第十二話:ヒハヤヒメお姉さんの人生相談「お気楽人生のススメ」
もう手遅れで、今さらだけど。
ボクは副村長を殺すつもりなんて、これっぽっちもなかった。
人が歩く時に地面を這う蟻をわざわざ避けないように。ボクがただ、神様からもらった左腕を動かしただけで副村長は炭になってしまったんだ。
これまでの数年間、奴隷として受け続けた恨みを晴らしたかったわけでもない。
そもそもこの人は副村長だ、ボクを苛め続けた村長じゃない。そしてその村長は、この副村長が殺してしまった。ボクと一緒の、一本腕となった村長から長の座を奪い取ったのだ。ボクの知る村長はもういない。
「何が、一体何がおきたのだ!?」
一瞬の出来事に、美好の長が驚愕の声を放つ。
他人から見た今のボクは、いったいどのように見えているのだろうか。
神様から貰った左腕は、見た目のうえだけでは普通の腕と代わらない。物は持てるし、特別といえば神様の剣を隠せることくらいだろうか。
ゆえに、だからこそ。
常人ならざる裁きを見て、ヒトは、ボクの中の神様に平伏した。恐怖より、歓喜を選択した。観衆は口々に都合の良い答えを並べ始めたのだ。
「神罰だ。この美好の地に、火の巫女神が御降臨なすった。この者は女神の怒りに裁かれたのだっ!」「愚かしい罪人を、浄化してくだすった。これで美好は安泰だっ!」「ありがてぇ、ほんまに、ありがてえ」
これは、なんて酷い冗談だ。
神様なら、人を殺しても感謝されてしまうのか。それほど神様とは、絶対的な存在なのか。
この世は理不尽に満ちている。
どれだけ善行を重ねようとも、どれだけの悪行を重ねようとも。たった一度の不幸や、一瞬の狂気によってあっさりと死に至る。
なら、善行を重ねる意味とは何だろう?
ボクはなぜ、ヒトを殺めてはならないと自分に律していたのだろう? 他ならぬ、神様にさえ否定されているというのに。
壊れてゆく。ガラガラと、破壊されてゆく。
これまでのボクがボクであるための何かが、粉微塵となってゆく。
「ははっ、ははははは…………」
口からは笑いが零れる。そうか、ヒトって心が限界を越えると笑ってしまうんだ。
もう、いいや。もういい、ボクは頑張ったもんね。
終わりにしよ?
ボクが終わらせる。この世に良い事なんかない。
再び、神様の左腕を振り上げる。今度は明確に、殺意を籠めて神の剣を振り下ろす。天井を、観衆を包み込んだ劫火が赤々と照り始める。
数瞬後には灼熱となって人を、神社を、そしてこの街の全てを焼き尽くすだろう。
それでいい、もうそれで。
ボクの中にいるスサノオも言っていたじゃないか。
この世に神が定めた法はただ一つ。
“弱肉強食”だけなんだと。
「この街で一番強いのはボクだ。ならこの場に居る全員、ボクの糧になる運命なんだ。だからみんな、皆そろって燃えちゃえ――――」
でも、
「やめなさいっ!」
止められ、ちゃった。
「卑弥呼ちゃん。キミはなぜ、泣きながら笑っているの? やりたくもない過ちを、犯そうとしているの?」
何時の間にか、ボクの前にはもう一人のヒハヤヒメお姉さんが立ち塞がっていた。ようやく楽になれそうだったのに邪魔されたボクは、鬱屈した感情があふれ出す。
「どうして邪魔するのっ! この世界に良い事なんかない、あるのは理不尽と不幸だけ。なら、なら全てを壊したって良いじゃない!!」
「……卑弥呼ちゃんの言葉は、私も真実だと思う」
「ならどうして止めるのっ!?」
「他でもない卑弥呼ちゃん自身が、悲しそうに泣いているからよ!」
おっとりとした言葉使いのヒハヤヒメお姉さんが、初めて声を荒げた。
指摘されて、始めてその事実に気づく。えっ、ボク、泣いてるの?
