第十一話:追いすがる過去。
巫女送りの儀における審査方法は、意外にも公平で俗世的だった。
それは会場で投票を行い、もっとも多い票を得た巫女が優勝というものだ。たとえどれだけ位の高い女性でも一票は一票、大勢を覆せるものではない。
ではどうやって観衆に自分へ票を入れさせるのか、と言えば。
「まぁ、これはあって当然だよねえ」
纏うは極薄の、所々しか隠さない布一枚。色だけは黒で肌が透けない工夫がなされてはいるけど、かえってソレが更なる男どもの欲情を掻き立てているような気もする。っていうかボクの場合、以前着ていた奴隷服の方がもっと際どかったけどね。
舞台裏から出て進むは、赤布が敷かれた一本道。周囲にはボクらを見上げる観衆達。酒が入ってる男もいるのか、罵声をあげているヤツもいるみたい。
そのトンチキ騒ぎに、さすがの女神樣も不機嫌だ。
「やぁねぇ、もう。この巫女送りの儀は、未来の妃を発掘する儀式でもあるのに。品のない男は相手にする価値すらないわね」
「未来の、妃?」
確か優勝者は、大王の後宮へ入れるんだよね。
「そうよ? 言わば此処は、女の戦場。男達が戦で己の得物と命をぶつけ合うように、私達はこの儀式で美と意地をぶつけ合う。自分の卵こそが一番だと、男の種に張り合うためにね」
男が種の優秀さを競う手段は至極簡単だ。お互いに殺しあえば良い。
しかし女はそうもいかない。自らの美で男を虜にし、自らの卵を孵すため操らなくてはならない。
美とは、自分だけの価値感で決まらない。男共は当然として、同姓の女達さえも屈服させた末に。初めて、夜海原一の美と称されるのだ。
「次、巫女:ヒハヤヒメっ!」
ちょうど、女神樣の出番がやってきたようだ。
「それじゃあ、お先にね。卑弥呼ちゃん」
そう言ってボクへ手を振ると、ヒハヤヒメお姉さんは堂々と光のあたる舞台上へ姿を消した。
直後、舞台裏にさえ轟くほどの歓声が上がる。当然だとボクだって思う。あの女神様の美しさは、本当にこの世のものとも思えない。正直に言えば卑怯だ。
観客席の男共は狂ったように賛美の声援を女神樣に送り、今にも暴動になりそうなほどで。一応は間に警備の人が立ち、舞台に上がられないよう配慮がなされているけれども、ソレがどれほどの効果があるかは分からない。
『なんだ。戦う前から敗北宣言か? 別に男の戦と違って、負けても死にはせんのだ、試しに思う存分やってみるがいい』
いや、神様も見えるでしょ? アレ、反則だよぉ。
アレとは勿論、ヒハヤヒメという名の女神樣だ。あまりの理不尽なので、これぐらいの暴言はご勘弁ねがいたい。
『あいにくと、俺に魅了の権能はない。それでも助言するなら、“その薄布を剥いで裸になれ”ぐらいしか言えぬぞ?」
はぁ? 何それ最悪。神様でもなきゃやんないよ、そんなの。
『お前の中の神様像はどうなっておるのだ!? ……まぁ、よい。そんな直情的な手は俺も好まぬ。だが先に行った女神の小娘も、少々卑怯な手を使っておるようだ。わかるか?』
なにそれ、意味わかんない。
『わからんか。あの娘の権能は、今のお前に色濃く出ているであろう』
へっ、ボクに?
神様の言が本当なら、つまり今のボクは前とは違う箇所があるということだ。
どこ、どこどこどこどこ?? そんな箇所があれば、他ならない本人であるボクが一番最初に気づいている筈なんだけど。
なんのことか理解できず、混乱してしまう。そんなボクの耳に、同じ参加者である娘達のひそひそ声が忍び込んできた。
「なによ、あの赤髪。ちょっと卑怯じゃない?」「本当に燃えてるみたいじゃない。どう染めればあの色がでるんだか」「今出てる娘の髪も濡烏みたいな漆黒だし、今年さいあくぅ」
赤髪? 燃えてるみたい??
