アルムルーヴェの怒り
三人を照す月明かり。次第に雲が被さり、月下の屋上に陰りが現れる。
ヴィクトリアに名前を聞いて、ラインハルトはある事に気づいた。
「フェーニクスって……。もしかして校長?」
ラインハルトが気づかなかったのには理由があるのだ。
何しろラインハルトは校長を初めて見たのだ。入学式の時や、学校内で一度も見た事が無いから名前を言われるまで誰だか分からなかった。
本名を言われ、フェーニクスが挨拶する。
「いかにも。この私、ベアトリクス・フォン・フェーニクスが士官学校の校長を務めています。我らが勤勉にして、怠惰なフェーニクスが作った学校はお気に召しましたか?」
両手を高らかに拡げベアトリクスが聞いてきた。
そんなベアトリクスにヴィクトリアが一言。
「まぁ普通だ。お前達は相変わらず仕事熱心ではないがな」
「それは残念です殿下。しかし我ら一族は勤勉にして怠惰なのをお忘れなく。そこら辺の怠け者と違い、我らは勤勉。つまり、やる事をやっていれば怒られない……一生怠惰を謳歌出来る! そう先々代の皇帝陛下からの御言葉を私達なりに解釈致しましたの。たしか先々代の皇帝陛下は……」
いじらしくベアトリクスの瞳はヴィクトリアを見る。
そんなベアトリクスの言葉にヴィクトリアは溜息混じりに答えた。
「お前に言われなくても分かっている。我らアルムルーヴェだ」
「フフ、覚えていて下さって良かったですわ。ちゃんと親から子へ、そして孫に伝承されていて助かります」
「当たり前だ。我らアルムルーヴェをフェーニクスと一緒にするな」
笑いながらヴィクトリアを見つめるベアトリクス。
その顔を見ながら、ついヴィクトリアは先々代の皇帝に怒りたくなった。なぜフェーニクスの様な一族に士官学校の校長を任しとくのかと。
軍隊の学校にしては質素から駆け離れて、食事一つ取っても軍隊らしくなさ過ぎる。
二人だけの会話にラインハルトが申し訳なさそうに質問した。
「あの~校長も皇族ですよね?」
「勿論、四大皇族の一つですよ。坊や」
ベアトリクスの坊やと言う言葉にラインハルトは苦笑いしてしまう。
確かに見た目からはベアトリクスより一回りは違うが、坊やと言われる歳ではない。
「それなら何故ヴィッキーの事を殿下と呼ぶんです? 同じ皇族なら殿下とは普通呼ばないのでは?」
ラインハルトの質問が余程可笑しかったのか、ベアトリクスが口許を上品に手で隠しながら笑い出した。
困惑しているラインハルトを横目にヴィクトリアが説明した。
「気にするな。お前の質問は正しい、大方私の呼び名で笑っているのだ。確かに同じ皇族なら殿下とは呼ばない。ベアトリクスが私を殿下と呼ぶには、ある理由があるんだ」
「理由?」
「そうだ。ベアトリクスは……代々フェーニクス家は皇位継承権を放棄しているんだ。」
ヴィクトリアから聞かされた皇位継承権の放棄しているという信じがたい話。
しかし理由をベアトリクスから詳しく聞くと、ある意味では納得してしまう。
「殿下の言う通りよ坊や。何回かフェーニクス家が皇帝になった事はあるわ。でもね坊や、皇帝の仕事って凄く退屈なの。おまけに新鮮味が欠けるし、何より私達が愛してやまない怠惰を謳歌出来ないの。お分かり?」
「まぁ、何となくは」
「だからフェーニクスは皇位継承権を放棄して怠惰を謳歌していたの。あの時までは……」
「あの時?」
ラインハルトが疑問の視線を投げ掛けると、それをベアトリクスはヴィクトリアに受け流した。
ベアトリクスの視線に気づくとヴィクトリアは両手を脇に当てて抗議した。
「わ、私を見るな!」
「あら殿下、自覚がお在りで?」
「言っとくが、我らが悪い訳では無いからな」
どうやら二人にしか分からないやり取りがあるみたいでラインハルトは蚊帳の外に置かれてしまう。
だが、そんなラインハルトを見捨てる事なく、ベアトリクスは会話の中に引き入れた。
