忌まわしい帝国の記憶
夕食の点呼に間に合わず、見事に怒られてしまった四人。
今まさに教官から怒られている最中だ。
「まったく……あなた達、入学早々にやらかしてくれたわね。それにモニカやレベッカ。あなたたち模範生徒が示さないと、新入生が良い士官になれなくてよ?」
「申し訳ありません、アレクシア教官殿」
レベッカやモニカが二人して頭を下げて謝っているのを見て、ラインハルトやヴィクトリアも急いで頭を下げた。
食堂内は大勢の士官候補生や教官が居る前で、しかもヴィクトリアが頭を下げた瞬間は食堂内がざわついた程に。
あの『傲慢にして、強欲のアルムルーヴェ』がいとも簡単に頭を下げたからだ。
このアレクシア教官は式典の司会進行を務めた女性教官で、教官と言っているが帝国軍人内では階級が大尉になる。
ラベンダーの様な薄い紫の髪をセミロングに整え、琥珀色の淡い瞳をしている。
ある人は言う『黙っていれば美人。黙っていなければ、尚美人である』や『一罰百戒の鬼教官。されどそれが絶妙なる甘美なり』と。
そのアレクシア教官がモニカとレベッカに言い渡した。
「本来らなば、模範生徒としての初陣だから大目に見たいけど、他の候補生の手前だけに許す訳にはいきません。それは二人とも分かってくれるわよね?」
無言で頷くレベッカとモニカ。
「よろしい! レベッカ上級生、並びにモニカ上級生に告げる。集合時間に遅れた罰として一週間、朝昼晩と食堂の下働きを命ずる!」
「はっ! 了解しました!!」
力強く敬礼し返答する二人。
話が終わったのか、アレクシア教官が敬礼した瞬間に割って入った者が一人居た。
「お待ち下さい、アレクシア教官! 集合時間に遅れたのは私とラインハルトです。二人は集合時間に間に合っていました。なにゆえ二人だけに懲罰を!? 私が皇族のアルムルーヴェだからですか!? 罰を受けるなら、私たちが――」
「黙りなさい! ヴィクトリア・フォン・アルムルーヴェ候補生!!」
アレクシア教官が料理が並ぶテーブルを思いっきり叩いて怒鳴りつけた。
あまりの大声でヴィクトリアの体が一瞬だが怯んだのがラインハルトには見えてしまった。
「私がアルムルーヴェだからですって? 甘ったれた事を言わないで、この箱入り娘がッ!! この際だから言っときます。私も貴族出身だけど、私は可愛い候補生達を一度だって出自に囚われて見た事は無いの。私はそれを誇りにしてるし、これからも誇りにする。それが平民だろうと貴族だろうと、まして皇族だろうとただの一度も忖度なんてしないし、そんな事は私の誇りが許さない。それを部下達、つまりはあなた達候補生にも見習って欲しいのよ。こと、軍事に関しては時間はとても重要なの。共同作戦では時間に遅れると命とりになる。今の貴女にとっては、ただの遅刻かも知れないわ。でも実戦において貴女が遅刻したことで、仲間が死んで作戦が失敗したら貴女は責任を取れるの? 死んだ仲間の家族に何とお詫びをするの? さぁ、答えてみなさい! ヴィクトリア・フォン・アルムルーヴェ!!」
アレクシア教官の凄みには、流石のアルムルーヴェの血を受け継ぐヴィクトリアでさえも獅子の子みたく小さく見えてしまう。
アレクシア教官の言っている事は正しい。軍事において、まして帝国軍人にとって時間に正確ではない者は友軍として数えないし、まして命を預けるに値しない。
「……私が考え違いをしておりました。申し訳ありません、アレクシア教官」
小さくなってしまった獅子、ヴィクトリアの肩に優しくアレクシア教官は手を置いた。
「分かってくれて良かったわ、アルムルーヴェ候補生。模範生徒の為に勇敢に立ち向かった姿勢は評価します。その勇敢さに免じて―――」
その言葉に四人の表情が明るくなる。
鬼教官ことアレクシア教官も人の子。流石にヴィクトリアの勇敢さに感動して懲罰を無しにしてくれると思った矢先。
「ラインハルト候補生、アルムルーヴェ候補生に告げる。罰として一週間、湯殿の清掃を命ずる。並びに連帯責任として、両模範生徒の罰を一週間増やします」
「え……?」
思わずラインハルトの口から疑問符が出てしまった。
急いで口を塞いだが間に合わず、アレクシア教官の鋭い眼光がラインハルトを見る。
「何か処分に不服がありますか? ラインハルト候補生」
「い、いえ! 喜んで湯殿の掃除をやらせて頂きます」
