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第十七話:お后様はだれでしょう?

「神様だって、人と恋に落ちるの。本当ならそこから慈悲が生まれて、お互いを思いやる関係が育まれてゆくのだけどね」


 ヒハヤお姉ちゃんはそう言って、私の顔をのぞいてくる。それは同時に、ボクがヒハヤお姉ちゃんの瞳を見つめるということだ。

 これまではなかった、瞳の下に浮かぶ黒い影が印象的だった。もしかして具合が悪いのだろうか。声の調子はこれまでと変わりないようにも思えるけど。


 あらためて言わずとも、この北志国で一番偉い男性は大王であるタケミカズチだ。ヒハヤお姉ちゃんは多分、あの無骨すぎる支配者(おとうと)に本当の恋をさせてあげたいのだろう。それが巡り巡って、女性の地位を高めることにも繋がってゆくはずだ。

 その土台はもう完成していた。大王に、この後宮へ一歩でも足を踏み入れてもらえるなら、きっと百選練磨の先輩方が女性の素晴らしさというものを教えてくれるはず……。


 ……なんだ、けど。


「でっ? 卑弥呼ちゃんはどう?」


 ヒハヤお姉ちゃんはボクの瞳を覗き込んだまま、口を開いた。


「どうって??」


 ボクも女神樣の眼力に負けぬよう、問いかえす。


「うちの弟」


 謁見の間での会話を必死に思い出す。


「うーん、えらそう?」


 まあ、大王なんだから当然だけど。


「それだけ?」


「うん」


「はあぁぁぁぁ」


 ヒハヤお姉ちゃんはようやくボクの瞳から視線を外し、ガクリと溜息をつく。どうやら落胆させてしまったみたい。

 だって大した会話もしてないんだし、他に言いようがないもんね。そもそも今のボクは、お世辞にも男に好意をもっていない。いや、むしろ嫌悪感の方が大きい。それでもヒハヤお姉ちゃんは、一縷の望みを抱いていたみたいだ。


「美好で卑弥呼ちゃんを見つけた時は、キミならって思ったんだけどねえ」


 ボクだって女だ。ここまで言われれば察しはつくけど、一度はお断りをいれたはず。


「やっぱりボクに、お后様は似合わないよ」


 困った顔で苦笑するしかないよね。お姉ちゃんが弟の嫁探しとは、女神樣も大変だ。

 

「だからこそ、女を磨くこの後宮があるんじゃない。最初なんて皆、どんぐりの背比べよ」


 それは普通の娘さんならの話。こちとら元奴隷だし、礼儀作法やら何やらもからっきしだ。無茶をいうなってヤツだよね。


「そうだとしても、ボクよりも綺麗で気品のある先輩方は沢山いるよね。それなのになぜボクを?」


「さあ、なぜでしょうね」


 そんなボクの問いに、ヒハヤお姉ちゃんは答えてくれなかった。

 これは勘だけど、お姉さんはその理由を知っている。知っていて、口にだせない何かがあるんだ。それが何なのかは、文字通り神様しかご存知ないことなんだろうと思う。



 ◇



 お后様云々のお話は横に置くとしても、正直今のボクにできることは多くない。

 女の園である後宮は、別の角度から見れば閉鎖された牢獄でもある。裏切り者のワクに捕らわれたカヤお姉さんが、今どうなっているのかさえ知ることは出来ない。

 会話が一段落し、ボクはヒハヤお姉ちゃんの淹れてくれたお茶を一口ふくむ。その直後に事件はやってきた。


「おっ――大王の、お成りですっ!」


 その悲鳴のごとき叫びは、これまでの後宮で決して聞くのことのない言葉だった。

 先日聞いた先輩たちの話では、あの雷神樣は女性に興味がなく、一度たりとて後宮に来た事が無いと言っていた。ということは、以前にはなかった“後宮の何か”が原因だと思う。


 それってつまり、ボク?

 

 玄関先からズカズカと豪快な足音が近づいてくる。全ての宮女さん達は道の両脇に控え、頭を垂れなければならない。それは勿論、ボクもだ。慌てて廊下の末席へと移動し、右にならう。

 普通の後宮ならこの後、大王の指名があるはずだ。何の指名かは、言うまでも無いだろう。


『くくく、相棒が伽に選ばれれば面白そうよな』


 面白くない、ぜんっぜん面白くない。でもその可能性が高いのも事実だ。ボクは戦々恐々としながら、大王が通り過ぎることを願った。


 そして、その願いは聞き届けられたのだっ。


「……………………」


 大王の豪快な歩みは、ボクの傍に来ても緩む気配はない。そしてそのまま、通り過ぎてしまう。


 よ、よかったぁぁぁ。

 ボクは心の中で喝采をあげ、強張った全身の緊張を緩めた。


『なんだ、つまらん』


(つまらなくていいの!)