「何を仰います? 殿下にも責任の一端はあります。坊やも聞きたいわよね? 人畜無害なフェーニクス家が如何にアルムルーヴェ家からの酷い仕打ちを受けたことか……。あぁ、思い出しただけでも涙が出るわ」
わざとらしく手巾を目元に当てながら涙を流す振りをするベアトリクス。
そんなベアトリクスのわざとらしい演技にラインハルトも気づいてはいるが、皇位継承権を放棄した自称人畜無害なフェーニクス家に、どんな仕打ちをアルムルーヴェ家がしたのか気になりついヴィクトリアを見てしまう。
「お前まで私を見るな!」
「ごめん。話の成行き上ついね」
ラインハルトにまで疑いの目が向けられてしまい、流石のヴィクトリアもベアトリクスに真相を隠さず話せとせがむ。
「おい、ベアトリクス! お前のせいで私まで被害を被っているぞ。何が人畜無害だ! お前達一族が皇帝の時、お前達が言う怠惰とやらを謳歌したお陰で帝国の財政が傾いたんだぞ!」
「あら!? 人聞きの悪い事を仰らないで下さい。別に散財とかはしていませんよ? ちょっと使っただけですから」
「ちょっとだけと言う可愛いげが通用するか。お前達が訳の分からん絵画やら美術品に金を注ぎ込むから、本来必要な所に金が行き渡らなかったんだぞ。次の皇帝達がどれ程苦労したことか」
ヴィクトリアの指摘にベアトリクスは開き直りをしてしまう。
「これだから生真面目なアルムルーヴェは困りますね。いいですか殿下?人間ただ生きてるだけでは家畜と一緒ですの。人間らしく生きる為に、我らフェーニクス家はちょっとだけ投資しましたのよ。お陰で帝国の芸術的センスは飛躍的にあがりましたよ?」
全く悪びれもせず正当性を主張するベアトリクスに、ヴィクトリアも苛立ちが隠せない。
何を言っても堂々回りで埒があかないので、再びラインハルトが手を挙げて質問した。
「それで人畜無害なフェーニクス家はアルムルーヴェ家から、どんな酷い仕打ちを受けたのですか?」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに、ベアトリクスはラインハルトの瑠璃色の瞳を見つめる。
「よく聞いてくれたわね、坊や」
「はぁ……」
今までの二人の会話からしてきっとろくでもない理由だと察しがついてしまうが、ラインハルトはベアトリクスの演技に乗っかる事にした。
「ある日、先々代のフェーニクス家当主が怠惰を謳歌していたの。そしたら時の皇帝……つまりは殿下の高祖母様に言われたのよ。士官学校を新たに作るから、そこの校長をやれ。お前達一族の家督の一言、勤勉をたまには見せろ! そりゃあもう、アルムルーヴェらしく高圧的にね」
ベアトリクスは手取り足取り当時のやり取りを見せつけ、特にアルムルーヴェらしく高圧的にねの言葉を一段と強調した。
「はぁ……それは残念でしたね」
ラインハルトはヴィクトリアの高祖母に同情してしまう。
四季国の言葉に言い換えると、働かざる者食うべからず。酷い言い方をすれば穀潰しに当たるのだろう。
「我らフェーニクス家は心優しい一族なの。だから仕方無く哀れなアルムルーヴェの願いを聞き入れたのよ。いい? 聞き入れたのよ、ここ重要だからね。因みに私がヴィクトリア様を殿下と呼ぶのは皇位継承権を放棄したから、例え同じ皇族でも立場が下なのよ」
ベアトリクスの言い方を見ていると帝国の皇族は、揃いも揃って負けず嫌いで上から目線と思ってしまう。
ラインハルトがそんな事を思っているとヴィクトリアが核心の質問をした。
「ところでベアトリクス。何で屋上でヴァイオリンを弾いているんだ? しかもその髪……」
そう二人は幽霊の正体を確める為に屋上に来たのだ。
そしてヴィクトリアがベアトリクスの髪を指していた。