「ええ、他なんて関係ないわ。この世は煉獄、理不尽や不平等が山ほどある。ならば好きなことをして、楽しく生きてゆく。結構なことだわ、私だってそうしてる。
けど、今の卑弥呼ちゃんは全然楽しそうじゃない。好きなこともしていない。それじゃあ、何のために心を傷つけているのよ!
どうせ傷つくなら、楽しんで傷つきなさい。どうせ傷つくなら、好きに傷つきなさい。
楽しく傷ついて、好きに傷ついて。そして命の果て際に、良かったと言えるなら万々歳、心置きなく逝けるでしょう。
ねえ、どうしてキミという存在は、そこまで歪にゆがんでいるのっ!?」
「――――そんなのボクが知りたいよっ!」
女神樣の問いに、ボクは答えられなかった。
これまでの奴隷人生では、傷つく自由さえ無かったからだ。この身体に、心に残る傷は付けられたものであって、自分で付けたものじゃない。
神社の中をあれほど荒れ狂っていたボクの炎は、いつの間にか消え去っていた。もはや怒りはない。ただただ、癇癪をおこした幼子のように泣きじゃくる。
「罪を背負っているのはキミだけじゃない、このよ――夜海原に生きる全ての者がそう。もちろん、この私もね」
あれだけ堂々と明るく歩むヒハヤヒメお姉さんの心にも、影があるの?
「私の父は、あろうことか生んでくれた祖母を殺して生まれてきた。
うまれもって火を司る宿命を与えられたがゆえに、その身体は炎を纏い、祖母の産道を焼き焦がしながら生まれてきた。そして最後は怒りを買った祖父に、実の父に殺されてしまったのよ。
私はそんな業を背負った、罪人兄妹の長姉」
「でもそれは、お姉さんの罪じゃない。お父さんの罪だっ!」
「そうね。でも私は許されていない、だから此処に居る。寡黙なあの子も、武一辺倒なあの子も祖父に許されていない。どうすれば許してもらえるかも分からない。だったら――」
「……だったら?」
ゴクリと、ボクの喉が鳴った。目の前の女神樣は、これほどの理不尽をどうやって乗り切ったのか。
ボクは答えがほしかった。今の地獄を乗り越えるための答えを。
だが女神樣の答えは、驚くほど拍子抜けするものだった。
「開き直るしか、ないじゃない?」
◇
「……ひらき、……なおる?]
「ええ、そうよ」
予想もしなかった答えに、ボクの眼は限界まで開かれた。
「そんなの、そんなの答えじゃないよ!?」
「あらどうして? だって私の罪は親から受け継いだものだし、卑弥呼ちゃんの罪だって奴隷ゆえの固執した考えだもの。別に私達個人がどうこうして断じられた罪ではない、違う?」
「えっ? ええ?? だって、だってぇ……」
そうなの? 本当にそうなの?? ボクの頭は大混乱、はちゃめちゃのくちゃくちゃです。
「そもそも人殺しなんて、此処に集まる人間は日常茶飯事に行なっているわ。粛清という言葉で誤魔化してね。ヒルコちゃんの考えで言えば、支配階級、特に此処に集まった奴隷商人どもは大罪人よ。こいつら、奴隷の死をなんとも思っちゃいないもの。天罰が落ちて、当然!」
「ひっ!?」
女神樣の指摘に、その場に居る奴隷商人達は短い悲鳴をあげた。
確かに? ボクは、ボク自身にしか理屈を当てはめていなかった。けどこの夜海原は広い。それこそ星の数ほど人が居てもおかしくないぐらいだ。
その支配階級に居る全ての者が、大罪人?
でも、でもでもっ。ああああっもう!
「ふふふ、頭が混乱して収拾がつかなくなってるでしょ?
