に学校に来れるのか、と質問をしてきましたが、拒否権はあるんですか?」
思い出すのは、映画撮影のロケ地の許可取りの時、森下さんにされた強硬手段だった。あの時はお願いという体で依頼されたにも関わらず、最終的には協力を強制された。
今回も同じではないのだろうか。
いや、と言うか今回も同じだと思っているのだが。
『ないよ』
「でしょうね」
受話器の向こうから漏れる楽しそうな声が恨めしかった。
藍をいじったり、彼女生粋のドSだな。人によっては大好物な人、いそうだ。
「正直、断りたいんですけど」
『どうしてよ』
一つ承諾するとあれもこれもと協力させられそうだからだよ。
「……僕が仮に断って、天文部に酷い真似、本当に出来るんですか? 前回と違って、あなたはもう天文部の関係者ですよ?」
『その時は、あなたが悪いように仕向ける』
「やり口酷いな。でもそう上手くいかないでしょう?」
『女が泣けば、泣かせた方が絶対悪になるの』
男女平等とは思えない論理を展開なされている。ただ本当にそうなりそうだから否定も出来ないし……断ることだって、どうも出来そうではなかった。
僕は、諦めたようにため息を吐いた。
「わかった。わかりましたよ」
『やったっ。じゃあ今すぐ来てね』
「はいはい」
『藍……坂本さんには内緒よ?』
「わかってますよ」
藍に言ったら、露骨に不機嫌になりそうだ。
『じゃ、待ってるから』
「はいはい」
僕は電話を切って、手早く身支度をして家を出た。