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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第三章
72/219

時計 6.

 ショーンの家の間取りは、玄関から入って手前がキッチン。その向かいがバスルーム。廊下の奥が居間でその両隣がベッドルーム。コウのいた部屋と、ショーンの母親の部屋だ。単純に計算してベッドルームの数が足りない。バズにしろショーンにしろ、コウを泊めるって、いったいどこに寝かすつもりだったんだ。と怪訝な思いで部屋を眺めていたら、今、座っているソファーがダブルサイズのベッドになるのだと教えられた。

 まさか、僕を差し置いてコウとここで寝る気だったのか、と思わずショーンを睨んでしまった。だが彼はまるで見当違いのことに恐縮するばかりだ。ベッドにするとスプリングが軋むだの、シーツがないだの、そんなことばかりを気にして、おたおたとこの居間から出たり入ったりしている。

 体よくはぐらかされた僕のむかつきは、マグカップにティーバッグが突っ込まれているままの、甘ったるい紅茶(ミルクティー)で飲み下すより他はない。


 それにしても、この見事な悪夢を見せてくれそうな大柄の花模様のソファーが中央を占めるこの居間も、キッチンに負けないけばけばしい怪しさを醸しだしている。

 紺地に大きな星の描かれた天井には、金属製の太陽を形どった飾りのついたシーリングライト。床にもそれに対応するような星や月を配したラグが敷かれている。ソファーと対にしているのか、窓辺には同系色の紫のカーテンがかかる。一つ一つを見ていると面白いのに、それが見事なまでの不協和音を奏でているのは、所狭しと置かれた一貫性のない雑貨のせいだ。すべてショーンの母親の趣味なのだろう。このちぐはぐさはマリーに通ずるものがある。


 

 夜も遅いこともあり、あれから顔を出したショーンの母親とは二言、三言会話しただけで、それ以上かまわれることもなかった。彼女は明日の朝は早番なのだそうだ。

 僕と入れ違いでコウのいる部屋に入ったバズは、長く居座ることもなく居間に戻ってきた。

「僕も明日早いので、お先に」と言って、一人掛けのソファーを壁に向けると目許にタオルをかけて寝る体勢に入った。



「あー、何か飲むかい?」

「もういただいてるよ」


 いつまでも落ち着かない様子のショーンが、もう何度目かの質問を繰り返す。僕は膝の上のマグカップを軽く爪で弾いて応えた。


「もう、寝るかい、アル? きみも明日早いんだろ?」


 いったん家へ帰ることを考えたら――。面倒くさい、ここからなら研究所まで、いつもの半分の時間で済む。このまま向かえばいい。そうすれば明日の朝、もう一度コウを宥める時間も取れるかもしれない。一晩たてば、コウだって今よりも冷静になってくれるに違いないもの。


 促されて立ちあがり、手持ち無沙汰から棚の上に置かれた写真立てを眺めていた。

 ショーンの永遠に幼いままの妹。別々に暮らすようになってからは、逢うこともなくなったという父親。そして兄。彼とは今でも仲が良く、連絡を取り合っているそうだ。

 小さな娘を失ったとき、父親は兄の方だけを連れて野外コンサートに行っていたのだという。自分がいない間におきた痛ましい事件の責任を、彼は妻と幼い息子に押しつけて、自分たちは被害者だとばかりに兄だけをつれて家を出た。

 離婚してなお、赤ん坊のおもちゃやぬいぐるみと一緒に家族写真が飾ってある居間だなんて――。


 気が知れない。

 この家も、ショーンも、そしてなによりもコウの。


 

「コウは、きみに何か言っていた?」

「特に何も。外で三人で飯食ってさ、ああ、これ、これの話が出たんだ。見たいっていうから、うちに寄ったんだよ。それで話が盛り上がって遅くなっちまって、泊まってくかって」


 ショーンは木箱のようなサイドテーブルをまずはどけ、ソファーを広げてベッドにしながら声をひそめて喋っている。それから窓辺によって、そこに吊るされている貝殻やシー・ガラスで飾られたウィンド・チャイムを軽く指でつついて鳴り響かせる。細い金属棒がぶつかり合う、高く澄んだ音が重苦しい室内に軽やかに踊る。


「綺麗な音だね」

「だろ? うちのガラクタの中じゃマシなもんだよ」


 そのままいつものうんちく話が始まるかと思ったのに、ショーンは喉を詰まらせたかのように口籠った。視線は落ち着きなく宙を彷徨っている。


「――悪かったな、アル。きみがそんなに心配するなんて思わなかったんだ。その――」

「べつに、コウと喧嘩してるわけじゃないよ」

「え! ああ、うん、解ってるって」


 いったい何を言いたいのだ? 僕の方が判らない。


 忙しない一日に、どっと疲れを感じていた。よく判らないショーンにつき合ってやるだけの気力も底をついている。かまわずソファーベッドにゴロリと転がった。「電気を消しても?」と彼に顔を向けると、「ああ、うん」とショーンは壁のスイッチを切り、そのまま部屋を出ていった。なんだ、このベッドを一緒に使うんじゃないのか。どうだって、いいけれど。




 この部屋の香り――。サンダルウッドか。

 慣れない香りのせいか、なかなか寝つかれなかった。身体は気怠く疲れているのに。


 カチャリとドアが開く音がした。薄明かりが射しコウが部屋から出てきた。

 眠れないの? と声をかけようと思ったけれど、暗闇のなかで立ち止まったままの朧な影のような彼を目にしたとたん、何も言えなくなった。


 コウは足音を忍ばせて僕の寝ているソファーベッドまでくると、静かに僕の傍らに横たわった。抱き寄せて、しっかりと抱きしめたいのに、コウの方から触れてくれるまで、そうしてはいけないような気がした。


 コウが本当に僕を許してくれるまで。

 僕はコウに触れてはいけないのだ、とそんな気がした。





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