後悔
タイムスリップ。
先日、僕が体験した世にも奇妙奇天烈な出来事。
まさか、そんな体験をしたことを言い当てられる日がやってくるだなんて。
それも、言葉通りならば、彼女も……森下先輩も、タイムスリップをしてきた、と言うことか。
「どうして?」
「ん?」
「どうして、僕がタイムスリップしてきたってわかったんですか?」
「おっ、認めるのねー。良かった」
「良いから、教えてください」
同志がいたことは、個人的にも嬉しいことではあった。戸惑う気持ちも、大概タイムスリップしてからと言うもの、体感していたからだ。
でも、まさか言い当てられる日がやって来るとは。微塵も思っていなかった。
「どうしてって。さっきも言ったでしょ。君は前と随分と違う。多分、君と親しかった人はすぐに気付くよ」
確信を持ってそう言われた。そこまで違ったのか、かつての僕と。
……まあ、前の僕は藍一直線だったからな。確かに全然、違うかも。
「最初は驚いた。まさかあたし以外にも、似たような状況の人がいるんだもの」
アハハ、と森下先輩は笑った。なんと言うか、この辺の軽薄具合は内情がバレた後でも変わらないらしい。
……と、言われて気付いたことが一つあった。
「で、でも先輩。僕、前の世界でも先輩と関わりがあった記憶ないんですが」
「え」
素っ頓狂な声を、森下先輩は上げた。この反応は、ここまで数日絡んだ限りでは珍しい反応だった。
「……本気で言っている?」
口振りから、どうやら僕達はそれなりに会ったことがあるそうだ。
……僕は記憶を探った。そしてしばらくして、やはりない、と結論付けたのだった。
「はい」
「かぁー。これだから青山君は」
頭を抱える森下先輩。
その様子には、何故だか見覚えがある気がした。
そうだ。
なんだか呆れる時にこんな反応を見せる人に会ったことがある気がする。誰だったか。
……あ。
「そう言えば、藍の学校の同僚の先生が、何度か家に来た時にこんな反応をしていたような気がする」
「それっ! それだよ!」
ビシッと指を立てて、森下先輩は懸命なアピールをしていた。
なるほど。これか。
……そうだ。
森下先生だ。
藍の一つ上で、同じ学校に一昨年まで配属されていた先生。結構人の気持ちに無遠慮で踏み込む人。だけど生徒には人気があるし、要領も人当りも良いから妬ましいと藍がぶつくさ言っていたその人。
ただ、同じ学校のOGだからと一緒にいる機会は多かったようで、度々ウチにも遊びに来たのだ。
その時、僕も残業帰りの時とかに軽く挨拶をしたことがあった気がする。リビングで二人で仲良さそうに話しているのが、中々絵になっていたような。
「ようやく思い出した。もう、遅いよ」
「ご、ごめんなさい……」
なるほど。意外な交友関係があったものだ。
……ん?
「先輩、でもそれ、僕達別にそこまで親密な関係だったわけじゃないでしょ?」
「そうね」
「なんで、そんなに僕のこと詳しいんです?」
「そりゃあ、高校時代から好きだったからだよ」
あっけらかんと、とんでもないことを口走ったものだ。
本当にこの人は、内心を包み隠さず話す。いや、そう話しているように見えるだけかもしれないが、僕にはそれの区別はつかないから、ドキッとしてしまうのは事実だ。
「最初は驚いた。同じ学校のOGの藍の家に行ったら、残業から帰ってくるんだもの。あなた達、結婚してたのって」
「エヘヘ」
そりゃあ、猛アピールしたからな。そこの頑張りを褒められたみたいで、それは少し嬉しかった。
「そっからは意識的に藍をいじった。だって、あたしの想い人を奪ったんだから。だからね、彼女があたしのこと、嫌いなの」
「ははあ。なるほど」
なんだか納得。
この人やっぱり、性格悪いだろ。
「……と、事情はわかってもらえた?」
「はい。良くわかりました」
「じゃあ、付き合ってくれるよね?」
包み隠す必要がなくなったからか、森下先輩は突拍子もないことを言い出した。
「なんでそうなる」
「良いじゃない。同じタイムスリップした者同士でしょ?」
「それとこれとは関係ない。それに僕には、藍がいる」
