ゲスト 4.
しばらくしてショーンが戻ってきた。「腹減ってるんだ。食い足りないよ」と言って。テーブルに残ったままのスコーンにまた手を伸ばしている。「持って上がれば」と提案すると、「コウがバズの勉強をみてやるのに、俺は邪魔みたいだからさ」と首をふる。
コウとあの子を二人きりにするなんて、冗談じゃない!
適当に理由をつけてその場を離れ、屋根裏部屋に続く階段を急いだ。
屋根裏までは空調設備はいき届いていない。風を通すためか、ドアは大きく開け放たれている。声高で楽しげな、筒抜けの会話に足が止まった。
「でも、あんな並外れて綺麗な人に愛されるって――、それって、一つの災厄だと言っていいんじゃないの?」
「幸せすぎるってこと? やっぱり、アルのことを好きな、知らない誰かから恨まれたりするかな? アルはそんなことにならないように、すごく気をつけてくれてるんだけど」
「そうじゃなくて――」
軽い声音で冗談めかしてはいるが、どこかもどかしげな会話は、そこでいったん途切れた。コウはバズの言葉の続きを待っているようだ。
それにしてもこの口調、コウに対して馴れ馴れしすぎる――。
僕がいるときとはずいぶん態度が違うじゃないか。大人しそうに装ってはいるが、彼は見た目以上に狡猾らしい。自分の心ですら常識的な枠組みからはみ出すことを許せないショーンからしてみれば、彼はコウに懐いているように見えるのかもしれない。だが、彼のコウに対するアプローチの仕方は、狙っているという方が相応しい。
「うん、でも分かるよ。コウが彼に夢中なのって。なんていうか、アルの微笑みってもう――、魔性だよね。見てるだけで魂を持っていかれるんじゃないかって、ぞくっとしたもの」
間を置いて継ぎ足されたのは、しょせん浅はかな子どもの洞察に基づいたものに過ぎない。僕がコウに夢中なのであって、コウはいつだって冷静なのに――。
笑い声を漏らさないように、慌てて口許を拳で抑えて息を殺す。
「だからさ、そういう意味だよ。あんな人に恋しちゃったら、僕だったらきっと――、なにがなんだか分からなくなってしまうよ、きっとね」
「うん、そうだよ。その通り。でも、アルは優しいから。彼は僕よりずっと大人で、彼の世界は僕たちが出逢う以前から、もっとちゃんと出来上がっているからさ――、」
コウは照れくさそうに、一言、一言を噛みしめるように言葉をつなぐ。彼の僕への想いをこんなところで盗み聴いているなんて、とんでもなく、みっともない、恥ずかしいことを僕はしている――。けれどそんなプライドよりも、コウの胸の内を聴きたい思いの方が勝っていた。この場に釘づけられ、動けなかった。
「僕が僕でいられるように、アルは僕の領域を大切にしてくれるんだ。僕の世界と彼の世界は別だけど、でも、それを無理なく重ねてくれる。とても狭い環の中でだけど、僕を大切にしてくれているのが解るから――、嬉しくて、幸せだよ」
「ごちそうさま」
クスクス笑いながら、バズはこの話題を終わらせた。そしてさりげなく数学の質問に切り替えた。コウの僕への想いをこれ以上聴く気にはならなかったらしい。懸命な判断だ。コウから僕への不満や悪口を引き出せるわけがない。コウは年下の、物事を知らない未熟な子どもに甘えるような子じゃない。
コウがバズの誘導に引っ掛かることなく、生真面目に僕のことを語ってくれていたのが、なんともくすぐったくて。僕はきっと、自分が思っている以上に、コウを大切にできているのだ。あんなふうに言ってもらえるくらいには――。ただ気になるのは、僕はやはり、彼を僕の思惑の中に縛りつけてしまっているのではないかということ――。僕という狭い世界に縛られ、コウは息苦しくはないだろうか?
「おーい、アル! マリーたちが帰ってきた! ミラもいるんだ! 二人を呼んで、下りてきてくれ!」
階下でショーンが叫んでいる。跳ねるように立ち上がった。きっと、コウたちにも聞こえている。一呼吸おいて、階下のショーンに「すぐ行く」と叫び返し、たった今呼びにきたように、開け放たれたドアを軽くノックした。
窓際の机についているのかと思いきや、コウはベッドに腰かけ、バズはその横に寝転んでテキストを開いている。これが勉強をみてもらう態度か! これだからコウは――。無防備すぎるにもほどがある!
不愉快から眉をよせた僕の顔を、コウはきょとんと見あげている。
「ショーンが呼んでるのかな? よく聞き取れなくて」
「マリーたちが戻ったって。来て、紹介するから」
コウではなく、バズに向かってあごをしゃくった。バズは僕を見た瞬間跳ね起きて、体裁悪げに赤面している。恥じ入るだけの自覚があるのなら、僕のコウに気安くするんじゃないよ。
冷ややかな視線を緩めてコウに歩みよる。コウだけを見つめて、ふわりと笑いかけた。
「あのスコーン、ショーンが全部食べてしまったよ。もうないのかな? きっとマリーはお冠だよ。またショーンとの大戦が始まるかもしれない」
「あ!」
いつもなら抜かりなく、その場にいない誰かのために取り分けているコウが、しまったとばかりに声をあげている。
「忘れてた――」
両手で顔を覆って後悔にくれている。コウのせいじゃないのに――。別にいいじゃないか、そんなこと。
「でも、ジャムはまだたっぷりあるから――。何か別のスイーツを出すよ。マリーが喜ぶような」
コウは、僕を安心させるように笑みをくれた。僕はきみのようには、こんな些末で悩んだりしないって知っているくせに。コウは、マリーがつまらない愚痴で僕を煩わせることを心配してくれているのだ。いつだって、コウの世界は僕を中心に回っている。
――はずなのに、コウの軌道は僕から逸れて、もうバズの方へ向いている。
僕を見て――。
コウ、僕だけを見て――。