「宜しい。私素直な子は好きよ。罰に対する罪状は、模範生徒は遅刻による命令違反に指導不足。アルムルーヴェ候補生は上官反抗罪が士官学校には適用されないから、アルムルーヴェ候補生によって私の食事が冷めた罪により懲罰を科します。ラインハルト候補生はアルムルーヴェ候補生に対する連帯責任として一緒に罰を受けてもらうわ。何か異議は?」
四人とも異議無しとの意味を籠めて敬礼する。
「ならば話は終わりよ。さぁ、あなた達も食事をしなさい。折角の料理がこれ以上冷めたら、料理人に申し訳ないし、私は食事を邪魔されるのが何よりも嫌いなの」
アレクシア教官が笑顔で言うと、三人は敬礼し駆け足で席に着いた。
「まだ何か言い足りないの? アルムルーヴェ候補生」
「いえ。貴女の誇りに感謝と敬意を」
それだけ言うとヴィクトリアも満足したのか席に着いた。
アレクシア教官はヴィクトリアの言葉に笑みを浮かべて食事を再開した。
正直、皇族の……あの『傲慢にして、強欲の黄金獅子』なのだから嫌味の一つや二つ涼しい顔で言ってくるかもと思ったが、案外素直なアルムルーヴェで拍子抜けしてしまった。
一方、四人は思った。アレクシア教官は笑顔で言っていたが、目が明らかに笑っていないことを。
本当に食事を邪魔すると逆鱗に触れてしまう事を肝に命じた。
一連の騒動が収まり、食堂には賑やかな声が響き渡る。ラインハルトは、軍の士官学校はお堅い所だから、みんな黙って食事をするのかと思ったがいい意味で予想が裏切られた。
しかも今日の食事は新入生歓迎を兼ねているからか、一際料理が豪華でみんなの箸が進む。
士官学校にしては珍しく、デザートにケーキやパフェ。はては茶菓子まで用意されており、さながらホテル並みの待遇だ。
なんでも士官学校の校長が四大皇族の内の一つ、不死鳥の紋章を家紋にしている一族。別名『勤勉にして、怠惰のフェーニクス』が校長である。
このフェーニクスが風変わりらしく『お堅い皇帝なんて、生真面目なアルムルーヴェにでもやらせておけばいいし、お似合いだ。我ら一族は怠惰を謳歌する』が家督として受け継がれ、悪く言えば変人で、よく言っても悪い意味での自由人なのだ。
そのフェーニクスが校長の為か、食事も士官学校とは思えない程に豪華だし、門限さえ守れば外出も許されている。
まさに怠惰を謳歌し生真面目を嫌う、フェーニクスらしい。
一見して緩すぎる士官学校だが、フェーニクスの人間が校長になってからの方が高級将官に出世する卒業生が増えた。その結果は帝国軍上層部、はては現皇帝ヒルデガルドまでも認めている。
だから士官学校における一定の自由がフェーニクスに与えられているのだ。
ラインハルトの横に座ったヴィクトリア。向かい席にはレベッカとモニカが座り、食事をとっている。
ラインハルトは何故か周りの視線が向いている事に落ち着かなかった。
隣がアルムルーヴェのヴィクトリアだからと思ったが違うみたいだ。
視線は明らかにラインハルトを見ているし、囁き声で『黒い髪って……』や『不吉だな、黒髪の獅子なんて。黄金の獅子に復讐しに来たのか』など文言が飛び交っている。
「気にするな、お前が悪い訳ではない。それに私は気にしていないからな」
横にいるヴィクトリアがスープを飲みながらラインハルトに言う。
だがラインハルトには訳が分からなかった。
そんなラインハルトにレベッカが尋ねた。
「ねぇ、ラインハルト君は確か四季国の出身よね? シュヴァルツって姓は養子として君を育てた親御さんの?」
「そうです。シュヴァルツは僕の養父母の姓名ですけど、養父は実の父の兄なので……それが何か?」
「大したことじゃないの。ちょっと確認しただけよ。あ、パフェ食べる?」
明らかに話題を逸らそうとしたレベッカだったが、モニカが『いずれ分かることだから』と言い、レベッカを諭した。
「あのね、ラインハルト君。悪く思わないで欲しいんだけど、帝国にとっては黒髪の人間は不吉の象徴なの」
「不吉の象徴?」
「そう。今から五百年くらい前までの皇族は四大皇族ではなく、五大皇族だったの。漆黒の獅子と言われた一族がいてね、名はシュヴァルーヴェ。黄金の獅子であるアルムルーヴェとは、それは仲が非常に良くて、数多の戦場を共に駆け抜けて今日の帝国地位を揺るぎないものにしたの。ある疑惑を時の皇帝のアルムルーヴェが知るまでわ」
