第九話:奴隷の港街“美好”。ってボク、ここ知ってるんだけど!?
意外にも道程は順調そのものだった。
山中の里から出発した僕らの葦船は、順調に血川と名づけられた大河を下ってゆく。なぜかとても懐かしい想いがするのは昔、葦船に乗ったことがあるからだろうか。
「よし、休憩だ。一度、陸へ上がって糧食を取る」
船団を率いるワクさんの合図に従い、一隻また一隻と川縁へ寄っていく。いくら急いでいるからとて、一日中船の上でどんぶらこと揺られていられるわけでもない。
葦船はその名の通り、葦という植物を束ねて繋ぎ合わせた船だ。火の気が一番の泣き所なのは、わざわざ言うまでもない。調理の際には必ず、陸地に降りなければならなかった。
この船での調理役は、カヤお姉さん一人にお願いしている。ワクさんは周囲の警戒と他の船との連携役に忙しい。
え、ボク? 期待しないでほしい。なんと言っても、村では生豆をかじっていたのだ。
「隠密行動なんだからさ、煙を立たせちゃ拙いんじゃないかい?」
テキパキと手を動かしつつ、カヤさんが疑問の声をあげる。
周囲を見回せば、他の四班も細いとはいえ煙を立ち上らせていた。それほど離れてもおらず、声をかければすぐに応じられる距離だ。
だからこそ、皆の不安を代表してカヤお姉さんが口にした。
「もっともな意見だがな。冷たいモノばかりじゃ力が出ないのも事実だ。せっかく都に辿り着いても、戦ができませんでしたじゃ話にならん」
ワクさんの“戦”という言葉に、皆の顔が強張る。
これより先、いったいどれだけの戦いがあり、いったい何人が生き延びられるだろうか。もちろん此処に居る全員が納得し、革命に参加したのは間違いない。
それでも人の心は揺らぐものだ。都までの道のりが長ければ長いほど熱意は冷め、自分の命が惜しく思えてきても不思議じゃない。人はそこまで強い生き物じゃないのだ。
味方を鼓舞する旗頭が必要だった。
本当ならそれは、神輿として担がれているボクの役目なんだろうけど。人付き合いの「ひ」の字も知らない元奴隷に、そこまで求められても困ってしまう。
そんなボクの想いを察してくれたのか、代わりにカヤお姉さんが威勢の良い声を轟かせてくれた。
「ほらほら、手の空いたヤツから椀を出しな。きちんと食べなきゃあ、ワクみたいな骨皮になっちまうよ!」
「余計な世話だ! そもそも最近のお前は太りすぎだっ。都行きを避けるためとはいえだな……」
二人の口喧嘩が、この場に温もりを作り出す。他の班の皆からも笑い声が聞こえてくる。
たしかにカヤお姉さんの恰幅の良さは、その日の食べ物にも困る世では珍しい。ある意味、ワクさんよりもどっしりとした貫禄を覚えるほどだ。
ワクさん曰く、まっこと失礼なことに都へ母子共々連行される場合は、一つの選定基準があるらしい。
それも主に母の方にだが、子を産んだ弊害で体形が崩れていないかどうかが重要視されるのだ。
幸い旦那であるミカさんは、まったく見目に興味を持たない性質だったようで、カヤさんと幼児のミイちゃんは都行きを免れたというワケ。
「まったくもって、なんて失礼な法なんだ。女の子をなんだと思っているんだか」
その事実を聞いた時は、流石のボクでも憤慨したものだ。他の奥様方が己を子生み袋だと嘆くのも無理はない。
年増と不細工は、価値がないと言ってるも同じだからだ。
それでもカヤさんは、カラカラと笑っていた。
「まあそのおかげで、アタシは腹いっぱいの贅沢ができたんだけどね。はっはっは!」
何とも羨ましい。この強さは、今のボクに最も足りない要素だ。
「だからって食い過ぎだ。ミカに見限られったって知らねえぞ。まったく、重いったらありゃしねぇ――――アイタっ!」
一方のワクさんは、あまりにも女心というものを理解していない。どう考えても一言か二言、余計な言葉を口にしてしまうからだ。
こりゃあ、こっちはまだまだ独り身だねえ。もっとも、カヤお姉さんだけになんだろうけど。男は分かりやすいね。
「って、せっかく隠れて動いているのにこれほど騒いじゃっても大丈夫?」
「大丈夫なわけがあるか。休憩は終わりだ、さっさと移動するぞ」
ワクさんの号令のもと、再び船団が動き出す。
もうすぐ川が開き、大きな湖が姿を表すはずだ。そこには都へ行くための難関が待ち受けているという――。
「あれ? ヒルコちゃんの赤髪、ちょいと薄くなってないかい??」
えっ、ホント?