あれ? でもこの美好に入る前、カヤお姉さんは
“ヒルコちゃんの赤髪、ちょいと薄くなってないかい??”って言ってたよね。
そういえばもっと前、里に居た頃は真っ赤っかだった。別に染めてるわけじゃない。そんな覚えは、これっぽっちもない。
ならボクの赤髪は、濃くなったり薄くなったりを自然に繰り返している事になる。
自然に、本当にそう?
あの里に居た時、傍にはミカお兄さんっていう神様がいた。
そして今も、舞台の向こうにはヒハヤヒメお姉さんっていう女神樣がいる。
じゃあボクの赤髪は、神様に反応してるってこと??
なんのために?
今朝の言葉が脳裏に浮かぶ。
――さあ、立ち上がりなさい。命の炎を燃やして。
本来の貴方は、人間ごときの指図など焼き尽くして当然の御方なのだから――
そう言われながら受けた、熱き感触が唇に今も残り続ける。
燃やす? 焼く?
火、火なの?
そうだ、ボクは前からずっと火を欲していた。
あの寒い洞窟の中で、薪を集めて火を起こし暖をとりたかった。石のように硬い豆を炙って食べたかった。
寒さは嫌いだ。火は好きだ、温もりをくれるから。
ならば、火をおこそう。火を奪おう。
この神社にある全ての“火”はこの、ボクがいただく。
大丈夫。これならボク自身がたてた誓いに反していない。
人殺しは、していないっ!!
「次、早く舞台へ上がれ! 一体何をもたもたしてい――」
順番係をしていたお役人さんが、失礼にもボクを見て腰を抜かす。
それを無視して花道へ片足を踏み出した瞬間、ボクの髪は天井を焼くかのごとく燃え広がった。
この時、ボクは。
これまでのボクでは、なくなっていた。
本当の女神様になっていたんだ。
『どうやら、あの女神の接吻で覚醒したようだな。よいぞヒルコよ。思う存分、力を振るうが良い。それでこそ俺の相棒よ。何を我慢する必要がある。気に入らぬモノなど全て、焼き尽くしてしまえっ!』
◇
花道の奥から現れたボクを見て、観衆の男達は思わず数歩後ずさった。一瞬、火事が起きたのかと恐怖したからだ。
観衆達はボクの髪から立ち上っている何かが、この場の全てを灰塵に帰す大火にしか見えない。
ぼうぼうと、燃え盛る山火事のごとく。ボクの髪は炎上したように舞い上がり、その場の天井を包み込み、やがて観衆をも包み込む。
本来であれば、描くこともできない地獄絵図になったことだろう。
しかしてこの場に居る誰もが、なぜか暑さも熱さも感じなかったのだ。
なぜか、この場に居る全員が理解していた。この炎は、現世のものではないのだと。焼き尽くす者を、選んでいるのだと。
この炎は、神火に他ならないのだと。
周囲の火を操る事で手一杯だった。
手元の加減を間違い、舞台衣装であった装束も一瞬で燃え尽きてしまう。けれど火傷を負う心配はなかった。この時ばかりは頑丈な体にしてくれた神様に感謝する。
一矢纏わぬ艶姿で舞台に立つボクを、観衆の男達が一心不乱に見つめている。だが不思議と、色欲の気配は感じられなかった。神代よりもたらされた美は、すべての男達に色欲より信仰を優先させたのだ。
「おお、大いなる天高原に住まう御神よ!」
そんな誰かの祝詞が聞こえたのち、花道の周囲に居るはずの人々が消えた。いや、消えたのではなかった。消えたのではなく、見えなくなったんだ。
原因は至極単純。観客の全員がその場で膝をつき、こうべをたれ、額を木床に押し付けたから。
元奴隷で、最底辺の身分だったボクが。支配階級の商人達を統べている。それは全くもって、実感の湧かない光景だ。
それでも今のボクとて、ボクであるに違いない。
