地図帳
森下先輩達が作業に勤しんでいた隣の教室。
鍵の掛かっていないその教室に、僕は森下先輩に連れられるまま入った。
「暑い」
「へえ、青山君は暑がりさんなんだ」
そんなプリティーチャーミーみたいに言わんでくれ。
男の暑がりなんて、滲む汗のことを思っても好印象なものでもない。
僕は、森下先輩には返事もせず、教室の隅にあった扇風機のスイッチを入れた。そして、窓際に移り、窓を全て全開にさせた。
蒸し焼きの釜の中にいるような暑さが軟化されるのは、これだけやってもそれなりに時間はかかるだろう。
暑さ対策も程ほどに、僕は森下先輩のいた方に振り返った。
「座って」
森下先輩は、真隣の椅子を引いて、そこをぽんぽんと手で軽く叩いていた。まるで、そこに座れ、と言っているようだった。
「はい」
僕は敢えて、森下先輩から二つ離れた座席に腰を下ろした。
「なんでそっちに座るの?」
敢えて聞く?
藍なら絶対、不機嫌にこそなれ、そんなこと聞きはしないのに。
どうすれば酷い言い方にならないかと脳内で模索したが、言葉は見つからず、僕は俯いて黙った。
「……もう、恥ずかしがり屋さんね」
森下先輩は、面白そうに僕の真隣の座席に移った。
僕は面食らった顔で、森下先輩を見た。背筋に伝う汗は、暑さのせいか。森下先輩のせいか。
「なんでわざわざ?」
「青山君の傍にいたいと思ったから」
「……そう言うの、良いんで」
「良い? もっとして欲しいってこと?」
「逆です。勘弁してください」
なんだか手のひらの上で転がされている気がする。本当、僕は今日、ここに何しに来たのだ。
そうだ。僕は別に、森下先輩の手のひらの上で転がされるために来たのではないのだった。本題。本題に入らねば。
……この距離感は、もう突っ込むだけ無駄だろう。
「先輩、そろそろ本題に入ってください」
「えー、もう?」
「言ったでしょ。僕、天文部の方も手伝いたいんです。こっちの仕事だって、天文部の利益になるから手伝っているだけだ」
「ふうん。そんなに天文部、好き?」
……好きか嫌いか、で言えば、恐らくどちらでもない。
与えられたタスクをこなす。責任感を持って、こなす。
ただ、それだけのことだ。
「あたしは君と話す時間、好きだよ」
「そんなに話したことないでしょう、僕達」
「そうだったかな?」
適当なことを言う人だ。
あっけらかんと笑う森下先輩を、僕は軽く睨んでいた。
「まあ、いいや。じゃあ相談が終わった後、ゆっくりと話そうね」
「……だから」
だから、僕はこっちが終わったら天文部に戻るんだってば。
言おうとして、森下先輩が持ってきていた地図を開いたので、僕は黙った。
森下先輩が開いた地図は、そこいらの本屋で売っていそうな地図帳だった。付箋の貼ってあるページをめくると、恐らく件の廃墟がある位置にペケマークが付けられていた。
……隣県の廃墟、と言っていたが、随分と山奥にあるんだな、と言うのが僕の第一印象だった。
「ここ、ロケ地に使うのは良いですけど、移動はどうするんです?」
「バスが走っているから、大丈夫。バスは……この駅から走っている」
先輩が指さした駅は、新幹線の停車駅からアクセス出来る比較的大きめな駅だった。しかし、ここら辺からなら移動だけで一時間くらいはかかりそうだ。
「まあ、バスは一日三回だけだそうだけど」
「朝、昼、夕方?」
「そう。朝行って、夕方のバスで帰る生活になるでしょうね」
「それを一週間も?」
日帰り出来ない距離でもないが、中々に大変そうだ。そもそも、交通費はどうするんだろう。……まあ、それは自腹になるのだろうか。
そうか。だからこのクラスの出し物の活動は、希望者だけになっているのか。いつか江頭先輩が、希望者を募っていたから映画製作に参加したと言っていた。
……それにしてもさっきの教室。なんだか随分と多い人数で作業をしていたような。まるで希望者、と言いながら全員が参加しているように見えた。
結束の強いクラスなのか。
はたまた、クラスメイト達には打算的な何かがあるのか。
……男子はありそうだな。うん。
「実際は一週間もかからないと思う。あれは最初の最初、随分と大雑把に見積もったから。実際は三日くらいじゃないかな」
それにしても、三日もか。
「青山君、話逸れてない?」
「……そうですね」
確かに、さっきあれだけ森下先輩に言っておいて、僕から話を逸らしてしまった。
「そんなにあたしとの会話、楽しんでくれたんだね」
「違うわ」
おっと、言葉が乱れた。
僕は一つ咳ばらいをして、気を取り直した。
「まず先輩、一つ良いですか?」
「何?」
「廃墟の管理者が、どうして僕達にここを貸したくないか。なんとなくわかった気がします」
「へえ、どうして?」
あまり驚いた風でもなく、森下先輩は微笑んで尋ねてきた。
……もっと驚いて欲しかった、と言うのが本音だ。まあ、元々メリットがないから貸したくないんだろ、と言っていたこともあったし、思い当たる節があったことも事実だろう。
でも、もっと発端の理由。僕が思い当たったのは、それだった。
私有地とは言え、所詮廃墟。
小童を頭ごなしに怒って黙らせるより、さっさと許可した方が早いという場合もあるだろうに。それでもその管理者は、わざわざ断ってみせたのだ。しかも二度も。
承認を取ろうとした生徒は、頭ごなしに拒絶された、と言っていた。見返りを要求されることもなく、一方的に。
恐らく管理者は、金銭的な要求をしたいわけでもないのだろう。
……で、あればだ。
僕は、もう一度咳ばらいをした。
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