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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第二章
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雑事 3.

 マリーが自室に戻った後居間に下りると、そこにはまだショーンがいて、テーブルについたまま、ぼんやりとしていた。


「あ、アル、コーヒーでも飲むかい?」


 僕の顔を見るなり椅子を引く。

 話でもあるのか――。

 無下に断るわけにもいかないだろうな、としかたなく頷く。かといって、このテーブルについて待っているのも不愉快で、僕もキッチンへ移動した。




「アル、昨日はすまなかったな。悪気はなかったんだよ。本当に知らなかったんだ。きみのあだ名のこと――。知っていたらあんなふうにふざけて話したりはしなかったよ。きみや彼女が憤慨するのももっともだ。本当に申し訳ない」


 キッチンの入り口で、息を継ぐ間も感じさせない怒涛の勢いで、ショーンは僕に謝罪した。

 ――そういうことらしい。


「べつに気にしてないよ。きみは知っている知識を披露してくれた。それだけのことだろ?」

「そう! 本当にそうなんだ。きみを侮辱するような意図なんてなかった。でも、聴いてて不愉快だっただろ? すまなかったよ」

「解ってるよ。それよりも、優先すべきはマリーだろ?」

「もちろん謝ったよ。悪気はなかったんだって」


 いた堪れない様子で立ちつくしているショーンの横をすりぬけて、やかんを火にかけた。ショーンは慌ててコーヒーの準備にかかる。

 今さら取ってつけたように謝罪されたところで意味はない。僕もマリーも、十分に不愉快を被った。でもだからといって、それだけのことだ。


「民俗学ってさ、一般でまかり通ってるような上品でロマンチックなものじゃないからさ、まぁ、そこが面白いんだけど、ついいつもの調子で喋っちまって。きみのあだ名は、間違いなく、ロマンチックな方のイメージからきてるよ。俺が話したのは、あくまで学問上の見解だからさ」


 だらだらと言い訳を言い募っている。

 もう、いい、って言っているのに。きみはそんな気はなかったにせよ、赤毛はそうじゃない。彼は解っていて使っている。そのことに気づかせてもらえただけで、きみには感謝してるさ。


 それよりも、コウの見解とのあまりの違いが気にかかった。あの優しくて善良なコウが、そんな人間の生なましい深淵を覗くような学問に取りくんでいることに違和感すら覚える。


 半ば聴き流しながら、際限なく喋っているこの男をぼんやりと眺めていた。

 よくもまぁ、マリーはコロリと手のひら返してくれたものだ。マリーの断罪に、ショーンがすぐに謝罪したのだろうか。それとも――、あだ名のことを聴いたのはコウからかもしれない。それなら納得だ。コウにたしなめられ、僕や彼女に謝罪する気になった。そういうことか。


「コウはきみの話してくれた見解には、なんて言ってた?」

「賛同してくれていたよ。お城のお姫さまの話にしては、舞台は森の中で描写は庶民の生活様式。設定そのものが暗喩だろうってさ。彼の視点は冷静だからな」


 僕に話してくれた自論とは違う。コウはそんな多角的な視点を持つことができるのか。それともあの話は、僕のための解釈なの?


 水を向けてみると飛びついてきたショーンの言い様に、納得する自分と、やるせなさを感じる自分とがあった。


 テーブルにコトリとマグが置かれた音で、視線を上げる。ショーンは喋るだけ喋って、もうすっきりとした顔をしている。


 後はもう、適当に相槌を打っていた。どうだっていい。この男のことなんて。


「――不思議だろ? 彼は、コウは、本当に信じてるみたいな見方をするんだ。だから誰も彼みたいな発想はできないんだよ」


 コウの名前に、逸れていた意識がショーンに戻る。聞きそびれてしまった。


「ごめん、よく解らなかった。信じてるって具体的には何を? 神? 精霊?」

「そういう目に見えないもの、すべてひっくるめた霊的な世界をだよ! コウはさ、まるで見えているかのように語るんだよ。だから皆、圧倒されるんだ、彼のあの豊かな想像力に!」


 コウについて語るショーンの瞳に熱が籠る。いつも落ち着かない不安定な水色が、憧れと羨望に沸きたつ。


「皆――、って、大学進学準備(ファウンデーション)コースで、コウは問題なくやれていたの? 彼、あまり他人の話はしないから……」


 そう、赤毛の話ばかりで。他に友人はいなかった、と。


「コースの討論(ディスカッション)でも積極的に意見を言うし、普通に皆と喋ってたよ。でもそうだな、確かにコウは自分のことを話すのは苦手みたいだな。積極的に輪の中に入ってくる、って感じはなかったかな」


 今になって気づいたかのように、ショーンは軽く眉をひそめる。おおかた自分が喋るのに夢中で、コウのことなど二の次だったのだろう。


「もっとこの国に慣れるようにと思って、俺としてはいろんなイベントにも誘ってたんだけどな。かえって迷惑だったのかな――。俺の友だち連中もコウを気にいってるのに、パブには来ないしさ、やっぱり人づき合いが苦手なのかな」ショーンは大きくため息をつく。物憂げに視線を漂わせる。

「でも、」カチッと気持ちを切り替えたように、ショーンはニッと口の端を吊りあげた。


「バズとは間違いなく気が合ってたよ。俺の従弟、バズはさ、見た目よりずっと気難しい奴なのにさ、コウには懐いてたもんな」


 ああ――。問題がもう一つ。こんな状況でまた一人、得体の知れない奴が僕たちの生活に割り込んでくるのだった。それでも、今のコウにはちょうどいいタイミングなのかもしれない。第三者が来ることで、きっと、赤毛からコウを切り離すことができるだろう。


「彼、いつ来るんだっけ? コウが屋根裏をかたづけてくれているんだ。だから、きみがその従弟のために部屋を空ける必要はなさそうだよ」

「そうなのか! 助かるよ、ミラはかまわないって言ってるんだけどさ、あいつの部屋って――」


 嬉しそうに破顔して、ショーンはまたつらつらと喋りだす。



 そう、きみの従弟をコウに押しつけられるなんて、冗談じゃないからね。気晴らしが負担になるようでは、本末転倒だもの。


 身内のお守りくらい、自分でみるんだよ、ショーン。






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