◇ ◇ ◇ ◇
「血川、血湖という名が付いているからといって、別に赤い水が流れているわけでも、本物の血が流れているわけでもない。そもそも正式な名前ですらない。
ならなぜ、こんなにも物騒な名がついているのか?
それはこの川を下って都へ旅立った巫女の、血涙が川を真っ赤に染めたという伝承から取られたものだ。
この伝承は今でも受け継がれ、それゆえに都へ若く美しい娘を送ることを“巫女送り”と言う。巫女といえば聞こえは良いが、その役目は娼婦そのものだ。
昔も今も、そんな“巫女送り”の巫女を選別する役目を担っているのが、これから向かう西と東の境でもある港町“美好”というわけだ。
今では反乱軍の里がある北志国の西側も、昔は多くの人が住んでいたらしい。
そして今も昔も、美好が西と東の産業を繋ぐ重要な交易拠点であることに変わりはない。街の名で大体は想像がつくだろうが、国内第二位となる遊郭があることでも有名だ。
昔は食料、今は奴隷。西からの商品は、必ず東の都である“鳴戸”へ運ぶ前に厳重な品定めがされる。
それが、“巫女送りの儀”と呼ばれる祭事だ。
一番になった者は選ばれし“巫女”として都へ“送り”、大王の後宮に入る権利を得る。
そういうわけで、西から血湖を抜ける船の全てがこの街を目的にしているのだ。もし素通りして東に向かおうものなら怪しいどころの騒ぎじゃない。
したがって我々も、奴隷商人に化けなければならないと言うわけだ。
――――ここまでは、理解したか?」
以上、ワクさんの美好の港町講座でした。
元奴隷のボクが、こんなに物知りなワケないもんねぇ。
「で、ヒルコちゃんがその、姫巫女様ってわけだ」
ボクに代わって、カヤお姉さんが相槌をうってくれる。
「ああ、儀の行われる街“美好”は広大な血湖の中央に浮かぶ孤島にある。
その大きさは子供でも半日で一周できるほどの大きさでしかなく、もちろん畑を耕す余裕などない。食料を自給自足できないのだ。ゆえに食料の値は勿論、あらゆる物が他所よりも高い。
ならばなぜ、そのような不便さを承知で此処に町を興したのかと言えば、周囲を見回してみれば合点がいく。
つまり此処は、島全体が奴隷の逃亡を許さぬ天然の牢獄なのだ。ゆえに警備は厳重で、一度入ってしまうと正式な手順を踏まなければ東側へ抜けられん」
「だからこそ、ウチの姫巫女様には“巫女送りの儀”で何としても一等を取ってもらわないといけないのさ」
確かにボクは、元奴隷だし? 商品としては、適役だと思うけど。
「この街での我々は、世にも見事な赤髪の姫巫女を捕らえた奴隷商というわけだな。重々に気をつけてくれ、この町の客はほとんどが男だ。それも支配階級の暇と金を持て余した、な」
カヤお姉さんもワクお兄さんも、なんか楽しんでません? こっちはもう、鳥肌が立ちまくって大変なんですけど。
「ヒルコちゃんは黙っていれば良いから。流石にそこらのお客さんへ売るわけにゃあ、いかないからねえ」
「当たり前っ! 流石にそこまで協力するとは言ってない!」
思わず、両胸を隠すように抱き締める。労働奴隷だったボクには、愛玩奴隷としての経験など皆無なのだ。
「もちろんだ。ヒルコくんはただ、お淑やかな姫君を演じてくれれば良い」
それはそれで、難題なんだけどなあ。
ボクは生まれてこのかた、お姫様なんて存在を見た事もないんだよ?
そんな会話をしたのが少し前。ワクさんの説明を半分も理解しないまま、ボクはもう美好の関所前までやってきていた。
見上げればボクの背丈何人分もあろう高い壁が、ぐるりと島沿いに延びており、唯一の入口である正門には沢山のお役人が待ち受けている。
ワクさんの言う通り、一度入ってしまえば出るのは簡単じゃない。ボクは思わず、後ろを振り向いてしまっていた。
「もう後戻りなんて、できやしないよね……」
もし今、列から抜け出したなら怪しんでくださいと言っているようなものだ。
それにこの血湖とて、これまた周囲をぐるりと天然の断崖絶壁が囲っている。まさに自然がつくった砦なのだ。
ボクらに許されている道は、ただひたすらの前進あるのみ。
「次っ!」
ああ、もう順番がまわってきた。心構えをする時間さえないじゃないか!
