素直な胸中
「……ふう」
僕は露骨なため息を吐いた。
休憩が終わったことが、惜しいと思ったからではなかった。今日はずっと、集中が出来ていない。今もまた、さっき同様にそれが変わっていないことに気付いて、憂うようにため息を吐いたのだった。
むしろ、さっきよりも酷くなっている気がする。やはり母が、僕と藍の関係を煽ったりして気持ちを乱してきたせいなのだろう。
許すまじ、母め。
「……ふふっ」
「ん?」
頭を抱えて、教科書に向き合っていた中、目の前から控えめな笑い声が漏れた。藍だった。お淑やかに、藍は微笑んでいた。
そんな藍を見つめていると、しばらくして目が合った。
「……別に」
「うん」
「今日の青山、空回り気味で面白いなって思ったわけじゃない」
「それ、思っている時の言い方だよね」
指摘すると、藍はさっきまでの笑顔も引っ込めて教科書に視線を落とした。どうやら図星らしい。
「……良いよ、別に。そう思われても」
「思ってない」
いつもの藍だなあ、と思った。
一度言ったことを否定しても、頑として認めない姿勢に、なんだか懐かしさを感じた。
「またまた、構わないよ。それくらいのことなら」
少しだけ、意地悪したくなった。この空回りの元凶の藍に、このしょうもない嘘を認めさせたかった。
こうなると、藍はいつも頑なになる。だからもしかしたら、最後には怒るかもしれない。まあ、そこまで行くなら途中で止めるけど……とにかく、ちょっと腹いせがしたかったのだ。
「だから……」
藍は、やはり予想通り頑なな態度で否定を続けようとしたが……少し様子がおかしくなった。俯き、なんだか悩みに耽っているようだった。
「そう、そうだよ」
「……ん?」
「今日の青山、空回りしてて面白いなって思ったの。悪い?」
「……え」
今。
今、なんて?
認めたのか?
あの藍が。あの頑なな藍が。
頑とした態度を崩して、こんなにあっさり嘘を認めた、のか?
「えぇぇぇ。……えぇ?」
君、何か悪い物でも口にした?
ウチの母の手料理か。そうか、あの親遂に、人様に毒物を持ったのか。怖い親だ。末恐ろしい親だ。
「何よ」
「何よって、君……君、そんなに物分かり良かったっけ?」
「失礼」
「……ごめん」
動揺するあまり、いつもなら喉元で引っ込める言葉が飛び出した。それは本当に、申し訳ないと思って、僕は謝罪した。
「でも、どんな心変わりがあったのさ」
ただどれだけ謝罪しても、あの藍の心変わりには驚かずにいられなかった。
だって、あんなの。
あんなの、藍らしくない。
あんなの……。
「……あんたが、言ったんでしょ」
「……何を」
「言わないと、わからないって」
……つまり、元々藍は、僕なら頑なな姿勢を示しても、わかってくれると思っていたと、そう言うことか?
藍に、言わないと、と言ったのは、確かこの前の放課後の話。
確かにあの日から、藍の言動は少し変わった。
今日だって、その変貌ぶりに何度、空回りさせられたか、もう覚えていない。
……そうか。
僕の指摘を受けて、藍は言動を変える努力をしていた、のか。彼女なりに、いつものあまのじゃくな発言では真意を伝えられないと悟り、言動を変えたのか。
「確かに、あんたは言わないと、伝わらないんだろうなって、実感してたとこだよ」
「……うん」
「……ありがと」
「え」
「……あたしにそんなこと言ってくれるの、あんただけだったから」
藍は、照れているようだったが、話は続ける気らしかった。
「こんな性格しているから、色々後悔してきてたの。変えなきゃいけないな、と思っていたの。何度も何度も、傷つけているんだろうなって、そう思ってた。でも口に出されるわけじゃないからって、甘えて、また傷つけて。
だから、ありがと。気付く機会をくれて。逃げ道を塞ぐ機会をくれて」
饒舌な藍は、珍しかった。
彼女は自分の気持ちを言葉にしない人だったから。
そんな藍の語った、後悔。
……もしかしたら。
あの時の藍も。
あの時、僕と結婚した後、僕を何度も叱責した藍も。
同じことを、考えていたのではないだろうか。
……止めよう。そんな話、当人がいない現状ではわかりようもないのだから。
とにかく今は、変わりつつある藍に。
今目の前にいる藍に。
僕は、多分何かを言わないといけない。
「ねえ、青山?」
しかし僕の気持ちは、具現化される前に藍に塞がれた。
「何?」
「あんた、凄いね」
背中にむず痒さを感じた。
藍に褒められる日が来るだなんて、思ってもいなかった。
「横断歩道の件も。プラネタリウム製作の件も。どっちも、凄い。だってあたしだったら、あんなに円滑に調整、出来ないもの。
本当、凄い。尊敬するよ」
「……ありがとう」
藍を直視出来なかった。
「なんだか皮肉みたい」
「そんなつもりじゃ……」
慌てて、藍を見た。不機嫌にさせたくなくて。弁明したくて。
藍を、見た。
……藍は、笑っていた。
とても嬉しそうに。
自分のことのように、嬉しそうに。
笑っていたんだ。
「やっと、言えた」
藍の満面の笑み。
初めて見るその笑みに、僕は虜になっていた。
「もっと早く言うべきだった。ごめんね」
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