 あれ、でも。じゃあ、誰が今夜の伽に指名されるんだろう? そんな疑問は周囲のざわめきにかき消された。


 その勢いのまま、大王は奥殿にまで突き進む。

 って、そこは。――――まさか、っていうかやっぱり?


 ボクの疑問は次の瞬間、確信へと変わる。

 バタンと豪奢な奥殿の大扉を開けはなち、大王は大音声を放ったんだ。


「姉君、お迎えに参上したっ!」


 ヒハヤお姉ちゃんの考えは正しかった。ボクの脳裏に先ほどの「……とも、言えないのが困ったちゃんなのよね。ウチの弟は」という言葉が思い起こされる。

 やっぱり、この王様は実のお姉さんであるヒハヤお姉ちゃんしか眼中になかったのだ。

 一番の新米であるボクは序列でいれば最後尾となる。だからこそ奥殿に一番近くに座っており、二人の会話も聞こえてくる。

 それは、口説き文句としては最低と断じれるほど強引なものだった。


「いかに大王とはいえ、事前の断りなく女の園へ足を踏み入れるとは何事ですか」


 事前に予想はしていたのか、ヒハヤお姉ちゃんの表情は厳しい。女神のごとき羽衣をまとったその姿は、まさに後宮の女主人そのものだ。


「この国の全ては余の所有物。ゆえに何人たりと、たとえ何処であろうとも足を止める必要はないでしょう」


「それが横暴であるというのです!」


「聞こえませんな姉君。貴女もこの国に居る以上、余の所有物となりますゆえ」


 しかし大王の態度は少しもぶれなかった。これが神の傲慢さだとばかりに、己の我を貫く。


「……本気、なのですね」


「無論。むしろこのような後宮など不要であったのだ、余の御子を身ごもるのは姉君、貴女の他におらぬ。……いや、不要とまでは言えぬか」


 ギロリと、その鋭い視線はボク達後宮の女に向けられる。悲鳴をあげる先輩はもちろん、気をやってしまう方さえでそうな殺意だ。


「逆らうことは許しませぬぞ。もし抵抗されるのなら、余は腹いせに何をするかわかりませぬ」


 この瞬間、後宮の側女達は大王の人質となった。もしヒハヤお姉ちゃんが断ろうものなら、どれだけの被害が出るか。

 側女達全員の視線が、後宮の女主人に注がれる。それはか弱き乙女達の僅かな希望だった。


「………………っ」


 ヒハヤお姉ちゃんの答えは、一つしかない。それでも最後の抵抗とばかりに、自身の弟を睨みつける。しかしてそれは、悪手以外のなにものでもなかった。


「なるほど、まだ決心がつかぬか。ならば何人か説得役を選別しよう!」


 大王が振り向き、神の眼力が後宮の側女であるボク達に降り注ぐ。

 これは、まずいっ。この大王、ヒハヤお姉ちゃんを説得するために何人か殺す気だっ!


「まって、分かった解ったからっ! すべては大王の、……おおせのままに」


 慌てて従属を誓おうとするヒハヤお姉ちゃん。


「もう遅いわっ!」


 だが大王は止まらない。その瞳から白銀の神力がほとばしり、今だ廊下で平伏す側女達に自然界ではありえない、横殴りの雷が迫る。


「やめろぉっ!」


 とっさの行動だった。ボクは反射的に叫びながら、王様の視線を全て自分の身体で埋め尽くすよう飛び出した。

 この身体は神様が乗り移ってから、怪我の一つもしたことがない。その頑丈さは折り紙つきだ。


 けどそれは、残念ながら人間相手での話だ。


「相棒っ、俺の剣を使え!」


 ボクは神様からもらった左腕に、全神経を集中させる。まるで腕の骨が手の平から飛び出てくるかのような違和感を覚えた先に、久しぶりに見る黒光りした鉄剣があった。


『コヤツは天高原でも指折りの武を持つ雷神:タケミカズチ。その眼力は見る者の目玉を貫通し、雷が落ちたかのような衝撃を頭蓋に与える。その速さは光の如しだ。だが、お前には俺がいるっ!』


(応!)