だから言ったじゃない。余計なことは考えずに、好きに事をして、楽しく生きていきなさい。
卑弥呼ちゃんは、それだけを考えれば良いの。後の不始末は、貴女の中にいらっしゃる御方が何とかしてくださるわ」
『――チッ、やはり俺にも気づいておったか。油断ならぬ小娘よな』
神様の事も、ばれてる?
「だから、泣かなくてもいいの」
ヒハヤヒメお姉さんが一歩、ボクに歩みを寄せる。
「悲しまなくてもいいの」
更に一歩。ボクは一歩後ろへ。
「苦しまなくて、いいの」
お姉さんの歩みはどんどん速くなり、それに気圧されたボクはしどろもどろになりながら後退する。
「あっ」
そしてついにボクは、舞台袖に追い詰められ。
知らないはずの、母を知った。
「卑弥呼ちゃん、貴女は優しい子。他人の死、いえ恨みを持つべき相手にさえ慈悲の心が持てる優しい子。
でも世の罪を、理不尽を一身に受け入れなくとも良いの。受け入れるのではなく受け流しなさい。こんな世界を造ったのは、他ならぬ主神自身なのだから」
ボクの顔面が真っ暗で、とっても柔らかい。しっとりとした感触に包まれる。
「わぷっ」
続いて背中にしっかりとした、二本の腕が回りこむ。
これまでの人生で、感じたことのない温もりだった。優しく、しかして決して離そうとしない意思の強さ。
ボクは、ヒハヤヒメお姉さんに抱きしめられているのだ。
「わわ、わわわわわっ!?」
「感じてる? 卑弥呼ちゃん。これが抱擁というものよ。人の赤ん坊が母から生まれでて、最初に必ず味わう幸福がこれ。思い出した?」
「えっと、柔らかくて、しっとりしてて、あったかくてっ?」
もう頭の中が大混乱で、今がどうなっているのかもよく分からなくなっている。
「やっぱり可愛いわ、この子。いっそ、私のモノにしたいくらい。でも…………」
「ふえっ、でも……なにぃ?」
「まずは、着替えを用意してもらった方がよさそうねえ」
神代から現世に戻って来たかのようだった。
段々と意識がハッキリしてくるにつれ、肌寒さを感じるボク。それも当然、これまで纏っていた炎の装束が消え去っていたからです。
ボクの身体が沢山の視線を浴びている。そんな不可思議な感覚を覚え、目をあけると。
「ふっ、ふえええええええええええっ!!??」
ボクは、すっぽんぽんの、真っ裸でした。それはボクに抱きついてしまったヒハヤヒメお姉さんも、同様です。
それに十四歳のボクはまだしも、十代後半であるお姉さんの裸体は猟奇的なほどに完璧で。
先ほどから感じる色欲の視線が更に強くなり、観衆の中に居るの男が一言「すげっ」と声にだした瞬間。
憤怒から悲しみへと変わったボクの顔が、もう一度、鬼のごとき形相に切り替わります。
それなのに、当の本人は実にのんびりとしたものでした。
「あらあら、まだヒルコちゃんの炎装束に熱が残っていたみたいね。困ったわぁ?」
「困ってる場合じゃないの! 見るな、この場に居る全員、目を閉じて額を地に擦り付けろ!
見たヤツは今度こそ、灰も残さず焼き尽くしてやるぅぅぅ!!」
予言は的中しました。
そう、舞台へ上がる前に口にしていた神様の戯言が、的中してしまったのです!
ですが、当の預言者は飄々としたもので。
『とりあえずは目標を達成できたようであるし、良かったではないか。うんうん』
と、のたまったのです。
――もう、かみさまの、ばかあああああああああああっ!!!
最後までお読みいただきありがとうございました。
ってなわけで、第一部の前半はこれにて終わりとなります。
次話の十三話は前半のエピローグと、後半への序章になります。続けて読んで頂けると嬉しいです。
よろしくお願いします!