ドライヤー
どれだけサボった!言ってみろ!
シャワーで不快だった汗を流して、ここ数日の悩みもどこかへ飛んでいったような爽快感を覚えながら、僕は風呂場を出た。
棚からバスタオルを出し、体を拭きながら藍が持ってきてくれた衣類を確認した。良かった、ちゃんとズボンもあった。
何かと気が利く藍に感謝しつつ、僕はバスタオルを洗濯籠に投げ入れて衣類を身に纏った。
喧しく振動している洗濯機を横目に、騒音が響かないようにと扉を閉めて脱衣所を後にした。
「ごめん。お待たせ」
「ん」
リビングに戻ると、藍はテレビを一人で寂しそうに見ていた。なんだか既視感ある光景だったが、気のせいだろうと平静を装った。
さてと、あのキャンプグッズを蒸せる倉庫から庭に広げて、その蒸せる倉庫のせいで滝のように流れていた汗も落として、クーラーの効いたリビングに入って、少し落ち着いて……。
あとは外に出て、また汗を流すだけだな!
汗を流すタイミング、間違えただろうか。
いや、外は暑いと言っても倉庫に比べたら幾ばくかマシなはず。だったらさっきよりはマシなはず。
なら、セーフ。
あの場で、折角藍がお風呂に入れと諭してくれたのだから、今更そんな……二度手間だったなんて余計な事、僕は思わないぞ。
「……ねえ」
「うわあ」
一人しょうもない事を考えていると、さっきまでソファに座っていた藍が気付けば僕の真隣まで近寄っていた。
だから、情けない叫び声をあげて……僕は更に、藍が僕に向けて手を伸ばすものだから、驚き体が硬直してしまったのだった。
何をされるのだろう。
冷や汗を垂らしながら、藍の動向を目で追った。
「駄目じゃん」
藍は、僕の髪を優しく触った。
濡れた髪が、皮膚を冷たく刺激した。
「髪、ドライヤーかけないと」
……そんな事?
そう、文句を付ける間もなく、藍はさっさとリビングを後にした。どこに行くのかと思ったものの、後を追わずにいると、藍はまもなくドライヤー片手にリビングに戻ってきた。
「……髪、濡れたままだと将来はげるよ」
「え、それは困る」
「だったら、早く乾かす」
「……うん。ありがとう」
僕は素直にお礼を言って、藍からドライヤーを受け取ろうとした。
藍は、僕の真横を抜けて、リビングの隅のコンセントにドライヤーの端子を刺して、ソファに座った。
「座って」
そして、藍の前に座れ、と僕に要求してきた。
……どうやらドライヤーをかけてくれるつもりらしい。
「それくらい、自分で出来るよ」
「……いいの」
「どうして」
「お礼」
お礼?
何の。
藍は、僕の無言の詰問を察したのか、窓から外を見ていた。レースの隙間から、強い日差しが差し込んでいた。
「暑い中、頑張ってくれたお礼」
「……それは、僕の仕事なのだから当然だ」
「そんな事なかったでしょ。良いから座る」
藍は少し不機嫌になって、再度自分の前に僕に座れと指さした。
これ以上の口論は無意味と思った僕は、渋々藍の前まで向かって、彼女に背を向けて腰を下ろした。
「よろしくお願いします」
「ん」
藍は、僕の髪を触りながらドライヤーをかけた。藍の細い指が、僕の髪を掻きながら、ドライヤーの熱風が湿った髪を乾かしていった。
丁寧な作業だった。
しっかり者な彼女らしく、その細い指を僕の髪に丁寧に通して、ドライヤーを弱風にして……。
「弱風じゃなくても、別にいいよ?」
「顔動かさないでっ」
「あいだっ」
弱風のドライヤーにじれったさを覚えて、抗議交じりに藍の方を向いたら、声を荒げられて首を回された。結構痛くて、情けない声が出た。
まったく、そんなにムキになる事ないじゃないか。
首が痛い。
抗議すると、実力行使に出られるらしい。
で、あれば……従う他、選択肢はないらしい。
「……ごめん」
しばらくして、藍はドライヤーの弱風に掻き消えそうな声で謝罪した。
「良いよ。丁寧にやってくれているのに、じれったいなんて思ったらいけないよね」
折角、お礼と言って髪を乾かしてくれているのだから、まあ思えばそれくらいの事は我慢するべきだろう。
「……ごめん」
藍は、何故かもう一度謝罪した。その謝罪の後、藍の細い指が僕の髪を撫でる時間が微かに増えた気がした。
藍の気持ちはイマイチ良くわからないが……いや、わからないのはいけない、のか。
シャワーを浴びて、多少は吹き飛んだと思ったのに。
事あるごとに思い出す、どこかの同境遇者の言葉があった。
失敗、か。
こうして藍の気持ちを汲んでやれないのも……藍と失敗した原因の一つなのだろう。
藍は、しっかり者だ。がさつな僕とは、そもそも馬が合わないのかもしれない。
最近、そんなことを考えてばかりな気がする。
キャンプグッズを倉庫から出すことで口論した時もさっきもそうだ。
しょうもないことで、僕達はしょっちゅういがみ合う。
……彼女への気持ちは、確かなものがある。
でも、あの失敗を経て、思うことはただ一つだった。
藍は、僕以外の人と結ばれた方が幸せになるのではないだろうか。
「ん。終わった」
「……ああ、ありがとう」
悩みは尽きない。
本当に、藍のことになると悩みが尽きない。……いいや、それ以外でも、か。
「ねえ、武?」
「……うぅむ」
「武」
「え、何?」
「……髪、もう少し撫でてていい?」
「ああ、別にいいよ」
「ん」
藍の細い指が、髪に絡んだ。
「……ふふ」
「……うぅむ」
僕はそんな事も気にすることなく、さっきまでと同様の悩み事で腕を組んで唸った。




