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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第三章
92/219

影 2.

 振り向くと、中地下にあるダイニングに続く階段の脇に、ガマガエルのように大きな口の醜い小柄な男が佇んでいた。見たことのない顔だ。時代錯誤な深緑のフロックコートに幅広の銀ネクタイだなんて、何かの仮装をしているのだろうか。ある意味、こんな印象的な男を忘れるはずがない。少なくとも、名前を呼ばれるほどの面識があるのなら。


 彼は伏しがちの面に上目遣いで卑屈な笑みを貼りつかせ、「お食事になさいますか、アルバート様?」と尋ねてきた。


 訳が判らない。この状況で、そんなことを訊かれる(いわ)れがあるはずがない。


「コウはどこにいるの?」

 彼の言うことは無視した。尋ねたいのは僕の方なのだ。


「本日のメインは、ビーフブリスケットの煮込みでございますとも!」


 思わず耳を疑ったよ。

 英語で返ってきてはいるものの、どうも言葉は通じていない、ということなのだろうか。


「コウだよ、コウ! 僕は、彼はどこにいるかって尋ねたんだ!」 


 僕は苛立ち、ソファーから立ちあがった。だが彼は嬉しそうにその大きな唇を引きあげると、手のひらで慇懃に階段下の食卓を示している。深々と頭を下げながら。そして、「どうぞ、ご用意できておりますとも!」と、そのままくるりと背中を向けて階段を下っていく。


 僕の言ったことは通じていない。だが、言語そのものが判らないフリを装って、僕の言うことを無視しているだけ――、と勘繰るような思惑も捨てきれない。何といっても、ここは赤毛の領域(テリトリー)なのだ。コウの情報を渡すことなく、僕をここに足留めするように言われているのかもしれない。


 どれほど不愉快でもこの男以外誰もいないのなら、なんとか彼から、コウの居場所を聞きだすより他にどうしようもないじゃないか。


 苛立ちを抱えたまま彼の後に続くより他に、僕に何ができる?




 優に12人は座れそうな長細いダイニングテーブルの中央に、白薔薇(アイスバーグ)が飾られていた。

 さっき見渡した時にはこんなものはなかったのに。


 声をかけてきた男と同じ顔をした男がもう一人、中央の椅子を引いて僕を待っていた。双子だろうか。鏡にでも映したような同じ顔が二つ、ニコニコと笑みを湛えている。なんて気色悪い。


「英語は喋れる?」

 

 なんとなく視線を泳がせたまま尋ねてみたものの、返ってきた返事は、やはり的外れなものだった。


「もちろんですとも! お薦めのワインもご用意できておりますとも!」


 ため息がでた。口を開くのも嫌になる。話にならないのなら、こんなところでこの不快さを我慢する必然性は、僕にはない。


 くるりと踵を返した。


「アルバート様! どうぞ、どうぞ、おかけになってください! アルバート様!」


 背後でガマガエルの大合唱が聞こえる。




 居間に戻り、もう一度同じソファーに腰をおろした。彼らが僕を追いかけてくることはなかったので、しばらくぼんやりと天井を眺めていた。そのうちに、そこに描かれている魔法陣が気になって仕方なくなってきた。


 父の作った人形に描かれていた魔法陣と同じなのだ。だがこの魔法陣という奴は、どれも同じ模様というわけではなかったはずだ。


 コウは確か――。

 なんとなく聞き流してしまっていた記憶に目を凝らす。


 ――この人形が異界への入り口で扉なんだ。


 天井に目を据えて、朧な記憶を辿っていく。

 それから、コウは何て言った?


  ――魔法陣で入り口を創ったんだよ。ほら。


 確かそう言って、人形の身体に描かれていた図面を見せてくれたのだ。頭上の図面とまったく同じものを。僕の記憶が間違っていなければ。そんなはずがないじゃないか。あのあと何度も確かめたのだ。人形を手に取って、この手で破壊することが、僕にできるかどうか。何度も、何度も、自分自身に問いかけて。


 どちらの選択が正しいのか。


 スティーブは、僕の判断に任せると言ってくれた。だが、彼の希望は僕の決意とは逆だった。だから僕は、繰り返し自分自身に問い質したのだ。本当にそれでいいのか。


 とはいえ当面の問題はそのことじゃない。この魔法陣が、確かに父の人形に施された魔法陣と同じだということなのだ。コウはあのとき、こうも言っていたのだから。


 ――もし、精霊の人形が見つかっても、もうどんな儀式もしちゃいけない。


 


 儀式――。コウは、赤毛は人形のモデルになったという連中とは関係ない、赤の他人だと言っていたのに。常人では知り得ないような特殊で専門的な儀式を、赤毛もまた、行おうとしている。それには、


 と、そこまで考えたとき、またあの連中に呼ばれた。




「アルバート様、お腹がお空きでないようでしたら、お茶はいかがでしょうか?」


 男がうやうやしく掲げてみせる銀のトレイには、ティーセットがのっている。僕の返事も聞かずにお茶を淹れるこの男の背後から、まるで分裂したかのように現れたもう一人が、三段の紺地の皿と金のつる草の巻きついた華やかな持ち手のティースタンドをその横に置く。皿にはサンドイッチにケーキ、それにスコーンがのっている。それからクロテッドクリームとジャム、――薔薇(アイスバーグ)の香りの。



 僕はようやく合点がいった。

 つまり彼らが、僕の家に出入りしているというデリバリーの料理人だということだ。





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