「髪? あぁ、職員用の湯浴みの間が最近調子が悪くて、寮の湯浴みの間を仕方無く借りていたのですよ。髪を乾かそうと暖炉に火を汲めていたら人の声がしましたの、仮にも皇族ですからみっともない姿は見せられませんからね」
高笑いするベアトリクス。ベアトリクスが湯浴みの間を使っていたからお湯が温かったのだ。暖炉の火が汲めてあったのも説明がつく。本来なら湯浴みの間に行くには談話室を横切るのだが、ベアトリクス曰く「月明かりが良いから月下の屋上でヴァイオリンを弾こうと取りに行っていた」と。
戻って暖炉の前で髪を乾かしていたら、湯浴みの間から声がした為に、急いで屋上に上がったらしい。
「じゃあ、階段の赤い液体は?」
ラインハルトの質問にベアトリクスは笑顔で二人の背後。屋上入口の屋根を指差した。そこにはビンとグラスが置いてある。
「ブドウ酒で月見酒と洒落込もうとしたのですよ。我慢出来ず階段を上がりながら注いでいたら、うっかり溢してしまいましたの」
「それでブドウの香りがしたんだ!」
ラインハルトが言っていた匂いの正体はブドウ酒で、ヴィクトリアの言う錆び水では無かった。なんでもベアトリクスはよく屋上で酒を飲みながらヴァイオリンを弾くらしい。
そしてブドウ酒が大のお気に入りという、たいして必要の無い情報まで二人に教えてくれた。
一連の騒ぎの正体はベアトリクスだと分かって、急に疲れが二人を襲う。
「悪いな、ラインハルト。お前の願いを打ち砕いてしまって。私の勝ちだ」
何故か幽霊が居る居ないが勝負になっていたが、上機嫌な若獅子の機嫌を損ねてはいけないと思い目をつむる。
「そうだね、ヴィッキー。でも残念だな~ここには幽霊は居ないか」
わざとらしく悔しがるラインハルト。
するとベアトリクスが何か思い出したみたいで、ニヤけた顔で二人に聞いてきた。
その表情から何やら良からぬ事を聞いてくるなとヴィクトリアが察する。
「そうそう、坊やに聞きたかったの。なぜ殿下の事をヴィッキーと呼ぶのかしら? 普通はヴィクトリア様か、王女殿下と呼ぶのに」
「えっと、それは……」
ラインハルトが答え難そうにしていると横から助け船が出た。
「私が許したのだ。ヴィッキーはヴィクトリアの愛称で、ラインハルトの故郷では親しくなりたい者には愛称で呼ぶらしいぞ」
その言葉にベアトリクスは大きい瞳を何回も瞬きした。
そして、したり顔でヴィクトリアを見下ろす。
「坊やが殿下と親しくなりたい? それはそれは良かったですね~殿下」
目尻が明らかに垂れ下がり、顔には笑いの二文字が浮かび上がっている様に見えてしまう。
「なんだかお前の言い方だと小バカにされている気分になるのだが……」
野生の勘とも言うべきか。ヴィクトリアは本能的にベアトリクスの心の内を読み取るが、ベアトリクスがとんでもない発言をしてしまう。
「あら、失礼ですね。バカになんかしてませんよ。でも階段でのやり取りは見物でしたね。あのアルムルーヴェが辛そうな表情で坊やに懇願するなんて。待ってくれって」
階段でのやり取りを忠実に再現するベアトリクス。
その再現が余程恥ずかしかったのかヴィクトリアの顔が真っ赤に変わる。
「お、お前見ていたのか!?」
「勿論ですとも殿下。あれだけ大声で言えば、嫌でも耳に入りますわよ」
それからはベアトリクスの再現劇場の開演だった。
幽霊が怖いアルムルーヴェなんて聞いた事が無いだの、ラインハルトに待ってくれと懇願する表情の再現など、見せられている二人の方が恥ずかしくなる。
そしてベアトリクスはとどめの一撃を再現した。
「しかし、あれは傑作でしたわ。あのアルムルーヴェが素直にごめんなさいって謝るなんて。わたくし、思わず回想録に書き記したいと思いました。あの傲慢にして、強欲のアルムルーヴェの王女殿下が坊やに謝る姿を見られただけでも、退屈極まり無い校長を先祖代々やってきた甲斐はありますわ」
まるで新しい玩具を手に入れた子供の様に瞳を輝かせながら二人を見る。