「それが僕と何か関係が?」
「直接関係がある訳じゃないの。ある疑惑とは、当時の帝国はシュヴァルーヴェとアルムルーヴェが最大軍事勢力だったの。帝都はアルムルーヴェが統治して、地方の大半はシュヴァルーヴェが統治して安定していたわ。そんな時にある噂が帝都に入ってきた。漆黒の獅子、シュヴァルーヴェに謀叛の可能性ありと。もちろん皇帝はとるにたらない噂話だと一蹴したわ。けど……」
「噂が現実になってしまったと」
ラインハルトの言葉にレベッカは無言で頷く。
「シュヴァルーヴェの統治している国を視察に来た皇帝に対し暗殺未遂事件が起きたの。幸いにも皇帝に怪我はなくて事なきを得たんだけど、それに呼応するように各地でシュヴァルーヴェが統治している報国で内乱が起きた。皇帝の家臣達は弁明する機会を与えるから帝都に来るように言ったけど、最期まで一度も来なかったわ」
それから皇帝はシュヴァルーヴェを討伐し、一族に関する記録を公文書から削除するように命じたと。
記録から抹殺された漆黒の獅子は、今や人から人へと語り継がれるだけの存在になってしまった。
そう帝国に仇なす忌むべき存在として。
レベッカの話が終わると、モニカが珍しく会話に参加してきた。
「きっとアルムルーヴェと同じくらい誇り高い一族だから、意外と友を疎ましく思っていたのかも知れないな」
「それは違う!」
モニカの言葉にヴィクトリアが立ち上がって否定した。
あまりに突然な事で三人が唖然としていることに気づいたのか急いで席に座る。
「何が違うんだ?」
モニカの問いにヴィクトリアは重い口を開いた。
古き友の名誉と尊厳を守る為に。
「母上が言っていました。我らアルムルーヴェがシュヴァルーヴェの事を只の一度も疎ましく思った事は無いと。むしろ、生真面目なアルムルーヴェと良き友人、良き戦友になってくれた事に先祖は感謝しているはず。だから先祖代々からずっと、古き友の帰りをあの庭園にて待ち続けている。たとえ何百年、何千年でも待つと、我ら一族で代々語り継いでいます」
悲しそうに古き友の話をする黄金の獅子。
もし漆黒の獅子の生き残りが生きていたら涙を流したに違いないが、一族全員は討伐されてしまったと言うのが定説だ。
「古き友の帰りを何百年、何千年でも待つか。顔と性格に似合わず、以外とヴィッキーの先祖はロマンチストだね」
ラインハルトの無神経な言葉にヴィクトリアが顔を赤らめて反撃した。
「黙れバカ! 顔と性格に似合わずは余計だ。それではまるで我ら一族がガサツな人間みたいだろ」
「怒らないで欲しいな。一応は褒めたんだけどな……」
「それは貶していると言うんだ。ラインハルトこそ、そのやる気の無い顔はなんとかならないのか? 見ていると、こっちまでやる気が失せる」
「酷いな~こう見えてもやる気はあるんだよ?
そうですよね、レベッカさん?」
ラインハルトがレベッカに助けを求めて話を振ったが、レベッカとモニカは苦笑いして適当に料理が無くなったと言い立ち去った。
「そら見た事か。やはり私の見立ては正しい」
「はいはい。そういうことにしとくよ」
「……何だかお前の言い方が、何となくだが癇に障るな。まるで子供をあやしている感覚する」
「考え違いだよ。あ、僕も飲み物を貰って来ようっと。ヴィッキーは何を飲む?」
ラインハルトが空になったヴィクトリアのコップを見ながら聞いた。
「オラーンジェに炭酸を多め。それと少し蜂蜜を入れてくれ」
ヴィクトリアの頼んだ物がいかにも子供っぽく
て思わずラインハルトの表情に笑みが浮かぶ。
その瞬間を若い獅子は見逃さなかった。
「ラインハルト、いま笑ったな? 私の味覚が子供っぽいと思ったんだろ」
獅子の鋭い眼光に、か弱い草食系動物の心拍数が上昇していく。
「笑ったなんて心外だな~。良い趣味だと思ったんだよ。僕も同じのにするよ、蜂蜜抜きでね」
良い趣味と言われ機嫌が良くなったのか、あっさりと見逃してくれた。ラインハルトが席を立つと後ろから。
「今回だけは見逃してやる。我が一生の戦友よ」
ヴィクトリアのその言葉にラインハルトはつくづく言い方が上から目線で、正しく『傲慢にして、強欲の黄金獅子』とだな内心思った。
うっかり口に出すと獅子に噛み殺されるから、ラインハルトは心の中にだけ留めておく事にした。