頼ってよ
窒息しそうなくらいの息苦しさを感じながら、今僕に抱き着き懇願……と、呼ぶには随分と嬉しくないことを言った藍に対して、僕は何かを返事しなければと考えるようになっていた。
頼りないのが僕、か。
まあ確かに。詰めが甘いと言うか、なんと言うか。前の十年。そして、今の数か月。思い当たる節しかなくて、僕は居た堪れない気持ちになっていた。
頼り甲斐は確かに、なかったかもしれない。あれ、でも……頼ってくれと言われた、と言うことは、汚名返上は出来ていたのか。
ただそれならそれで、本当はもっと頼って欲しいくらいなのに。
でも、不思議だ。
藍から見て、僕が頼りないと思うのは納得だ。これまでの人生が、そうだと囁いている。
しかし、頼って、とは……。
頼り甲斐のない人を見て、人は一体どんな気持ちを抱くだろうか。
あの人は頼りない。端から見て、危なげだ。そんな人を助けたい、と人は思うものだろうか。
仕事なら話は別かもしれない。頼り甲斐のない人を助けることで、最終的には自分の身を守れることに繋がるかもしれない。
でも、僕と藍の関係は営利目的では決してない。
僕は藍に助けてもらったことで対価を支払うことは出来ないし、藍は僕を助けても何も手に入れることは叶わない。
利益のない行いを好む人が、どこにいる。
持論だが、この世にお人好しの人間なんて、いないと僕は思っている。
どんな行動にも、些細なことであれ理由はある。
自分の欲求を満たすこと。
他人から優しい人と思われたいこと。
これらだってキチンとした、営利目的での行動だ。だから、他人から見たらお人好しに見える行為をする人は、他人からお人好しと見られるためにそう言う行為をするのだ。
断ることが出来ない人は、断って他人を不快にさせるより自分でやった方が楽だと思っているから行動を起こすのだ。
人の成す行動は、全て営利目的なのだ。
だから、まず間違いなく……藍のこの言葉。頼って、と言う言葉も、営利目的のはずなのだ。
……一見すると、僕と交友を深めたいから、藍はそう言ったのだ、とそう思える。
でも、わからない。
どうして、藍が僕と交友を深めたいのか。
言葉の通りなら、恐らく……。そうとしか、読み取れないようにも思える。
……でも。
そうやって読み取ったつもりになって、誤解して生きてきて、倦怠期に陥った。
後悔して失敗して、タイムスリップしてしまった。
だから。
……だから、わからない。頭が痛い。
藍は今、どうして僕にそんな問いかけをしてくれたのだろうか。
何も言えなかった。
何を言って良いものか、わからなかった。
ぽんぽん、と力弱く、藍は僕の胸を叩いていた。まるでトンツーと二音で情報を伝達するモールス信号のように、一定周期で藍は僕の胸を叩いた。
何かの暗号かもしれない。そう思って意識を敢えて別の方向に向けるが、藍から漂う藍の香りで、意識はすぐに戻された。
「……藍」
何を、言うべきか。
まとまらない頭で、僕は呟いた。
藍は、僕の胸を叩くのを止めた。
「雨」
そして、藍は外を見て、呟いていた。
「え」
藍の見ている先に、意識を寄せた。確かに、積乱雲に運ばれた大きな曇天から放出された多量の雨が、アスファルトにぶつかり耳障りな音と、大粒の雨を生んでいた。
「……本当だ」
僕は呟いた。
「……誤解してたよ」
そして、藍は言った。
「何が?」
「あんたは、情けない奴だ」
「うぐ」
突然の罵倒。
「あんたは、情けない。頼りない。そんな奴だ」
……まあ。
まあまあまあ。
それはわかってた。わかってたよ。自覚していた。
……でも、言われるのは少し辛い。
ただ、一体どんな心変わりがあったのだろう。
さっきまでは汚名返上出来ていたと思っていたのに、どうして僕は汚名挽回してしまったのだろう。
「馬鹿」
藍は、怒っているようだった。
静かに。
静かに怒って……。
僕の背中に、手を回していた。
「大馬鹿野郎」
「ごめん」
謝る以外の言葉は、なかった。
「……あたしこそ、ごめん」
それが何に対する謝罪かは、僕にはわからない。
ただ密着されている藍の温もり、香り、感触に意識を逸らすことで精いっぱいだった。
「何の謝罪?」
「別に」
言いながら、藍は背中に回す腕の力を強めた。少し、痛かった。
「……雨、止みそうにない」
「そうだね」
「傘、ない」
「奇遇だね、僕もだ」
ザーザーと喧しい雨に、僕は藍の言葉に同意した。
今日は幸い、帰ってからの予定はない。だから、帰りが遅くなる分には問題ない。
「じゃあ、じゃあさ……」
「ん?」
「もう少し、このままで良い?」
頼ってくれと言ったのは藍なのに、頼るとは真逆な甘えん坊みたいな願い出だった。
しかし、断る理由はまるでない。
むしろ……。
「勿論」
「……ふんっ」
鼻を鳴らして、藍は一層背中に回す腕の力を強めた。
「……今日のところは、許す」
何をだろうか。
……多分、僕の頼り甲斐のなさをだろう。
「ありがとう」
僕は、お礼を言って苦笑した。




