贈り物
翌日。
いつもより少しだけ眠気を感じながら家を出た。昨晩、二度目の高校生にして初めて部活動に参加することが決まった。
前の高校生活含めて、部活動に参加はしてこなかったが……思い返してみると、特別嫌だったから部活動に参加しなかったわけではなかった気がする。
部活動に僕が参加しなかった理由。
それは、ただ単に部活動に参加するより、楽しそうなこと、やりたいことが僕の前に転がっていたに過ぎなかった。
例えば、前の高校生活であれば藍の後を追うことであり、藍を視界の端に入れることだったり、藍を……かつての僕、本当に藍に執心だったんだな、とふと気付いた。
一歩間違えれば、ストーカー。
一歩間違えなくても、ストーカー。
藍と言う人は、よく僕みたいな危うい人と付き合い、結婚を決意したものだ。
それでいて僕と言う人は、思い返せば危なげなことをしていたくせに、よく倦怠期……だとか宣えたものだ。
まあ、今そんな話はどうでも良い。
とにかく、昨日の江頭先輩、優子さんとの会話の末、僕は天文部、改め天文同好会に参加することに付加価値を見出し、入部を決意した。
それならそれで、彼女達の目的のため、僕は尽力すべしだし成果を成すべき。
社会人時代を経て、恐らくその辺の高校生よりは責任感が伴っている僕は、少しだけそういう決意を固めて入部をしたのだった。
故に、昨晩はどうすればプラネタリウム製作の手伝いが出来るだろうか、と一晩中考えていた。ネットで自作プラネタリウムの値段を調べたり、どれくらいの製作期間が必要だったり、そもそもプラネタリウムを見せる学園祭はいつだったか、だったり、とにかく色々調べて、考えを巡らせていたのだ。
おかげで今日は、少し寝不足だった。
そんなわけで、家を出るなり大あくびを掻いた。
幸い、始発に近い電車の車内は、あまり人が多くなかった。スマホ普及の進んでいなかった十年前。まだガラケーだった僕は、一度目の高校生活の時と違い、携帯電話を電車内で使う機会がめっきり減った。
十年の文明の後退は、僕にとっては些細な暇つぶし手段の一つを奪う煩わしいものでしかなかった。
シートに腰かけて、車窓からの景色を眺めながら学校最寄り駅に辿り着くのを待った。
ふああ、ともう一度あくびを掻いた。このままだと寝てしまいそうだった。少しだけ眠気覚ましにならないかと思い、ふと気付いた。
藍が、いた。
いつもより早い時間に家を出たわけではない。藍はいつも、僕より早く学校に来ていた。
だからあまり、深く気にしていなかったのだが……藍が、いた。
車内に、藍がいたのだ。
同じ車両の、向かいの一列向こうの座席の手前。
藍は、そこに座っていた。
特徴的な、コードまで赤いイヤフォンをしていた。
あれは確か、高校時代、大学時代と長らく彼女が愛用したイヤフォンだった。社会人になるにあたり、満員電車に揺られる内にフルワイヤレスが良いとようやく替えた……懐かしき、彼女の愛用品だった。
……確か。
あの愛用品の代用品となったフルワイヤレスイヤフォンをあげたのは、僕だった。
小綺麗な梱包を施したプレゼントを渡した時、藍は僕があまりプレゼントをしないたちだったからとても驚いていた。そして、うずうずした末、僕が開けなよ、と言ったことを契機にプレゼントを丁寧に手早く開けたのだ。
あの時プレゼントを嬉々として開ける藍は、さながら待てと餌をお預けされ、良し、と餌にかぶりついた犬のようで……ギャップと言うか、とにかく可愛いな、と微笑んだ記憶があった。
ただイヤフォンのプレゼントだと分かった途端、藍は少し顔をしかめた。
『あのイヤフォン、似合ってなかったってこと?』
不機嫌にそう言う藍に、僕は慌てて釈明をした。
そろそろ限界近そうだから。
満員電車でコード付きは少し危ない。
これも君に似合うと思った。
等々、あの手この手で藍のご機嫌を取った。女心と言うのは、良くわからない。そう思いつつ、そもそも人の気持ちなんてわからなくて当然だと思い至った記憶があった。
結局、しばらくの釈明の後、藍はぶつくさ言いながら僕のプレゼントを愛用してくれるようになった。
気付けば、あの赤いイヤフォンと同じくらい、僕の贈ったイヤフォンも愛用してくれているはずだった。
彼女は、物を大事にする性格だ。
その辺は新たに買い足せばよいと割り切りよく散財する僕とは真逆。彼女らしい、しっかり者の印象を抱かせる、そういう一面だった。
懐かしいな。
久しぶりにあのイヤフォンを見たから、思わず柄にもなく過去に思い耽ってしまった。
ただおかげで、眠気はすっかりすっ飛んだ。
……そして、おかげで。
藍に、バレた。
電車はまもなく、次の駅に滑り込んだ。
乗車客は、まだまばら。
扉が閉まり、電車が発車したタイミングで、藍は立ち上がってこちらに歩み寄ってきた。
「おはよ」
「うん。おはよう」
少しだけ意外だった。
まさか、朝の挨拶をされようとは。
無言の時間で、スッと藍は僕の隣に腰を下ろした。
シートが柔らかく少し沈んだ。
突然の藍の奇行……と言うには、失礼か。藍の行動に、僕は彼女に視線を奪われた。
藍は、僕の視線を感じたのか、僕の方を向いた。
そして、スッと指が細い右手を僕の顔目掛けて伸ばしてきた。
「え」
何をされるのか、と少し驚き、間抜けな声が出た。
藍は……、
「目の下、隈」
気付いた。
もうこいつら結婚しろよ。してたわ。
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