ラインハルトは苦笑いするのみであったが、ヴィクトリアの方は体を小刻みに震わせながら聞いていた。
きっと怒りと羞恥心が激しく入り乱れているのだろう。
流石にからかい過ぎて可哀相に思えてきたのか、ベアトリクスの興味はラインハルトに向く。
「しかし坊やもやるわね。あのアルムルーヴェを素直に謝らせるなんて。いったいどんな技を使ったのかしら。わたくし、興味が湧いてきましたわ」
ベアトリクスがラインハルトに近づくと、彼女の手が優しくラインハルトの頬に触れ、大きい瞳が瑠璃色の瞳を見つめる。
だが直ぐに彼女の手は払い除けられた。
「ラインハルトに気安く触れるな!」
彼女の手を払い除けたのはヴィクトリアの手だった。
「お可愛いこと。坊やは殿下のものでしたか?」
微かに笑みを浮かべながらベアトリクスはヴィクトリアを見る。
いつもの様にからかってあげようと考えていた矢先、ベアトリクスの背筋が凍る。
ベアトリクスを見るヴィクトリア瞳。
焔の瞳の片方が紅く光を灯しだしているのだ。
「あまり調子に乗るなよ、ベアトリクス。貴様らとて、我らアルムルーヴェの怒りがどんなものか、その怠惰な遺伝子がよく知っているだろう? なんならもう一度味あわせてやろうか」
いつものヴィクトリアと違い、冷たい言葉がベアトリクスを怯ませる。
フェーニクスの遺伝子が本能的にアルムルーヴェを怖れているのだ。
流石はアルムルーヴェ。若獅子でさえ、黄金獅子の恐さを受け継いでる事に、ベアトリクスの顔に冷や汗が滲み出る。
「ちょっ、ちょっとした冗談ですよ、殿下」
両手を挙げながら思わず後退りしてしまう。
それだけの威圧感がベアトリクスを押し退けてしまうのだ。
「冗談? 私は貴様の言う冗談が嫌いだ」
一歩も引かないヴィクトリアの嫌いという言葉。
大嫌いではなく、嫌いという言葉が余計に本気で怒っていることを匂わす。
ベアトリクスは頭の中では先祖から受け継いできた、ある言葉を思い出した。
『生来穏やかなアルムルーヴェ、その焔の瞳が紅く光っている時は本気で怒っている時 』
どうやら若獅子をからかい過ぎて、眠れる獅子を起こしてしまったらしい。
一度アルムルーヴェが怒りだすと手がつけられないという噂もあるし、ベアトリクスは必死で打開策を巡らせた。
「分かりました! やり過ぎましたよ、今後は坊やに触れるときは、殿下の許可をとりますから! そんなに恐い顔をしないで許して下さいまし」
「許す? 勘違いするな、ベアトリクス。我らアルムルーヴェの怒りが、たかだか詫びの一言で片付くと思うなよ」
完全に怒っているヴィクトリア。万事休すとベアトリクスが思った矢先、救世主が現れた。
「それくらいにしときなよ、ヴィッキー。きっとベアトリクスさんも肝が冷えたはずだよ?」
「ラインハルト……」
ラインハルトはヴィクトリアの肩に優しく手を添えた。
その瞬間、紅く輝いていた焔の瞳から徐々に輝きが消えていき、いつもの瞳の色に戻った。
「分かった。お前が許すと言うなら、私も許す」
「うんうん。聞き分けが良い所がヴィッキーの良い所だよ」
いつもの締まりの無い顔のラインハルトにヴィクトリアの毒気も抜かれ、笑いだした。
「バカ。私を犬や猫と一緒にするな。我らアルムルーヴェは誇り――」
「高き一族だろ? もう覚えたよ。出来れば違う言葉が聞きたいかな」
「ナール。お前まで調子に乗るな」
ヴィクトリアはラインハルトの肩を優しく拳で小突いて和やかな雰囲気になり、ベアトリクスも命拾いしたと胸を撫で下ろす。
「助かったわ、坊や。これからは殿下を弄る時は、坊やを常に傍らに置いとくわね」
「どうでしょう……次は僕も押さえられる自信がありませんよ。何せ彼女達の一族は、本気で怒りだすと手がつけられないと聞きますから」
苦笑いするのみのラインハルトにベアトリクスは口元を隠しながら笑い掛けた。
