ショーン 3.
飛びつくようにして手にとった携帯の画面に表示されていた名前は、エリックだ。もう、がっかりしすぎて出るのをやめた。呼び出し音はいったん切れ、またすぐに虚しく鳴り響きはじめる。こんなにしつこくかけられていたら、本当にコウからかかってきても繋がらないのではないかとかえって気になる。ため息ひとつ吐いて応答した。
なんのこともない。約束通りバニーに予約を入れたから初回だけでもついて来てくれ、という。面接に立ち会うわけにはいかないけれど、そのくらいはしてあげると約束した。ここで逃げだされないためにも仕方ない。そしてなによりも、これ以上この話を引っ張られないためにも――。
携帯を切ると、虚脱感とともに、しんと緊張を孕んだ静寂が圧しかかってきた。コウがいないから――。こんなときにいなくなるなんて、全然彼らしくない。バズだっているのに。――やはり、赤毛のせいだろうか。奴のところへ行ったのか。斜光シートを通した青味がかった室内がひどく寒々しくて。居た堪れずに部屋を出た。
コウを探しに行こう、そう決めた。だがその前にひとことマリーたちに断っておこうと、話声のする居間のドアを開ける。気のつかぬ間に皆揃っていて、食事の準備を始めている。コウは、いつの間に戻ってきたのだろう。当前のようにその輪の中にいるなんて――。
コウが僕を見あげる。僕も何も言えないまま彼をまじまじと見つめてしまった。ほっとしているのに、上手く言葉がでてこない。彼はぎこちなく笑い、「アル、食事。今、呼びにいこうと思っていたんだ」と言い訳するように早口で告げた。
「アル、座っててくれよ。給仕は俺がやるからさ」
ショーンも強張った表情を取り繕うように無理に笑みを作り、カップにスープを注いでいる。空いている席は3脚。僕は何も言わずにコウの横の席についた。椅子は7脚のままだ。赤毛とミラの席が空のまま。
「コウ、どこにいたの」
糾弾口調にならないように、努めて柔らかく、なにげなさを装って尋ねた。
「あ、パンを買いに行っていたんだ。ごめん、ひとこと言っておけばよかったね」
コウは僕から目を逸らしたまま、上擦った調子で答えた。
「それだけ?」
「そうだよ。いつも日曜日はそうしてるだろ?」
面を伏せたまま、スープを掬って口に運ぶ。
まるで昨夜の再現のように、冷え冷えとした重苦しい食卓――。
ショーンとマリーが、ちらちらと僕を気にかける。バズはコウに話しかけたそうにしているのに、やはり僕のことも気にしている。肝心のコウは――。ほとんど顔を伏せたまま、黙々と食べることに専念している。いったい、どうしたというのだろう?
コウが僕を見ないなんて。
「バズ、どこか行きたいところはない?」
ふいにコウがバズに問いかけた。
「え――、と」
思いがけなかったのか、バズはぱっと顔を輝かせながらも言葉が続かない。
「今日はカフェで勉強しようか。ほら、昨日入ってみたいって言ってた店でさ。気分が変わっていいかもしれないよ。せっかくこっちの方まで来てくれてるんだし」
ショーンの実家は、ここから地下鉄で30分ほどのイースト・エンドにある。バズはこの夏、そこから夏季講習に通うらしい。うちまで遠い、という程でもないけれど、コウにしてみれば、わざわざ来てくれた感があるのだろう。バズも、ぜひそうしよう、コウに数学をみてもらえると助かる、と嬉しそうに言っている。二人だけで盛りあがって、コウはわざと僕のことを無視しているとさえ思えてならない。そんなはずないのに――。
なんとなく取りつく島がなくて、ろくに話もできないうちに、この二人は食事もそこそこにして出かけてしまった。僕は置いてきぼりだ。茫然として、どう考えればいいのかすら、判らなかった――。
仕方なく、マリーの淹れてくれたコーヒーを飲んでいると、「アル、ここは俺がやるからさ、ゆっくりしていてくれ」とショーンがてきぱきと食器を片づけ始めた。コウたちは自分の皿だけは自分たちで始末しているので、残り物ののった大皿や鍋のことだ。
そしてショーンが最後の食器類を持ってキッチンへ向かうと、マリーが計っていたかのようにコウの席に移動してきて、わざとらしく僕に向かって顔をしかめた。
「アル、ここ、気づいてる?」
「なに?」
「これよ」
マリーは、僕のうなじを指でぐいと押す。
「こんな丸見えのカットソーを着てるなんて、そりゃ、コウだって怒るわよ。あの子、恥ずかしがりやなんだから。せめて襟のあるシャツにして隠してあげないと、可哀想でしょ」
エリックだ――。
昨夜の騒動で、すっかり忘れていた。コウがこれに気づいたのは今じゃない。おそらく、昨夜のうちから――。あのとき、寝る前に僕に抱きついてきたとき、いつものように、首に顔を埋めて――。
嫉妬、なのだろうか。コウのあのよそよそしさは――。怒っているというよりも、殻に閉じこもってしまったような哀しげな様子は……。
マリーの指摘にすっかり考えこんでしまっていた。彼女はなおも、僕とコウのことをどうこう言っている。おあいこだとでも言いたいのだろう。お互いさまだと。僕はきみらのことなんて、どうだっていいのに。
「アル、ちょっといいかな」
マリーがいきなり喋るのを止めた。ショーンが戻ってきたからだ。彼女は入れ替わりに居間を出ていった。彼と視線を合わすことさえせずに――。
そして今度はショーンが、マリーのあとに腰を据えてきた。