 ボクと神様の意志が一つになる。

 まるで耳が突き破られるかのような雷鳴だった。

 側女さん達の誰もが反応できず、ただその光景をポカンと見守るしかない。そんな状況で動けたのはボクだけだ。

 前もって雷神と側女さん達の間に割って入り、左手に権限した神剣をもって神の雷を受け止める。


「ぐうううううっ」


 神剣から伝播した雷は、そのままボクの腕を、肩を、胸を、そして足へと通り過ぎて床全体に拡散する。さすがに無傷とはいかない、まさに雷神の一撃だ。


「うぅ。でも良かった、間に合った!」


 痺れる身体にムチをうち、ゆっくりと後ろを振り向けば、ボクに後宮でのお仕事を教えてくれた先輩や側女長さんに怪我はない。心底ほっとした。美好のように、状況に流されるままで終わるのはもうゴメンだ。

 一方、ボクの行動に一番驚いたのはこの国の大王である雷神:タケミカズチだった。


「……防いだ? 人間の娘ごときが、世の雷を受け止めた? きさま、何者だっ!?」


 ボクの抵抗はここまでだった。

 本来、大王なんて人が一人で動くことなどありえない。それがたとえ、自分の城の中であってもだ。

 大王の怒声を危機だと判断したのか、後宮に城の兵士がなだれ込んで来る。もはや女の園の規則など守る気さえないらしい。


「大王に逆らう愚か者に、天誅をっ!」


 兵士の誰もが、大王に逆らったのがボクだとは分からない。

 だが、それでも問題なかった。この時代、怪しきは罰せよなのだ。兵士の一人が槍を振り上げ、ボクと同い年くらいの側女へ刃を向ける。

 皆の口から、恐怖の悲鳴があがった。とっさにボクも兵士の凶行を辞めさせようとするが、雷の通過した身体は言う事を聞いてくれない。


「やめろおおおおおおおおっ!」


 ボクの目の前で、短いながらも後宮で暮らした顔馴染みの側女達が凶刃にさらされようとしている。

 その次はきっと、側女長さん、先輩側女さんへと順番が巡ってくるだろう。誰も彼もボクにとっては大切な恩人だ。


 ――だめだ、身体が……助けられないっ!

 思わず両目の目蓋を閉じ、顔を背け、ボクは最悪を覚悟する。


 そんな刹那の時、女神の神言は後宮中に響きわたった。


「我が愛しき鳴戸の兵達よ。振り上げた刃を降ろしなさい」


 怒声でも、悲鳴でもない。不思議と腹の底に染み渡る声だった。

 これは美好でも見せてもらった、ヒハヤお姉ちゃんの権能“魅了”だ。


「神の傲慢に、人の子である貴方達が従う必要はありません。我が弟:タケミカズチよ、そなたの望みは、私なのでしょう? ならば無益な殺生は必要ありません」


 しかしてその権能も、効力があるのはあくまで人間のみ。同じ神である大王には通じない。

 この混乱を治めるには、もう一手が必要だ。


「たしかにたしかに、この場を鎮めるのは姉上の心持しだいでしたな。ほんの、少し前までは」


 強欲と色欲の神は、雷をまとった瞳でボクを見下ろしてくる。

 ボクにも、自分の軍門に下れと言っているのだ。隠し事をすべて広げ、本当の意味での忠誠を誓えと。


 拒むなら、この後宮は血の海となる。


 ボクは、心の中で謝罪した。

 ミカさん、カヤお姉さん、革命軍の皆や、里に残してきたミイちゃん。そして、今まで出会った全ての人に。


「改めて聞こう、そなたの名を――」


 偽名である卑弥呼を名乗ることもできた。

 けど今は、ボクの肩に余りにも多くの命が乗っている。危険な賭けはなしだ。


「ヒルコ、……ボクの名はヒルコだ」


 この名にどんな意味が隠れているのか、それはまだ分からない。でもこの名には、ヒハヤお姉ちゃんやネサク、イハサクの双子ちゃんが驚く何かがある。

 予想どおり、雷神:タケミカズチも表情を凍らせた。


 そして、


「何っ、ヒルコだと? …………貴様、まさか“天高原の忌み子”かっ!?」


 目の前の雷神は、これまで一度も聞いたことのない言葉で、ボクを言い表した。

 気づけば、周囲の騒乱はピタリと停止している。その場に居る兵や側女達の誰もが、ボクと大王の会話に耳を傾けている。


「……“天高原の忌み子”ってなんのこと? 大王は、ボクが誰なのか知っているの!?」


「………………」


 大王からの、返事はなかった。


 代わりに言われたのは、服従の誓い。


「ヒルコ、そなたも余の物となるのだ。拒絶は決してゆるさぬ、良いな」


 抵抗は、ここまでだった。

 ボクは大王の眼力に屈し、跪いて忠誠の意を示す。そうしなければ、この大王は本当に奥殿を血の海に変えかねないからだ。


 この決断が吉か凶かは、まだ分からない。確かなのは今、この時をもってボクらの革命は失敗し、北志国は本当の意味で“姦淫の国”となったということだ。


 雷神たる大王はもう止まらない。その歯止めをかけていた後宮の女帝も、新しき革命をもたらす異物(ボク)も、膝を折ってしまった。


 城下では今だ、昼夜問わず娼婦の鳴き声が響く。

 それは永遠に続く、北志国そのものの悲鳴にも聞こえた。

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