女王様気取り
一か月の夏休み。
社会人になれば味わうこともなくなる、超長期休暇。大人になった人は良く言う。若い内に遊んでおけよ、と。その言葉の意図は単純で、子供から大人になる。つまり、学生から社会人になることで、人は単純に遊べるだけの休みが減るから、と言う話に基づいてされるのだった。
社会人になれば、ゴールデンウィークかお盆休暇か、正月休みか。最長でも大体一週間しか連休はないのに、学生であれば実に一か月だもの。
そりゃあ、遊べるだけの時間は取りやすい。唯一の難点は、遊ぶ金が創出しづらい点だろうが、まあそこは子供ならではの柔軟な頭で解決してもらいたいものである。
話が逸れた。
そんなわけで、この長期休暇。
僕もたくさん、藍と一緒に遊ぼう、とそう思う気持ちもあるわけではない。
が、しかし。僕は早速今日、休みでありながら学校へと赴くことになっていた。
夏休み明けに始まる文化祭。
それに向けての準備を、まさかの夏休みの初日からしに行くのだった。まあ、時間は待ってくれないから、こればっかりはしょうがない。
今日も、外ではセミが快活に煩わしいくらいうるさく、鳴いていた。
寝汗を掻いた寝間着から、制服に着替え、朝食を食べていた。そろそろ家を出ようと思ったのは、母もパートに出かけるから、あんたもそろそろ出かけなさい、と言われたことに起因していた。
ピンポーン、と仄明るいチャイムの音が我が家に響いたのは、そんなタイミングだった。
「朝から、誰でしょうね」
着替えを済ませた母が、玄関に向かいながら言った。
僕はと言えば、母の言いつけを守るため、歯を磨いている最中だった。バタバタと足音立てて歩く母は、いつも通りの、来客を迎える時の所作だった。
「はーい」
洗面台まで、母の声は聞こえた。次いで、ガチャリと扉の開く音。
「……まあっ」
まあ?
「あらー、どうしたの。こんなに朝早く?」
どうしたの?
「武ー! 早くきなさーい」
呼ばれた。
来客に相対するには、随分と今日の母の声色は軽薄だった。まるで僕の友人でも出向いてきたみたいな、そんな調子だ。
ガラガラペッ、とうがいをして、僕は口元をタオルで拭って玄関に向かった。
玄関にいたのは。
制服に身を包み、少し恥ずかしそうに俯いている。
藍だった。
「えっ」
恥ずかしそうな藍を見て、間抜けな声が漏れた。
「どうして?」
「どうして、じゃないでしょ。折角藍ちゃん来てくれたんだから、まずは挨拶」
「あ、おはようございます」
「……ん」
母の前だからか、藍は粛々と頭を下げた。
依然、僕は戸惑っていた。だって、今日来るだなんて聞いてないし。
「で、どうして?」
「……迎えに来た」
……わざわざ学校から遠回りをして?
「武」
「あ、はい」
戸惑っていると、母に呼ばれて素っ頓狂な声をあげた。
「お茶、振舞ってあげなさい。あたし、そろそろ出ないといけないから」
「あ、うん」
「ごめんねぇ、藍ちゃん。これからあたし、お仕事あるの。本当にごめんなさい? ゆっくりしてって」
「いえ、そんな……」
「じゃあ、行くから」
委縮する藍の隣を、母は小走りで出て行った。去り際、ウインクをされた。年を考えろ、年を。
まあ、それよりも。
「良かったのに、わざわざ迎えに来てくれなくても。学校で会えたし」
「……別に」
いつも通りの藍に、僕は苦笑した。
ただ。
「いつもより多く、一緒にいたかっただけだから」
今日の藍は、どうしてか少し素直だった。
僕は再び、戸惑わずにはいられなかった。多分、今は一番戸惑ったらいけないタイミングだろうに。
「お邪魔します」
「あ、うん」
それから僕は、藍に麦茶を一杯振舞い、少しの世間話をして学校へと向かうのだった。
暑い中歩いてきてくれたのだから、と少しだけ休憩もしてもらって、僕達は一緒に家を出た。
それからはいつも通り、僕達の会話は少なくなった。されど不快な時間だったわけでは決してなかった。
隣に藍がいるだけで、僕は結構満足していた。
「今日は、早速あいつと会うんだよね」
まもなく学校が見えてくる頃、藍に言われた。
あいつ、とは森下先輩のことだろう。随分と敵対心丸出しな言い方だ。
「そうだね。昨日、今日までに情報を準備してもらうって約束だったし」
「……むぅ」
露骨に不機嫌な藍に、僕は苦笑した。
「藍。森下先輩と何か過去にあった? 本当に、ずっと敵対視している」
「……別に」
別に、で済ませて良いのか。そろそろ僕は迷っていた。
「ただ、嫌いなだけ」
ただ藍は、今日は胸中を語る気があったみたいだ。
「どうして?」
「あの人、女王様気取りだから」
「女王様?」
……失礼だから内心でしか言わないが、多分傍から見たら君も結構、女王様気質だぞ。氷の女王様とか呼ばれそうなツンツン具合だよな。
「いつも貼り付けたような笑顔をしてて、相手にも利益がありますよって。そっちのためにも見たいな論調で話すけど、内実思惑通りに事を運ぶことしか考えてない」
昨日の一件は、まさしくそれだった。
「なのに、馬鹿な連中はそれに気付かずあの人を持ち上げる」
まあ、顔は整っていたし、それでずっと笑っていればそれだけでアドバンテージだもんな。でも、女王様か。
昨日は、藍が苦言を呈さなかったから僕達は彼女の思惑通りに動いていただろう。
その結果、森下先輩の内心にある強引さも目の当たりにしたが、その後ヘイトをロケ地の管理者に向けようとしたり、確かに身の立ち振る舞い方はとても上手いよなあ。
晩さん会で外交に口出ししつつ、自分はふんぞり返る女王様、と言われてもなんだか納得。
「……今、あいつのこと考えてたでしょ」
「いやそんなことはないです」
「嘘。外見を褒めてた」
え、そこまでわかるの……?
「……青山は、言わないとわからないけど。あたしはあんたのこと、言ってくれなくてもわかってることもある」
「……僕のこと?」
森下先輩への文句で熱がこもっていた藍は、口を滑らしたせいで途端にカアッと頬を染めた。
「バカ……」
足早に、藍は先を歩き始めた。
僕は呆気に取られつつ、藍の後に続いた。