藍の名前を出すと、森下先輩は露骨に顔を歪めた。
「へえ、まだ好きなの? 藍のこと」
「はい。……先日、告白もした」
「へえ」
森下先輩の声が、冷たくなっていた。これならまだ軽薄そうな方が良いな。
「告白、したんだ」
「はい。好きなので。今も昔も変わらずに」
「でも、後悔したからタイムスリップしたんでしょ?」
僕は、目を丸くした。
「先輩、タイムスリップの原因、知っているんですか?」
「いいえ、知らない」
森下先輩は首を振った。
「でも、人生に後悔していないと人生やり直したいとも思わないでしょ。だったら、タイムスリップだってしないと思うのよ」
……つまりは、後悔してやり直したいと思ったからこそ。
タイムスリップしたいと願ったからこそ、タイムスリップが起きた、と。
……確かに。
喧嘩してふて寝する直前、僕は現状に後悔を覚えていた。
「藍との結婚生活に、一切の不満はなかった?」
「……それは」
僕は、言ってくれないとわからない男だ。
だから、言ってくれない藍に、憤慨したことも、ストレスを抱えたことも、数知れない。
でも、僕だって言っていなかった。
だから、あの時の藍だってわからなかった。
……でも。
僕が言ったからって、藍も言ってくれるようになっていたのか?
あの時の藍なら、結局喧嘩しかしなかったのではないか?
そう言われると、そうかもしれないし、違うかもしれない。
でも、少なくとも言えることは……。
僕と藍は、一度失敗していた、と言うことだろう。
失敗していた。失敗だった。
だから、後悔した。
「青山君のさ」
「え?」
「悩んでいる顔、可愛いね」
……僕は恨めし気に、森下先輩を睨んだ。
「先輩、そう言って何人の男を自分の手中に収めてきたんですか?」
「それが高校時代から一人の男の子に執心してて、あたし処女だったの」
「ばっ」
そんなことまで聞いてない。
困り顔を作った森下先輩に、僕は顔を赤くした。
「つまらない冗談だ」
「冗談か、試してみる?」
「結構です!」
そっぽを向いて、意固地になって。
僕は、さっきまでの悩みがすっかり吹き飛んでいることに気付いた。
あんなわかりやすい問題提起をしておいて、この人はどうやら、僕に深刻になって欲しくないそうだ。
良い人だ、と初めて思った。
この森下先輩のこと、彼女と違い僕はまだ何も知らない。
それで、好きだなんだと言われて、戸惑わない方がおかしな話だ。
「先輩、一つ質問いいですか?」
「何?」
「……僕の。僕なんかのどこを好きになったんですか?」
「からかいやすいとこ」
「からかわないでください」
「アハハ」
森下先輩は、スーッと息を吸った。
「そんな構えないでよ。大した話じゃない。ただの、一目惚れ」
「一目惚れ?」
「そう。あなた、一年のクラス委員。保健委員だったでしょう?」
「そう……だった気もします」
何分、当時のクラス委員の選定理由は藍だったから。イマイチ記憶は不明瞭だった。ただそう言えば、つい先日保健委員だったと思い出したような気もする。
「ある日、あたし保健室の当番になってね。ただ、その日は具合が悪くて。正直一刻も早く帰りたかったの。その時に声をかけてくれたのが、あなた。あなたは偶然、保健室に来たの」
覚えはない。
「それで……具合の悪そうなあたしを見て、当番代わりましょうかって。当時のあたしは、結構人当りの悪い人でさ。どこかの藍みたいにね。悪評もそれなりに広まっていたんだけど……そのおかげで、近寄り難い雰囲気があったのね。
でも、君は別だった」
……確かに、そこまで言われるとそんなこともあった気もする。
その日、保健室で具合の悪そうな女子生徒を見て……ツンとしたその人の雰囲気を見て。
僕は、その人と藍を、重ねたのだ。
だから、居ても立っても居られなくなった。
「あの時は、ありがとう」
森下先輩は、頭を下げた。
「ようやく言えた、あの日のお礼」
そして、長年の重荷が取れたように、優しく微笑んだ。
ここまで書いて作者的に思ったこと。
前章最後に勢いで告白させたのは、間違いだったかもしれねえ。。。