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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第二章
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夜 4.

「コウ!」


 勢いよく開けたドアから見えた室内に、コウの姿がない。バズだけが、窓ガラスに貼りつくように立ちつくしている。


「コウは? 先に避難したの?」


 振り向いた彼に重ねて訊ねる。


「避難って? あ、火事だと思ったんですか? 違いますよ! すごいショーをやってるんです。それでコウとショーンはフロアにおりて、僕は下よりここの方がもみくちゃにされなくていいかな、って残ったんです」


 話しながらバズはちらちらとフロアに視線を振っている。

 ガラスの反射を防ぐためか、小さなウォールライトだけを残して室内の灯りは落ちていた。

 突然、黒い紗の膜が下りたようだったこの部屋が、ガラス越しの狂暴な光に晒され浮きあがる。透明な赤に――。


 まただ。


 窓越しに、焔が、生きのいい魚のように飛び跳ねている。


「ショーだって?」


 バズと同じくガラスに手をつき、フロアを覗き込んだ。

 中央を埋める賑やかな一群と、総立ちで天井をぽかんと眺める観客とに、場内は完全に二分されていた。騒いでいる連中の中から数多の腕が頭上高く伸ばされ、シャンパンボトルを突き上げている。そのボトル首部に取り付けられたスパーク花火が金色の火花を噴き上げている。そんな彼らの中央にいるのは――。


 赤毛――。


 シャツを脱ぎ捨て、上半身はタンクトップ一枚になった赤毛の腕に彫られた火炎のタトゥーが大きく弧を描き、シャンパンを頭上に振りまいている。その飛沫にスパーク花火の火花が点火して焔が弾け、花開く。その赤や金に輝く花は、上昇気流にでも乗るかのように次々と天井付近まで流れては、はらはらと儚く散っていく。華やかに金粉火花をまき零しながら――。


 なんなんだ、これは――。

 たかだがかシャンパンで、あんなふうに燃えあがるわけがない。


 赤毛がシャンパンボトルを振り回すたびに、水底から沸きたつようなくぐもった歓声があがる。奴の指先に操られてでもいるように、焔の花が螺旋に渦巻く。まるでサーカスの曲芸だ。笑い興じる奴の動きにあわせて、焔のタトゥーがゆらゆらと蠢く。首許、鎖骨、背中――、絡みつき、その肌から立ちあがるように燃えて――。


 コウ! 


 コウが赤毛を取り囲む人垣をかき分けて、必死に何か訴えているではないか。悠長に見物だなんて、そんな様子はコウのあの姿にはかけらもない。


 踵を返してフロアへ急いだ。

 

 コウはまた赤毛の突飛な行動にかき乱されて独り善がりに責任を感じ、自分を責めているに違いない。何も悪くないのに。


 フロアへの入り口で、この信じ難い光景を呆けたように眺めているエリックが視界の端に入る。だが今は彼にかまっている暇はない。人混みをかき分けてコウのもとへと急いだ。


「アル!」

 僕に気づいた知り合いが行く手を塞いだ。

「アル、やっぱりいたんだね!」

 腕を引かれる。肩を抱いてくる。鬱陶しい。「どいてくれ、ツレがいるんだ」、伸びてくる手を打ち払う。


 やっとの思いで、コウのもとへとたどり着くと、


「今すぐやめるんだ! ここはきみが好き勝手していい遊び場じゃないんだ!」


 赤毛の胸倉を両手で掴んだコウのどなり声――。


「邪魔するな!」「まだまだこれからだろ!」などと文句を言いコウを引き離しにかかったのは当の本人ではなく、関係のない外野の奴らだ。そんな中の一人がコウを突き飛ばした。


「この野郎!」

「コウ!」


 コウに駆け寄り助け起こした。その間に赤毛がそいつに掴みかかっていた。ショーンが慌てて止めに入っている。乱闘になりそうなその場からコウを無理やり引き離した。


「アル、待って。ドラコとショーンが!」

「彼らなら大丈夫だよ、ほら」


 あの訳の解らない火遊びには呆気にとられていたエリックだが、喧嘩となると対応は迅速だ。こうしている間にもボーイが場を収めにかかっている。


「でも、」

 とコウが言いかけたとき、パンッと両手を打ち鳴らす音が聞こえ、次いで「皆さん、ショータイムは終わりです!」と、よく通るエリックの声が響いた。


 気づかぬうちに照明は一段と落とされ、曲もハウスから穏やかなバラードに替わっている。



「申し訳なかったね。きみ、怪我はなかった?」

 エリックが不快にならない程度に、コウの顔を覗き込む。コウの方が申し訳なさそうに顔色をなくし、何度も首を横に振っている。彼の背後で赤毛とショーンがボーイに挟まれ憮然としているのが、コウは気遣わしくて仕方がないのだ。


「それより、彼がご迷惑をかけてしまって、」

「そうだ、アル、」

 コウの言葉を遮り、エリックがいきなり僕に視線を向けた。

「きみの友人を僕にも紹介してもらわないと。面白いショーを見せてもらったからね、お礼しないとね」


 お礼――。


 エリックの真意が見えず、背筋が強張るような緊張を感じた。おそらく彼に取っては、お話にならないほど面白すぎるショーだったのだ。火災報知器が動作しなかったのが不思議なほどの――。挙句の果てが殴り合いの喧嘩ときた。赤毛がまだこのフロアにいることを許されてるのは、僕の連れてきた客だという理由以外なにもない。



「とりあえず、上へ移ろうか。そこのお嬢さん方も一緒に」


 いつの間にかマリーとミラも、心配そうな様子で僕たちの背後にいたのだ。彼はマリーが僕の身内だと覚えてくれていたのか。一度連れてきたことがあるだけなのに。


 エリックは僕に目線を送り、にっこりと微笑んでいる。彼の部屋にいたときとは打って変わった、表の顔で――。





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