周囲に火花を散らしながら炎獄という名の装束を身に纏い、燃え燃えな自分が堂々と花道を突き進んでいる。それはまさに、神のために用意された道だった。
「ねえ、この“巫女送りの儀”を束ねる長はだれ? どこ?」
ボクの口から端的に、天へ響くような声が発せられる。
花道の向こうから、「ひぃ」という悲鳴が聞こえた。そこに今日の儀式を開いた人物がいるんだろう。
「前へ来て。神を待たせる非礼は、キミの命より重いと知って」
これは神様にしか出来ない、神様にのみ許された傲慢さだ。
ぶくぶくに太った男が一人、慌てて此方に近づいてくる。
「巫女送りの儀を主催しております。美好の長の……」
「ああ、良い。人間の男の名なんて興味ない。キミに命ずる、ボクを北志国の都である“鳴戸”へ案内して」
それはあからさますぎる勝利宣言だった。
今の女神様は、自分が敗者になるなどとは思ってもいない。さらに言えば、拒否されるとも思っていない。
その場の誰もが、神様の命令に従おうとしていた。
その時。
意外な人物が、ボクの視界に映り込んだ。
「ふく、……そんちょう?」
人としての心臓が、ドクリと、大きくはずんだ。
間違いない、アレはボクが奴隷として生活していた村の副村長だ。逃げるボクに、それでも執拗な追っ手を差し向けていた男だ。
激しく鼓動する心の臓をしずめながら、口を開く。
「そこの、……男」
「ひいぃっ!?」
ボクに声をかけられて慌てた副村長は思わず、顔を上げてしまった。だからこそ、尚更人違いではないと確信する。
でもおかしい。この市に来れるのは、村の長だけのはず。そしてボクは村長の腕を切っただけで、殺してはいない。
「キミ、そんちょう? 前の、そんちょうは?」
今のボクは、何もかもが奴隷時代のボクとは違う。副村長はボクが、奴隷のヒルコだとは気づかない。
ボクの問いに、慌てて副村長はかしずくと答えを口にした。
「へえ、とある事故で先代の村長が亡くなりまして。今は私が村長を務めております」
ボクの瞳はまん丸に見開かれる。それは一つの事実を示していた。
あの時、神様は言っていた。この“神剣で斬り落とした左腕の傷では”決して死なないと。人殺しを嫌がったボクのために、神様はそう約束してくれた。
それでも死んだと言うなら、別の“新しい傷を負わなくてはならない”
導き出される答えは、一つだ。
殺した。
此処に居る副村長が、傷ついた村長を、殺したんだ。
村の支配者となるために、自身の権力のために。ボクの育ての親でもあった村長を。
「ころ、した」
「へっ?」
「村長、殺した! 副村長、殺した!!」
なぜか怒りが湧き起こった。
それはきっと、村長を殺した副村長へではなく。
村長が死ぬ切欠を作ってしまった、ボク自身への怒りだ。副村長とて五体満足な村長が相手なら、取って代わろうとはしなかっただろう。
ならば、村長を殺したのは。
――ボクだっ。
瞳を見開いて沈黙するボクを、副村長は恐るおそる仰ぎ見る。
不思議に思ったのだろう。いくら神様だとはいえ、あんな寂れた村の事情を知るだろうかと。
何かに、気づいたようだった。それが副村長生涯最後の、不幸だった。
「お、おめえ。……もしかして、ヒルコなんか?」
ばれた。そんな感情の機微が起こした、一瞬の出来事。
ボクがとっさに振り上げた左腕は、神様の腕。
そこから発せられた劫火で、実にあっさりと。
副村長は炭になった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次話が第一部前半のクライマックスです。よろしければお付き合いください。