「ご謙遜を。あのアルムルーヴェを黙らせるなんて並の人間には無理だし、理性ある人間ならそんな自殺行為なんてごめん被りたいもの。よっぽど坊やの事が気に入ってるのね、殿下ったらお可愛いこと」
ベアトリクスはヴィクトリアを弄る時に使えるカモを見るような目でラインハルトを見るが、流石に次は押さえる自信が無いので忠告の言葉を伝えた。
「どうでしょうかね……。僕から言えるのは、触らぬ神に祟りなしと言っときます」
「以外と博識なのね。流石は四季国出身の候補生だこと」
「僕の出身を知っているんですか!?」
なぜベアトリクスがラインハルトの出身を知っているのか分からなかった。
いくら士官学校の校長とはいえ、候補生だけでも数百人はいる。いちいち候補生の出身なんて覚えているはずもないと思ったのだ。
不思議そうな表情をする二人にベアトリクスが理由を話してくれた。
「勿論知ってますとも。失礼ですが坊やは良くも悪くも有名人ですから。漆黒獅子が黄金獅子に復讐するために戻って来たって有名ですよ。知らないのですか?」
「まぁ……一応は。何度も風の噂で聞いていますから」
漆黒獅子はラインハルトの髪色で、アルムルーヴェと名前が同じシュヴァルーヴェをもじった様なシュヴァルツという名前。
噂話に過ぎないが、他人からしたら興味をそそられる噂だ。
「でも四季国では大半の人が黒髪ですし、シュヴァルツという姓は、帝国内には沢山いると思いますけど……」
ラインハルトはこの噂には嫌気がしていた。勝手に話を面白可笑しく膨らませて、勝手に決めつける事に。
誰が好き好んで律儀に復讐なんかするために帝国に舞い戻って来るのかと。仮にもラインハルトがシュヴァルーヴェの血縁者だとしても、復讐なんかしない。
シュヴァルーヴェとアルムルーヴェにまつわる話が本当なら、影ながら帝国を守ったに違いない。
きっとそうだと、二人は特別な絆で結ばれていると思ったくらいだ。
ヴィクトリアを見ていればアルムルーヴェがどんな一族か嫌でも分かるし、彼女を見たら復讐する気なんか宇宙の彼方に消え去るだろう。
傲慢にして強欲。おまけに上から目線で鼻につくが、アルムルーヴェは義理堅い一族だ
なぜなら数百年、数千年でも古き友の帰りを、あの約束の庭園で待っているから。
ラインハルトが想いを廻らせているとベアトリクスがブドウ酒をグラスに注ぎ始める。
どうやら酔いが醒めてきたらしい。
「ま、帝国内にシュヴァルツ姓は宇宙ゴミと同じくらい沢山いますからね。偶然の重なりかも知れませんし」
「う、宇宙ゴミ……ですか」
ヴィクトリアに締まりの無い顔だの往生際の悪い男と罵られ、最後はベアトリクスから宇宙ゴミと罵られるラインハルト。
せめて山程いると言って欲しかった。
やはり帝国の皇族は揃いも揃って上から目線だと嫌でも再確認してしまう。
項垂れているラインハルトにヴィクトリアが声を掛けた。
「気にするな。あれはフェーニクスなりに気にするなと言っているんだ。私なんて殿下と呼ばれる前は、フェーニクスの奴らに可愛らしい仔猫ちゃんと呼ばれていたんだぞ。しかも誕生日プレゼントと言ってわざと猫缶を渡してくる酷い奴らなんだ」
「ぷっ。可愛らしい仔猫ちゃん……」
真剣な表情でフェーニクスからの仕打ちを話すヴィクトリア。
その内容と表情が合っていなくて思わず吹き出してしまう。
「笑うなバカ!」
「ごめんごめん。ふふ……可愛らしい仔猫ちゃんって、君にぴったりの呼び名だと思ってね」
お腹を押さえながら笑いを堪えるラインハルトの姿を見て、ヴィクトリアは顔を赤らめて抗議を続けた。
「お前、我らアルムルーヴェは黄金獅子なんだぞ。それが仔猫ちゃんなんて呼び名は不本意だったんだからな。しかも幼い私が王宮で迷子になっていると、運悪くベアトリクスに見つかってしまい……」
フェーニクスからの仕打ちを赤裸々に告白するヴィクトリアを見て、ベアトリクスが手を叩いた。