こうなればヤケだ。なるべく、お淑やかに。言葉を口にすると奴隷だって見破られそうだから、ひたすらに口をつぐむ。
すると関所の役人がピュウと、口笛を吹いた。
「おいおい、とんでもない上物を見つけて来たじゃねえか。羨ましいぜ、いくらだ?」
「ひィっ!?」
お役人様の手が無遠慮に、ボクの顔へと伸びてくる。思わず出た悲鳴が、更に欲情を高めてしまったようだ。
「くくく、良い声で鳴きやがる。それになんと珍しい赤髪だ。少々薄いとはいえ、ここまでのは初めて見るぞ!」
そうだよね、髪色なんて黒が普通で当たり前。こんな赤髪があったら見ない方がおかしい。
加えて? 自分で言うのも何ではあるけれど? 見目も良ければ、さもありなん、なワケで。
「まだ餓鬼なのが惜しいが。いいぜ、言い値で買ってやる」
た、たすけて~~~。
「すいやせん、関所の旦那。そいつは勘弁してくだせぇ」
無骨な手がボクの頬に触れる直前、ワクさんがにこやかに笑いながら間に割ってはいる。そして、予め決めた嘘を並べ立て始めた。
「見ての通り、都への“巫女送り”候補なんでさあ。味見なんてされちまったら、俺の首が飛んじまいますよぉ」
つづけてカヤお姉さんも加勢に入ってくれる。
「何なら代わりにアタシが相手をしてやろうかい? 三日は足腰立たなくしてやるよ!」
そう言いながら、ポンポンと狸のような腹太鼓を鳴らすカヤお姉さん。そのあんまりな姿に、お役人の色欲も削がれてしまったようだ。
「冗談じゃねぇ。相手にしてほしけりゃ、腹の無駄肉を減らしな。――行ってよし!」
よし、潜入せいこー!
でもでも、入口でコレなんだよね。ボクはこの港町で、一体どれくらいの苦労を背負わなきゃいけないのか。
町に入る前から、頭が痛くなってしまったボクなのでした。カヤお姉さんも変なところで文句言ってるし。
「無駄肉とは失礼だね。ミカは柔らかいって気に入ってるのに……」
夫婦仲が良くて、羨ましいことですねっ。
◇
そんなこんなでボクの演じるお姫様は、どうにか関所のお役人を騙すことに成功した。
無事に関所を越え、大通りを一望する。しかしてその光景を目にしたボクは、愕然と立ち尽くしていた。
なぜなら、ボクは。初めて来たはずの港街“美好”に、見覚えがあったからだ。
「ここって。…………ここって!?」
脳裏に再来するのは、ほんの十日前まで生活していた村の記憶。
一日中、耳へ飛び込んでくる罵声と。
ムチの焼けるような痛みと。
石のような生豆の食感。
その中に混じった、半年に一度の記憶。
道中の殆どは目隠しをされ、そこが何処なのか当時のボクには知りようがなかった。
でも荷物持ちをさせられていた街中では、当然ではあるけど目隠しを外されていた。
この、どこからも逃げられはしない防壁に囲まれた街並み。
道通りを這うは、まるで飼い犬のように紐でつながれた奴隷達。
記憶の中の光景と、いま瞳に写す光景が、寸分の狂いなく重なってしまう。
間違いない、ここは――――。
「ボクは此処に、来た事がある。ここは、あの村長に連れて来られてた……奴隷街だ」
確信すると共に冷や汗が噴きだし、プルプルと身体中が痙攣しはじめる。
それは身体の、つま先から頭のてっぺんにまで染みこんだ命令の数々。
その場で膝をつき、犬のように四本の足で立て。
命令がない限り、決してそこから動くな。
そして、買ってくださるお客様がいたのなら。喜んで御奉仕しろ。金を貰うのを忘れるな。
それらは全て、主人だった村長がボクに教えた躾だ。まだ、まだ染み付いてる。抜け出せていない。
思い知った。
ボクはまだ――、卑しくも薄汚れた。……奴隷なんだ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
そして早めにあやまっておきます。三好市民の皆さんごめんなさい。どうか現実と混合しないよう願います。
ワクさんの地理説明ですが、文字だけでは分かりずらいでしょうから今回初めて地図をあげてみました。少しでも分かりやすくなっているならよいのですが。
ソレではまた明日!