人の振り見て我が振り直せ
これまで藍に怒られた回数は、一度や二度ではなかった。何度も同じことで怒られたし、タイムスリップを果たす直前でさえ、僕は彼女に怒られていた。
『仕事仕事って、そんなに忙しいなら辞めればいいじゃない』
『お父さんに相談したら、武一人くらいお父さんの会社で雇ってやるって言ってるって言ってるでしょ』
『お父さんの会社は零細ではないし福利厚生もしっかりしているって言ってるでしょ』
『お父さん好待遇で迎え入れるって言ってるでしょっ!』
あの時の藍の怒り。
僕は珍しく怒り、ふて寝を敢行した。藍の叱責は、これまで我慢出来ていた。でもあの時、僕は遂にそれが我慢出来なくなったのだ。
だから、藍に対して疑心暗鬼になり、藍と結ばれたことを後悔したのだ。
そう、後悔した。
藍と結婚したことは。
藍と、愛を育んだことは。
藍に一目惚れをしたことは。
全て、間違いだったのか、と……。
『やっと、言えた』
先日の藍の笑顔。僕の家で見せた、これまでの彼女の苦悩と、そして僕へのお礼と。そして、敬意。
彼女は満面の笑みだった。でも僕にはこうも見えた。
やるせないような。
寂しそうな。
悲しそうな笑顔に、見えたのだ。
あの笑顔を見て、胸にしこりのようなものを感じた。
ずっと、わからなかった。どうしてそんなことを感じているのか、わからなかった。
後悔した相手に、どうして……。
どうして僕は、結ばれたことを後悔した相手に、見惚れ。視線を奪われ。言葉を奪われ。
そして、抱きしめたいと思ったのか。
ずっと、わからなかった。
ようやくわかった。
『……言ってくれないと、わからないよ』
勉強会をしたいと、いつもの彼女らしくない様子で僕に懇願した彼女に言わせた僕の台詞だ。
僕は、勘が悪い男だった。
自分でも思っているくらいなのだから、他者は……特に、あの時の藍は一層僕への不満を溜めていたと思うが、とにかく申し訳ないがそういうたちなのだ。
そんな僕が言ったそんな台詞だ。
ただ言っている言葉はどこまでも正しいと思っていた。
わからなくて当然だ。人の気持ちなんて。結局、どれだけ愛しても人は人の気持ちなんてわからない。血が繋がっていても、その人の気持ちなんてわからないのだから。
古代から人はそうだった。
相手の思考まで読み取れないのが、人なのだ。生き物なのだ。
だから人は、言葉を発明した。
だから僕は、藍に言葉を求めた。
気持ちを。
思いを。
教えてくれ、と懇願したのだ。
『もっと早く言うべきだった。ごめんね』
……藍は、応えてくれた。
笑顔で、僕の願い出を申し入れてくれたのだ。
これまで決して、本心を打ち明けてこなかったのに……応えてくれたのだ。
……僕は、どうなんだ。
応えてくれ、と願った僕は、どうだったんだ。
藍に対して、僕は言葉にしてきていたのか。
自分でさえ相手の気持ちはわかっていないのに、藍ならわかってくれていると、慢心していた。
自分の責任に目を瞑って、倦怠期とそれらしい言葉を並べてしょうがないと誤魔化した。
自分だってそうなのに、彼女はツンデレだからと、全てを藍のせいにしていた。
僕は一度だって、藍に自分の気持ちを伝えていやしないじゃないか。
建設的な話もせずに、内心にわだかまりを持ってなあなあで藍と過ごしていたじゃないか。
だから、後悔した。
あれほど仕事で対立することの意味を知っていたのに、藍に対してだけはおざなりに過ごしていた。
言わないとわからないとわかっているのに、藍に一度だってそれを言葉にしたことはなかったじゃないか……!
『お父さん好待遇で迎え入れるって言ってるでしょっ!』
珍しく、あの日僕は内心の怒りを抑えられなかった。
藍の怒りに我慢が出来なくなっていたと思った。でも違う。本当は違う。
僕があの日怒った理由。
怒って、ふて寝を敢行した理由。
仕事は、大変だった。深夜帯になっても終わらないし、藍との時間も減っていくし。上司にも怒られるし。
本当に、大変だった。
でも。
でも、僕は……。
あの仕事に誇りを持っていたんだ。
あの仕事で学べた多くに、プライドを持っていたんだ。
あの仕事を続けたいと、そう思っていたんだ……!
だからあの仕事を辞めろ、と暗に言う藍に腹が立った。勝手に話を進める藍に腹が立ったんだ。だから、ふて寝を敢行したんだ。
……伝えるべきだったんだ。
あの仕事を辞めたくない、と伝えるべきだったんだ。
言わないとわからないと僕は知っていた。だから僕は、言うべきだったんだ。
あの仕事をどれだけ誇りに思っていたか。
あの仕事で学べた多くが、どれだけ価値のあるものだったか。
あの仕事はこれだけ続けていく価値があると、伝えるべきだったんだ……!
そうしたら。
そうしたら、僕達は……。
『横断歩道の件も。プラネタリウム製作の件も。どっちも、凄い。だってあたしだったら、あんなに円滑に調整、出来ないもの。
本当、凄い。尊敬するよ』
僕達は、互いに尊重し合って生きていけたのではないのだろうか。
一層愛を深めて、生きていけたのではないだろうか。
……今。
今、倦怠期だったと誤魔化した時よりも深い、……深い後悔に駆られることなんて、なかったんじゃないだろうか。
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