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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第二章
59/219

ショーン 

 目が覚めてみるともう日は高く、僕の横にコウはいない。がっかりだ。せっかくの日曜日だというのに――。

 鈍く澱んで働かない頭の隅で、そういえば今日はコウと二人きりでとはいかないのか、と思いいたる。とたんに起きあがる気が失せて、またベッドにごろりと転がった。コウの温もりすら残っていない冷たい寝床――。なんともやりきれない。


 夏の日刺しを斜光シートに遮られた薄明かりの中、視線の先にある蛍光塗料で描かれた星々は光を失いやけに空々しい。その白い天井に昨夜の焔が唐突に想起されて燃え立つ。赤毛の幻想の焔に炙りだされたように、再びひとつの疑念が浮かびあがり思考を占領していた。寝ているときもずっと頭の中で囁き続け、無理やり意識の外に追いだしてやっと消し去ったと思っていたのに。


 昨夜の赤毛とコウとの会話。地の精霊(グノーム)の宝。彼らはそれを探していた。コウは、それは母であり僕だと言った。だがコウはその事実を知らなかったとも言う。けれど、赤毛は知っていた。


 僕がコウと出逢ったのは、はたして本当に偶然だったのだろうか。


 僕たちが出逢ったとき、コウの傍に赤毛はいなかった。コウにすら何も告げずに、どこかに姿を消していた。戻ってから、旅行していたのだと臆面もなく言い訳していたが、本当かどうかは怪しい。奴の言うことも、することも何一つとして信用できない。けれど、赤毛が僕とコウが知り合うように画策したのかも、などとそんな考えもまた、あろうはずがない。非現実的だ。僕を何かに利用するために、コウをここへよこしたなどと――。


 あまりにもあり得ない想像にため息が出る。第一、奴は僕のことを嫌っているではないか。僕はただ単に腹立たしいだけなのだ。僕の知らない秘密をあの二人が共有しているということが。赤毛が、コウの僕への想いを歯牙にもかけず踏み躙ろうとすることが。


 そんな奴を、それでもコウが大切に想っていることが――。


 面白くない。不愉快だ。今すぐにコウを抱きしめてこの嫌な鬱屈した感情を取り払ってしまいたいのに、彼は僕の横にいないなんて。その理不尽が許せない。


 などと――、ベッドの中にいると益々うだうだしてしまいそうなので、もう起きることにした。きっとコウは、キッチンか居間にでもいるのだろう。また気を遣って昨夜の片付けをしたり、ブランチを作っているのかもしれない。いつだって彼は自分のことよりも他人を気遣ってばかりいるのだから。





 どうしてコウは、僕のことだけを想ってくれないのだろう――。

 

 そんな不満に心を占領されていたからだろうか。静まり返っている空気に違和感を覚えることもなく、居間のドアを開けた。

 真っ直ぐに視界に入るダイニング・テーブルには、すでにブランチの用意がされている。綺麗にセットされた皿にグラス、カトラリー……。継いでふと目を移したソファーには、何本もの空になったワインやウィスキーの瓶の向こうで、ショーンとマリーが抱き合って眠っていた。



 どうなってるんだ、と疑問が湧くよりも先に、退出しなければ、と反射的に彼らに背を向けていた。だが戸口に行きかけて、この状況をコウやバズが見てしまったらまずいんじゃないか、と足が止まる。

 深く息をついて、踵を返した。


 普通なら男側をまず起こすべきなのだろうな、と思いながらも、やはり僕にとっては妹同然のマリーの方が無難な気がして、彼女の剥きだしの肩を揺さぶり小声で呼んだ。


 目を眇めて僕を見て、次いで仰天する彼女の青い瞳。僕は彼女が騒ぎださないように、人差し指を口許に立てる。


「服を着て」


 軽く微笑んで見せ、蒼白になって僕を凝視するマリーに背を向けた。


「アル、違うの。聴いて――」

「外で聴くよ。彼が起きてしまう」


 マリーを刺激しないように、静かな優しげな声音になるように気をつけた。正直、言い訳なんてどうでもよかったけれど。僕には関係ないことだから。

 間をおいて、マリーがそっと僕の腕を引く。足音を忍ばせてこの部屋を後にする。




 キッチンに移り、彼女のためにコーヒーを淹れた。

 怒涛のごとく言い訳してくるかと思ったマリーは、意外にも黙りこくって小刻みに震えている。


「そういうこともあるよ。そんな、気に病むようなことじゃないって」


 彼女の前に湯気の立つカップを置く。僕は座らずに、シンクにもたれてコーヒーを口に運んだ。マリーは後悔や、自責や、自分で自分が信じられないような、そんな混乱に必死で耐えているような瞳で、けれど唇は思いきりへの字に結んだ俯き加減の面から、上目遣いに僕を見あげた。


「――そんなつもりじゃなかったのよ」

「うん、解ってる」


 マリーはとつとつと言い訳を始める。だがそんなことよりも、このキッチンにもコウがいなかったことの方が僕には気掛かりだった。早起きのコウは、誰よりも早くこの二人に気づき、バズが起きてくる前に彼を外に連れだしたのかもしれない。まさか、休日はいつも遅くまで寝ている僕よりも、彼らの方が輪をかけて起きるのが遅いなどと、想像だにできなかったのかもしれない。


 それにしたって、コウがあの二人を尻目にテーブルにブランチの用意をするなどとは思えない。昨夜帰ってきたときは、確かに――。

 夕食の後片づけがされていた。綺麗さっぱりと。平坦なテーブルの表面がまざまざと記憶に残っている。


 それなのに今は――。


 いったい誰がそんな真似をしているんだ? ――先に帰った赤毛が? まさか、そんな殊勝な奴じゃない。雇い人にさせてる? つまり、知らぬ間にいつも他人がこの家に、この部屋にまで出入りしているということなのか?


「アル、聴いてる?」

「聴いてるよ。要は、きみもショーンもそうとう飲んでたってことなんだろ? よくあることさ。それより少し落ち着いたのなら、そろそろショーンを起こした方がいいんじゃないのかな? コウたちが帰ってくる前にね」


 僕の淡々とした言い様に、マリーはふうっと息をつく。そして、「そうね」とのろのろと席を立った。


「マリー」


 キッチンのドアノブに手をかけた彼女を呼び止め、彼女の金髪にキスを落とす。


「きみの望みのままに。僕はいつだってきみの味方だよ」

「知ってる。ありがとう、アル」


 マリーはきゅっと僕を抱きしめてから、ドアの向こうに姿を消した。



 そのとき、ふと「マリーと結びつけようとしたんだ」というコウの言葉が脳裏に浮かんだ。


 ショーンがローストビーフを切ったからって? 


 あまりにも馬鹿馬鹿しい――。


 深く息を吸いこみ、吐息にのせて、そんな妄想を吐きだした。


 



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