模様 5.
「それで?」
背中のペイントをゆっくりとなぞりながら、バニーは興味深げに質問を続けた。
「コウは少し熱があって、それからすぐに寝入ってしまったんだ」
「裸のきみの横で?」
「安心して眠れるように、抱きしめてあげた」
「何もせずに?」
クスクス笑われた。笑いごとじゃない。コウは昨日まる一日寝込んでいたんだ。今朝だって――。本当はコウの傍にいてあげたいのに。
そんな僕のジレンマにはおかまいなしで、バニーは背中に舌を這わせる。渦に沿わせて。僕が息を荒げるたびに、渦が揺らぎ、うねるのがいい、と言って。
「じゃあ、きみの子猫は、この渦が逆巻くところをまだ見ていないんだね? こんなに素晴らしいのに――」
「よせばよかった、こんな原始模様」
「僕は好きだけどな」
好きじゃない。コウにあんな――、恍惚とした眼差しをさせるような模様なんて。赤毛のタトゥーにもあんな瞳で見入っているんじゃないのか、と遣り切れない想いを振り払えない。べつに、対抗しようなんて気はなかったのに。
大地の渦巻――。
そんなもの、意味が解らない。想像すらできない。コウの見ている世界が僕には見えない。イラつく――。
「バニー、」
寝返りを打って背中を隠した。彼の腕を強く引き寄せた。
「もういいだろ?」
コウを抱きたい。思いきり、何度でも。でも、今の僕は駄目だ。きっと彼を詰ってしまう。
「嫉妬に身を焦がすのは、けして悪いことじゃないよ、アル。従順なきみには必要な過程だ」
「エディプス期の克服ってこと?」
「そうだよ。ライバルに戦いを挑むことだね」
「僕を従順だなんて言うのは、きみくらいのものだよ」
今度は僕の方が喉を震わせて笑った。
「おや、そうかい? いい子のアルビー。こうして赤毛の彼と顔を合わすのを避けて、ここに来ているのは誰なのかな?」
揶揄うように目を細める。ムカつく。すべてを見透かしているような銀灰色の双眸が、――揺れる。
僕の望むままに動いてくれるくせに。従順に、僕に支配させてくれるくせに――。
僕が何をしようと、すべて肯定してくれるバニー。眩暈を起こしそうに、回る。渦巻。彼の瞳に映る――。
僕はもう、過去に繋がれてなどいない。あんな赤毛なんかを恐れているわけじゃない。ただ――、だって――、
「コウは、僕を解き放ってくれたんだ。彼から――。だから、もう、」
――もう、あそこへは行かない。
僕はもう、彼への葛藤は克服している。もともと他人に等しい、血が繋がっているというだけの父親だ。今さらエディプス期だとか、お角違いも甚だしい。僕はちゃんと乗り越えられている。スティーブという、父親としての役割を存分に担ってくれた人だっているのだから。
父親を求めているのだ――、とはっきり告げられた訳ではないけれど、僕のことをそう解釈していたんだろ?
たしか、大学の学園祭の時だ。会場を連れ立って歩いていた僕たちを見かけた、と後から告げられた。「彼がコウだよ」と告げると、呆気に取られて笑ったじゃないか。僕がそれまでつき合ってきたのは年上の男性ばかりだったから、信じられないって顔をしていたじゃないか。
愛らしくて庇護欲をそそるコウは、一見幼い子どものようにも見える。僕が子どもを好きではないことを、バニーは知っている。たしかに、コウほど外見と中身の一致しない子も珍しいのかもしれない。コウは幼い子どもなんかじゃない――。いつだって、彼は僕の目線上にいてくれる。上でも下でもなく、真っ直ぐに僕と同じ視点で見つめてくれる。
コウは、今まで出会った誰とも違うんだ。彼だけが、僕を見つけてくれた。バニーでさえ、いまだ見出すことのできない本当の僕を――。僕はやっと、心から愛せる相手に出逢えたんだ。父や母の面影を投影しているわけではない、彼自身を求めてやまない相手に――。
コウに触れたい。コウを抱きしめたい。コウに、抱きしめて欲しい。包んで欲しい。僕を壊して、コウの中に混ぜ込んで――。コウとなら、僕は毎日だって、生まれ変われるのに。この、死と再生の螺旋状の渦の中でも――。
でも、今は、駄目だ。
現実に僕がしがみついているのは、バニーの腕で、こんな僕を、コウにぶつけることなんてできはしない。
こうしてバニーが僕をまた、まっ白に戻してくれるまで――。僕は、コウのもとへは帰れない。待っていてくれている、って解っているのに。僕を呼んでくれているに違いないのに。赤毛なんて関係ない。僕はこんな僕をコウに見せたくないだけだ。
「足りないんだ。まだだよ、バニー」
息があがる。血潮が逆巻く。激しくうねる。絡み合う渦に沿って。点滅する視界にスパークする白い世界。僕を守ってくれる白い膜。痺れるような律動――。決して溶け合うことのない、ぶつかり合うだけの衝動。彼はスポンジのように僕の情動を吸い込み、熱に変えて発散させる。このやるせないコウへの想いを。
繊細なビスクドールのような愛らしいコウは、乱暴に扱うと壊れてしまうから。あの時のように、こんな寄る辺ない想いをつきつけて、彼を傷つけてはならない。彼にそんなマネをしては駄目なんだ。僕の大切な、たった一人の愛しい人に――。
「バニー、」
白い闇に僕を隠して――。