「あれも傑作でしたわね。幼い殿下ったら、王宮の中で父上と母上とはぐれたっと言って、今にも泣きそうな顔をしていたもの。仕方なく心優しきフェーニクス家代表のこのわたくし、ベアトリクス・フォン・フェーニクスめが迷子にならない様にと首輪とリードをつけて差し上げましたのよ」
ラインハルトは今のヴィクトリアを見ていると泣きそうな顔は想像出来なかったが、首輪とリードは想像しただけでも笑いが込み上げる。
「ま、あの後は皇太女殿下と皇帝陛下に見つかってしまい、こっぴどく怒られましたがね。運良く王女殿下の父君に助けられ、獅子に食べられずには済みましたよ」
「当たり前だ。父上は寛大だからな。それにアルムルーヴェは食べ物にうるさいからな。うっかり変な奴を食べると腹をくだす」
互いに下に見られまいとして意地張り合いになるが、ベアトリクスのブドウ酒のビンが空になった。
すると空のビンを月明かりに照らして確めると深い溜息をついた。
どうやら飲み足りないらしいが二人に帰る様に促した。
「夜がふけってきましたし、二人共そろそろ戻った方がよろしいのでは? 仮眠を取らないと、成績に響きますよ」
ベアトリクスに言われて二人が時計を見ると、時刻は既に深夜の一時を回っていた。
幽霊の正体が分かってヴィクトリアも満足したのか、珍しく素直に従った。
「幽霊の正体も分かった事だし帰るとするか。貴重な仮眠を犠牲にしてまでベアトリクスなんかと話して成績に響いたら、あまり愉快な話ではないからな」
「そうですよ殿下。睡眠不足は御肌に悪いですからね。いくら仔猫の様に綺麗な毛並みをしていても荒れますから。そしたら坊やに嫌われますわよ?」
「おい、なぜ私の毛並みが荒れたら嫌われるんだ?」
言っている意味が分からないのかヴィクトリアが不思議そうにしていると、再びベアトリクスの猫弄りが始まった。
「さぁ? 御自身で、その可愛らしいお胸に肉球を当てて確めてみましたら? まぁ、可愛らしい仔猫ちゃんにはまだ早いかも知れませんが」
「まぁいい。安心しろ、ベアトリクス。私はお前より一回り若いからな。私はまだ十六だ」
「ぐっ!?」
またも不毛な争いが始まり出したのでラインハルトはヴィクトリアの背中を押して屋上から下がらせた。
本人はやる気満々だったが決着が着きそうに無いので諦めてもらうしかない。
ラインハルトも屋上から戻ろうとした時、ベアトリクスに呼び止められた。
そしてラインハルトにある物を手渡す。
「あの……これって?」
「見て分かりませんか? 拳銃ですよ」
ラインハルトに渡された物は拳銃だった。
「それは見れば分かりますよ。聞いたのは何故僕に渡すんです?」
ベアトリクスの意図が分からないラインハルトに溜息をついた。
「全く……殿下といい、坊やも相当に鈍いと言うか、頭の中がお花畑ですこと。いいですか? これは護身用です。殿下がアルムルーヴェの中でも、皇位継承権が二番目なのは知ってますわよね?」
「えぇ、一応」
ラインハルトの煮え切らない言い方にベアトリクスも呆れてきたのか表情に出てきた。
「ま、端的に言うと皇族が全員、フェーニクスみたいに良心的な一族では無いと言えばいい加減に分かりますよね?」
苛立ちを隠せないのか言葉に棘が出てきたが、ようやくラインハルトにも分かってきた。
「つまり、皇族の誰かがヴィッキーに危害を加えると?」
「ご理解頂けて光栄ですわ、坊や。士官学校と言っても安心しないように。盲目的に他の皇族を信奉する貴族も居りますから、うっかり暴発するかも知れませんし」
ベアトリクスの言いたいこと、それは皇位継承権を持つ者が減れば、必然的に継承権を持つ他の皇族達が次期皇帝の玉座に近づく。
士官学校には多くの貴族が候補生として来ている。中にはアレクシア教官みたく貴族の教官も居る。
