ラッキー助平
母がコップに注いだオレンジジュースを置いて行って、すっかりと藍は委縮してクッションの上に座っていた。
なんというか、こうまで居た堪れない彼女は珍しい。
「大丈夫?」
「……別に」
「そう」
別に、と言われるのであれば勉強に集中する他あるまい。
それからはしばらく僕達は勉強に明け暮れた。でも居た堪れなさそうな彼女のせいで、僕はあまり勉強に集中出来ずにいた。
「あの、青山?」
転換点は、藍が少しそわそわしだした時だった。
「何?」
「……ここ、わからない」
「どれどれ」
こういうやり取りは、ここ数週間ずっと彼女とやってきた。だが思えば、わからない、と明確に宣言されたのは初めてだった気がする。
いつもはここ、どういう事、だの、自分の非を認めるような発言を、藍はしてこなかった。まあ、わからないことは一切非ではないのだが。
だが、少しだけ先日から、藍の言動が変わってきたな、とふと思った。
とにかくそんなことは一先ず置いておいて、藍のわからない問題に対する助言をしよう。
そう思い、藍の方に身をかがめた。
「ひゃっ」
藍から、小さい悲鳴が漏れた。
何かあったのか、慌てて顔をあげると、随分と近い距離に彼女の顔があり、僕も少し恥ずかしくなった。
藍は、頬を染めたままそっぽを向いていた。顔はどうしてか、少し切なげだった。
「……ごめん」
「べ、別に」
少しだけ彼女と距離を置き、彼女のわからない問題を眺めた。しばらく、頭が正常に働いておらず、中々方程式も解も思い当たらなかったが、平静に努めている内に、理解した。
ノートの隅に、これを使うと良い、と方程式を書き込むと、藍は、うん、とだけ言って納得したようにノートに向かい直した。
再び僕達は、静かに勉強に明け暮れるようになった。
いつも通りの静かな勉強会。
休み時間、昼休み。そうして、最近では放課後も。
藍と一緒に、期末テストに向けて勉強する時間が増えて、この時間もすっかり馴染みある時間と化していたが……何故だか、今日は少しだけ毛色が違った気がした。
時計の針の音が、ヤケに耳障りだった。
シャープペンシルがノートに文字を刻む音。嫌いではないのに、今日は少しだけ、不協和音のように僕の神経を逆なでた。
落ち着かない。
どうして、落ち着かない。
藍がいるから。
でも、藍が僕の家に来たことなんて、かつてもしょっちゅうあった。今更落ち着かないだなんて……緊張するだなんて、そんなことは。
そんなことは、あるはずがない。
「あ」
余計なことを考えるあまり、書きミスをした。
いつもなら何てことないことなのに、たったそれだけのことで気持ちが乱れ、苛立ちを覚えた。
さっさとこの失敗を失くしたい。
視界に入った消しゴムに手を伸ばした。
そして、藍の手と触れた。
右手の人差し指、爪の先に少しだけ。
それだけしか触れていないのに……彼女の温もりが僕の手に伝った。
「ごめんっ」
慌てて手を離した。顔が、熱かった。
手を離した拍子に、消しゴムが宙に舞った。
「あ」
浮足立っている。そのことを自覚しつつ、消しゴムの行方を追った。そして、消しゴムに手を伸ばした。
飛び上がった消しゴムは、無事僕の手中へ収まった。
「あ」
足が、しびれていた。
少しの時間、地べたに座り小さい机に向かい勉強をして。
たったそれだけなのに、両足がジーンと痺れていた。消しゴムを掴むため、身を乗り出した時、両足の痺れで僕は体のバランスを大きく崩した。
どってーん、と音がするくらい、僕は無様に転げた。
「いてて……」
転んだ拍子に、少し頭をぶつけたらしかった。
頭を擦りながら、僕は状況を確認しようと目を開けた。
そして、藍を押し倒していることに、気が付いた。
緊張によりまともに稼働していない頭が機能停止するには、十分過ぎる状況だった。
それからしばらく、僕達は見つめ合っていた。
「……ごめん」
「別に」
最近、気付いたことがある。
藍が別に、と言うことは。
多分大概が、相手の言葉を否定するために使う、そんな言葉だと言うことを。
だとしたら、今藍が言った、別に、は直前の僕の言葉を否定するために使われた言葉。
ごめん、と謝罪する僕の言葉を、藍は否定したのだ。
ごめんを否定する意味。
謝る必要なんてないような、些細なことだって意味なのか。
はたまた……謝られる程、不快ではなかったと、そういう意味なのか。
……止めよう。頭が少しおかしくなりそうだった。
僕はゆっくりと藍の上から退いた。
藍は、少し名残惜しそうに、寂しそうに僕を見ていた。
それからもう一度謝罪をして、僕達は勉強に戻った。が、それから僕がまともな思考回路で勉強出来ないことは、明白だった。
助けて!
なかなかポイントが伸びなくて困ってるの!
何卒、たくさんの評価、ブクマ、感想を宜しくお願いします。。。