仮面 8.
マリーの恋はいつも上手くいかない。最初はいい感じでスタートしても、長続きしない。今回は長続きどころか、スタートラインに立つことさえなく終わりそうだ。まさか僕の口から彼女に事情を話さなければならないのだろうか? それが彼女からコウに流れるなんてことはないだろうか。それだけは避けたい。
今はバニーにしても誰かとつきあっているわけでもないし、彼の恋愛対象は女性でも問題ないはずだ。バニーに話して――。いや、やはりダメだ。僕の口からこんな話をするなんて、バニーにも、マリーに対してもひどい仕打ちに違いない。
僕へ向けられたマリーの意味ありげな視線には気づかないフリをして、仕方なく彼らにバニーを紹介した。マリーは柄にもなく緊張している。ここに来る前に気づくべきだった。バニーの雰囲気はスティーブに似ている。僕がマリーから取りあげてきた父親の愛を彼女は誰かのうえに探し続けている。バニーなら、そんな彼女の深層にすぐに気づくだろう。やんわりとかわされ、恋愛対象としてみられることはまずないだろう。
「アル、ちょっといいかい? すぐに済むから、きみらはここで待っていてくれ」
ぐるぐると思考の罠に陥っていた僕をこの場に引き戻したのはショーンだった。マリーに後を託し、彼は僕の腕を取ってこの環を離れて歩きだす。受付が始まって動きだした人の流れを逆行して、芝生に入って人混みを避ける。
「フロックコートの双子たちに会ったかい?」と、彼は眉をひそめて辺りを伺いながら、声をひそめた。
「うん。片方にだけだけどね。部屋で着替えを手伝ってもらった」
軽くマントをつまみあげてみせる。
「そうじゃなくて、ここに来てるんだよ。声をかけたら、イベント会社のスタッフをしてるって! それも彼ら二人だけじゃなくて、同じ顔で同じ服装の奴らがあっちこっちにぞろぞろいるんだ!」
「どういうこと?」
「俺だって判らないよ。でも、コウはドラコも参加するって言ったんだろ? なにか企んでるんじゃないのかな。あるいは、企画に参加してるとか――」
「普通に参加するってことができないのか、あいつは――」
僕の呟きに、ショーンは口をへの字に曲げて大げさに肩をすくめる。
鮮やかな緑の蔦がからまる煉瓦造りの壁に、アーチ型の大きな窓が連なる建物の全景が、この場所からよく見渡せた。この古めかしい箱型の建造物が、これからビックリ箱にでも変えられるのではないかという憶測で背筋が凍える。そんな話をしている僕たちを、コウがじっと小首を傾げて眺めている。安心させたくて、無理に笑みを作って手を振った。
「僕はたぶん、始まったら教授に引っ張り回されてコウの傍についていられないと思うんだ。申し訳ないが、」
「解ってるって、今日の主役だもんな! 俺だってそのつもりで来てるよ。コウのことは任せとけって!」
不安に思っているというよりも、間違いなくショーンは何かが起こるのを期待している。そんな瞳をしている。けれどそんな彼らしい好奇心をみせたのは一瞬だけだった。
「それでさ、きみの先輩って、その、きみは、彼女に紹介するつもりで――」
今度は明らかにそわそわと落ち着かない素振りで、彼はちらちらとコウたち一群を見ている。というよりも、マリーを。
これは予期せぬ展開だ。僕のいない間に何があったのか知らないけれど――。
「ああ、先に話しておけばよかったね。コウに紹介するためだよ。相談役としてね。あんなことがあって間もないんだ。コウには心理面のケアをしてくれる人が必要だろ?」
「あ、そうなのか――」と、あからさまにほっとしたような吐息を、ショーンは漏らした。
アーノルドの館でのあの特殊状況下で、ショーンは思いがけずマリーの両親に対面した。彼がこれまで決して好意的にみたことのなかった上流中産階級に属するスティーブに感謝され意気投合した。これまで感じていたマリーに対する壁も、これで一気に崩れたのかもしれない。彼にしてみれば、この世とあの世の境界さえも踏み越えたのだ。現実での階級差の壁なぞ些細なことになったのだろう。この彼の意識変化は、僕に対するこれまでの壁を取り払うことにもなったように感じる。
僕としては、これはとても喜ばしい。コウに関しての余計な心配をしないですむ。そう思うだけで頬がほころんでくる。それにマリーにとっても――。
「さ、戻ろう。彼らが待ちくたびれてしまう」
ショーンの肩を抱いて歩きだした。彼はなんとも照れくさそうな顔をしている。僕たちを待つコウたちは和気あいあいと雑談しているようで――、違う、コウの面が緩やかに動いている。何かを目で追っているのだ。バニーはすぐにそれに気づき、同じ方向に視線を向けた。マリーだけが、緊張したまま喋り続けている。
バニーは訝しげにコウに視線を戻した。彼の視線の先にあるものが判らないのだろう。
コウ、きみはいったい何を見ているんだ――。




