照れくさい
まもなく午後の授業が始まる。
僕は慌てて、教室に戻っていた。
「ふう」
チャイムが鳴ると同時に、教室に帰還を果たした。ため息を吐いたら、何故だか静かな教室内から多量の視線を感じて、僕は顔をあげた。
「うわあ」
見れば、クラスメイト皆から見られていた。好奇。訝しげ。畏怖。様々な視線だったが、もれなく全員から視線を浴びていた。
「な、何さ……」
たどたどしく、僕は尋ねた。
「……もう、この辺のクラスでは話題になってる」
そう言ったのは、倉賀野さんだった。
「青山、あんた先生に喧嘩売ったの?」
「いや、売ってない」
言われのない誤解に、辟易としながら僕は首を横に振った。
途端、嘘だーと教室内が騒がしくなった。どうやら辟易としているのは、向こうも同じようだ。
嘘は言っていない。
僕は喧嘩を売ったわけではない。ただ向こうの非をチクチクと指摘した上で、あんな奴と組みたくなんてないと自己主張をしただけだ。
まあ、それが学生から見たら喧嘩を売ったように見えたのかもしれないが、それは全くの誤解だった。騒動起こしたな、と言われたら、はいそうです、と答えざるを得ないが。
……さっき職員室でひと騒動起こした時、成り行きを見守るためか、心配で動けなくなっていたのか、予鈴が鳴ったのにたくさんの先生が職員室に残っていた。
おかげで、この教室にもまだ国語の担当教師は来ていなかった。
そうなると、気の緩んだ学生が職員室で起きた騒動を野次馬根性で聞き出そうとするのは、必然だった。
「じゃあ何してきたんだよ」
「あの矢沢に嚙みついたんでしょ。早く聞かせなさいよ」
喧しい教室の中、僕は一先ず自席に向かった。
「別に……大したことはしていない」
「なんだかそれ、坂本さんみたい」
ギロリ、と指摘した少女と僕は藍に交互に睨まれた。僕は無関係だと思うのだが。
この喧しい状況、収めるには事情は説明するしかないのだろう。
僕は自席に付くや否や、先ほどの話をクラスメイトに話し出した。
矢沢先生との面談は、失念した彼のせいですることは出来なかった。
せめて資料を読んで問題あるところを言ってくれと言ったが、資料は読んでいなかった。
いつなら読めるか聞いたらいつまでも読めないと言われた。しかもそれ、嘘だった。
「だから、あなたは信用出来ないから上司を出せと言って、教頭と放課後話すことになった」
「何よそれー。矢沢ふざけてるわー」
クラスメイトから、そんな憤りの声が溢れた。
しばらく矢沢先生を批判する論調が続いた後、僕の話を咀嚼し始めた皆は話題を移していった。
「なんだかスカッとしたー。職員室、行けばよかった」
「ねー。青山、意外と結構言うんだ。でも悪いの、向こうだしねー」
「うんうん。矢沢が怒られるなら良かったよー」
勧善懲悪。水戸黄門。
そんな展開を喜ぶ声が、クラスメイトから上がった。
「良いもんか」
僕は呆れながら言った。
「何、青山教頭に怒られたの? だから、そんなことになって最悪ってこと?」
「違う。僕は正論を言っただけ。怒られたのならそれを指摘してやってたよ」
「うわはあ。言うねえ。じゃあ何が気に入らないのよ」
「結局話、何も進んでいないだろう」
僕の腹積もりでは、さっきの昼休みの面談で全校集会参加の方向に話を持っていけて、放課後にはそれに向けた準備を出来る予定だったのに……半日近く、これでは損するではないか。
本当、しょうもない人のせいで時間を無駄にした。
その話が勧善懲悪だなんて、そんなはずないだろう。
胸糞悪い以外の感情、湧いてきもしない。
……まあ、これから三年間の学生生活を過ごすに向けて、一人信用出来ない人を知れたのなら収穫か。
僕のせいか、少し気まずそうなクラスメイト達に気を配ることなく、僕は大きなため息を自席で吐いていた。
それからまもなく、担当教師が教室にやってきた。
「遅くなってごめんー」
チラリ、と教師の視線が僕に寄せられた。その視線から、畏怖のような恐れを感じた。
どうやら女性の先生だが、完全に恐れられたらしい。
本当、碌なことがない昼休みだった。
せめて、放課後の面談では話が進むことを祈るばかりだ。
授業の終了後。
「ちょっと」
人目のあるところでは絶対に僕に話しかけなかった藍が、眼前にいた。
「……お疲れ」
「ありがとう。何も話は進んでないけどね」
やれやれ、と僕は肩を竦めた。
「でも、結構言ったんでしょ。矢沢って先生に」
「まあね」
「じゃあ、向こうももうこっちは無下に出来ないんじゃない?」
「……そうかも、ね」
「じゃあ、その……やっぱり、お疲れ」
「別に、労われることはしていない」
現状はただ、矢沢先生に文句を言っただけだし。
「でも……多分、あんたにしか出来なかったことだよ」
……うぅむ。
まあ、まだ子供である学生ではあそこまでは言えなかったかもしれない。子供の頃の僕が、決してそこまでの文句を言えなかったように。
「……ありがと」
「……別に」
鬱憤が残る気持ちのせいで、少し冷たい声で言ってしまった。
しかし言ってからすぐ、気付いた。
「え?」
慌てて、藍を見た。これまでの十年間でこんな優しい労いの言葉をかけてくれたことはなかった彼女の言葉に、僕はそうせざるを得なくなっていた。
藍は……。
頬を染めて、目を伏せて……。
恥ずかしそうにしていた。
そんな極稀にしか見たことのない、彼女の見惚れる表情に……僕は照れくさくなり、顔を背けた。
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