夜空を見に行こう
いつか、まだタイムスリップをする前のことだった。
社会人になり、忙しい日々を送るようになり、大学時代のように藍と一緒に放浪する、と言うことが中々出来なくなった頃の話だ。
元々、藍にも僕にも放浪癖はなかったから、まるで大学時代にしょっちゅう旅に出ていたみたいな発言は語弊があった。そこはもう、完全に申し訳ないと謝罪する他なかったが、確かまだ僕が、藍に対して今よりも滾る感情を抱いていた頃、僕達はお盆休暇の中、実家に帰省する日数を減らし伊豆諸島へと二人で旅行に出かけたのだった。
竹芝ふ頭から、フェリーに乗り込み神津島へと向かった。
お盆休暇と言うことで人の多い船内。僕達は事前予約の甲斐あって、個室で一夜を過ごすことになった。
甲板の方へ出ると、発進した船はまもなくフジテレビを過ぎ、レインボーブリッジの下を通って進んでいった。遠くなる芝公園、東京タワー。夜に真っ赤に染まるその鉄塔に、まるで異世界へと旅立つような非日常感を味わいながら船に揺られた。
潮の香り。水を掻き分ける音。真っ暗闇の世界。
そんな情景に移り変わった頃、外にいるのも飽きてきて、僕達は個室へと戻った。船内はまだ、たくさんの乗客で賑わっていたが、僕達はとても静かに、いつも通りの二人の時間を過ごしていた。
『大丈夫』
ただ、いつも通りの時間になった理由はとても情けない。
仰向けに気だるげに目を閉じる僕。
そんな僕の頭を、真隣で心配そうに撫でる藍。
情けなく、船内で僕は船酔いに襲われたのだ。
その日、僕はいつの間にか眠っていた。
目が覚めたのは、夜が明けて、名前も知らない島に船が到着した頃だった。
『おはよ』
外の様子を見て個室に帰ってきた藍に、僕は相変わらず頭を撫でられ続けていた。
船から降りられない都合上、酔いが覚めることは中々なかった。
神津島に船が辿り着いたのは、僕が藍に諭されるままもうひと眠りしてしばらくした頃のことだった。
ようやく外に出て、こんな最果ての島なのに港に横づけされたパトカーが警視庁であることに驚きつつ、僕はようやく地に足を付けた。
それから、二日お世話になる民宿の主人の車に藍と乗り込み、僕達は荷物を置くために民宿に向かった。
外に出て、車に揺られている内に、気分は少し回復傾向に向かっていた。だから、折角こんな遠方まで藍と二人で来たのだから、海に繰り出して楽しみたいと僕は思っていた。
『何やってるの、馬鹿なの』
しかし、荷物を置き海パンに着替えようとした僕に、冷ややかにそう言い放ったのは藍だった。
藍曰く、さっきまであんな調子だったんだから、今日はゆっくり休みなさい、とのことだった。
あの頃から、僕はずっと藍に頭が上がらずにいた。だから、渋々それに従って、ひと眠りして、昼を食べて、またひと眠りして……。
その間、藍は一人ぼんやりとテレビを見ていただろうことは、寝息を立てる中でワイドショーの親しみある男性キャスターの声で薄っすらと理解させられた。
申し訳ないことをした、と思いつつ、夜目覚めた時にすっかりと軽い体を見て、そう思った。
ここまで、藍にずっと不安を強いてしまった。
だから、民宿で夕飯を頂いて、僕は藍に一つの提案をした。
『花火でもしに行かない?』
『体、もう大丈夫なの?』
『うん。すこぶる良い。これは夜、眠れる自信がない』
『あっそ』
藍の頬が少し赤くなっていた。言葉の裏なんてなかったのだが、言葉の裏でも期待したのかもしれない。
『……行く』
『うん』
それから僕達は、朝振りとなる海辺へ向かった。民宿のある街道を抜けて、海に近い歩道を歩くと、幾人かの若者の楽しそうな声と、波の音だけが聞こえてきた。
街灯はあまりなかった。
浜辺の向こうは暗黒に包まれていて、波の音は聞こえるのに海はまるで見えなかった。
水道のある場所に向かい、幾人かの若者の隣で、二人で細々と持ってきた花火に火を点けて楽しんだ。
さっきまでずっと寝ていたからか、体を動かすこと、藍と一緒にいることがただ楽しかった。
そろそろ、花火も終わる頃。
『後、武がやりなよ』
『え、でも……』
『いいから』
『うん』
藍のご厚意に甘えて、一人で残り少なくなった花火を楽しんだ。随分久しい花火だから、心躍っていたことを、多分藍には見抜かれていた。
アハハ、と笑い声を漏らしていると、すっかり藍が静かになったことに僕は気付いた。
藍は、暗黒に包まれた海に、感傷的な瞳を向けていた。
『ごめんね』
『何が』
『……今日一日、暇だったろう』
『別に、そんなんじゃない』
『じゃあ、どうして?』
どうしてそんな瞳で、暗闇を見ているのか。
……藍は、僕が価値を見いだせていなかった暗黒へと向けて、指をさしていた。
『星、キレイだから』
……暗黒の世界に、たくさんの煌びやかな星空。
僕が興味すら見出せなかった暗闇に、藍は美しいものを見出していたのだ。
その後、翌日からは昨日の消化不良を忘れるようにと、目一杯藍との時間を楽しんだ。飛び込み台から度胸試し。海水浴。行き来のための、自転車走行。
二人で色んなことを、楽しんだ。楽しみ尽くした。
……でも、僕があの時の旅行で一番目に焼き付いた光景は。
青い海でも。
飛び込み台からの景色でも。
自然豊かな景色でも。
そのどれでも、なかった。
あの夜、藍の見せたあの顔。
悲しそうな。
でも楽しそうな。
愛しい女性の、美しい顔だったのだ。
藍とどこへ行こうか。
そんなことを一人部屋で考えた時、ふとその時のことを思い出した。だから、僕は懐かしさと美しさを求めて、ふと行き当たった。
藍と、二人で……。
夜空を見に行こう。
SMAPの歌でこんなタイトルあったよなー、と思ったんや。なんか感傷的なメロディで、それイメージして過去の懐かしい思い出話風に書いたんや。
タイトル、朝日を見に行こうよ、やったんや…。真逆やんけ。
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