その中の誰かが不慮の事故、もしくは何らかの形でヴィクトリアに危害を加える可能性があると言っているのだ。
「でも、ヴィッキーなら自分の身くらい守れると思いますよ。かえって足手纏いな気が……」
「坊やも中々の鈍さですわね。他の人間は騙せても、このフェーニクスには分かります。殿下は皆が畏れるアルムルーヴェの衣を纏った純情な少女に過ぎませんから。中身は可愛らしい仔猫ちゃんのままですよ。そこが可愛らしくて弄りたくなりますがね」
妙に声が興奮しているベアトリクスに思わず一歩ならぬ二歩くらい後退りしてしまう。
「で、でも! それならヴィッキーのお母さんの方が危ないんじゃ?」
ラインハルトの提案にベアトリクスは笑い出した。
アルムルーヴェにおけるヴィクトリアの皇位継承権は二位。一位はヴィクトリアの母親である皇太女殿下なのだが、ベアトリクスはお腹を押さえながら笑っている。
「それこそ皇太女殿下なら大丈夫ですよ。あんな生粋のアルムルーヴェの怒りなんて死んでも買いたくありませんから。きっと皇太女殿下なら命乞いしても楽に殺してあげませんよ」
「そんなに怖い人なんですか……?」
「そりゃあもう。わたくしも一度経験しましたから保証しますわ。皇帝陛下の次に恐ろしい人です。猛々しい獅子を再現したような御方ですもの、あぁ思い出しただけでも震えが止まりませんわ」
ベアトリクスの言う一度経験した時は恐らくヴィクトリアに首輪とリードを着けて遊んだ時だろう。
さっきみたくヴィクトリアも怒ると怖いが、それ以上に怖い人となると想像しただけでも怖い。
そんな恐怖をラインハルトが感じているとベアトリクスが付け加えた。
「でも、坊やなら大丈夫ですよ。坊やは殿下の御気に入りですからね。きっと皇太女殿下にも気に入ってもらえますよ。ま、保証はしませんが」
「僕怖い人が苦手なんで、なるべく会わない様に努力します」
出来れば「そこは保証しますわ」と言って欲しかった。
去り際にベアトリクスが独り言の様に喋る。
「もしを猫を手懐けたいのなら頭を撫でたり、耳を触ってあげると喜びますわよ」
「それって猫の話ですよね? うっかりやって食べられたくないんで、僕」
ベアトリクスが暗に言っている者は分かるが、ここは受け流しながら答えた。
対するベアトリクスもわざとらしく驚いた表情を見せた。
「ま~食べらるだなんて、坊やも以外と想像力豊かですこと。安心して下さい、只の可愛らしい仔猫ちゃんの話ですから」
「その可愛らしい仔猫ちゃんに噛み殺されそうになったんですよ。ベアトリクスさんがね」
その言葉にベアトリクスは無言の笑みを浮かべるだけで終わった。
ラインハルトはベアトリクスに別れを告げて階段を降りようとするとヴィクトリアが階段に座って待っていた。
「遅いぞ。あまりに遅いから、捜索隊を編成する所だったぞ」
階段に座込みながら細い腿に両肱を置いて、そのか細い両手で頬杖を着きながら文句を言ってきた。
「ごめんね。怒らないで欲しいな。怒った君も可愛いけど、笑っていた方が可愛らしいよ」
ラインハルトは自分で言っていて恥ずかしくなるが、その言葉を聞いて若獅子は一瞬だけ大きく瞬き、そしていつもの調子で返した。
「バカ。誉めても何も出ないからな。締まりの無い顔で言われても響かないぞ」
「それは残念。君は嘘が嫌いだから、本当の事を言ったのに」
そう言いながらラインハルトはヴィクトリアの真横に座り込んだ。
「お前の表情で言われると、今一つ真実味に欠けるからな」
「酷いな~ヴィッキー。僕はいつだって本当の事しか言わないよ?」
「その言い方が真実味に欠けるんだ、バカ」
月明かりが窓から射し込み、黄金の髪と漆黒の髪を明るく照す。
まるで、あの頃のアルムルーヴェとシュヴァルーヴェを彷彿させる様な光景。
あの時には叶わなかった光景、数百年の時を超えてようやく叶った様な気がした。