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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第五章
208/219

仮面 6.

 今年の送別会は、高級住宅街の公園内にある中世のマナーハウスで開かれるらしい。別館の舞踏会場が今はレストランとして使用されていて、そこを貸し切りにしてあるという。

 マリーとショーンとは、その入り口で待ち合わせることになった。どうやらこの二人、仮装パーティーと聞いてがぜん血が騒いだらしく、思わぬところで意気投合して張り切っているのだそうだ。家にいなかったのも、当日僕たちを驚かせたいからなんだよ、とコウが内緒話を漏らすような悪戯な瞳で教えてくれた。なんとも空恐ろしい。




 そして、肝心の赤毛は――。


「必ず来るよ。何時になるかは判らないけど。送ってもらったチケットメールはちゃんと渡してあるから大丈夫だよ」


 公園の入り口門から続く長いアプローチを歩きながら、コウはあっけらかんとしたようすで言っている。地面の上で揺らぐ木漏れ日の煌めきをじっと目で追いながら。奴のことを気にかけるよりも、こうして自然を感じられる場所にいることが嬉しくてたまらないみたいだ。

 以前は赤毛に対して過保護すぎるほどだったのに。いったいどんな心境の変化があったのだろうか、とかえって気にかかる。

 僕のいない間に奴に逢ったのだろうか、などと拭いきれない猜疑心がチクチクと胸を突いて。


「場所が分かりにくくないかな。それとも、前に来たことがあるの?」と、探りをいれてみる。コウは首を振って否定しながら、気楽な笑顔で応じてくれる。

「平気だよ。囚われていた火の精霊(サラマンダー)の能力を取り戻せたからさ、この街のことも世界の(ことわり)も、もう彼は僕よりずっと詳しいんだ。きみのおかげだよ、アル」

「知識が増したって意味で? じゃあ、精神年齢もあがったのかな?」

 論点の飛躍についていけず、つい零れ落ちてしまった僕の本音に、コウは吹きだし声をたてて笑いだす。

「精神年齢かぁ。あるのかなぁ、ドラコに精神って。性質はあると思うんだけどね、よく判らないよ」

 どう思う? と、逆に問い返すように僕を見あげる。



 コウの内面で認知されている赤毛と、現実を生きる、僕の知る赤毛にどれほどの乖離があるのか――。


 僕の知りたいのはまさしくこの点だ。けれど、またもやはぐらかされている気がする。

 コウにとっての奴は魔術師ではない。あくまでも火の精霊(サラマンダー)なのだ。コウを絶対的に支配し、従わざるを得ない神にも等しい法則でもある。火や水に精神はあるのか、と問われたところで答えようがないじゃないか。けれど、現実に存在する奴になら精神だってあるだろう。僕の知る赤毛は幼稚な子どもとしかいいようのない奴なのだ。だから、そう答えた。


「僕には、彼は唯物論的な反応だけでは説明できない感情や理念に基づいて、行動しているようにみえるよ」

「感情――、そうだね、確かに。自然って感情豊かだものね」


 コウは納得したように頷いている。いや、僕の方が納得できない。各々の感情を生みだすはずの精神が、コウの観点では切り離されているみたいじゃないか。

「コウにとっての自然って、」とそんな会話をしているうちに、アーチの連続する煉瓦造りの長い廊下(コリドー)が見えてきた。入口ではなく、先に施設の中庭へ向かった。円形の噴水を中心に低い鉄柵で4分割された庭では、奇抜な衣装を着た連中がすでに大勢集まって各々談笑している。


 遠目に、ベンチに腰かけているバニーが見えた。あれで仮装といえるのか、と思えるようなカジュアルなスーツを着ている。


「噴水前で待ち合わせてるんだ」


 すでに来ている、とは告げずにまず足を止めた。会場に着いたことで、コウが緊張で強張った気がしたのだ。彼の肩を抱き顔を寄せる。


「大丈夫だよ、きみもきっと彼を気に入る」

「うん。きみが信頼している方だものね」


 コウは瞳に力を込めて頷く。



 コウには僕の本当の意図は告げていない。また以前のように反発されるのだけは避けたかったのだ。

 アーノルドの看病で僕がいない間、大学生活を助けてくれる相談役として先輩を紹介したい、とだけ。大学が始まれば学部での人間関係もそれなりにできてくるだろうし、親しく付き合う友人も増えるだろう。実際、コウの社交下手は彼の人間性に基づくものではなく、赤毛という大きな秘密を抱える抑圧に起因するものだ。コウに現実感覚を取り戻してほしい反面、そうすることで起きるであろう反動や、付随してくる困った問題への対処を迅速に取れなければ、僕の方が心配で居ても立っても居られなくなる。頼りになる身近な相談相手がいるといないとでは、精神的な負担も違うものだよ、とそんなふうに説得したのだ。


 おまけに僕の妖精は、充分人を魅了するのにその自覚が欠片もないから、とまでは口にしなかったが――。



 僕と同じくマントの下に19世紀半ばのデザインだというフロックコートを着たコウを、頭のてっぺんから靴のつま先までもう一度チェックする。

 このままずっと見つめていたくなるほど、コウは綺麗だ。

 彼は、風の精霊(シルフ)なのだそうだ。光沢のある青灰色の生地で仕立てられた古風な衣装は、透明感のあるコウにとても似合っている。派手で悪目立ちする火の精霊(サラマンダー)でなくて本当に良かった。



「コウ、心配しないで。彼は穏やかで優しい人物だから」と、彼のこめかみに軽いキスを落とす。


 怯えているわけではないと思う。けれどやはり、コウは僕の友人に会うのを怖れているみたいだ。彼らに対して、以前話してくれたような根拠のない引け目をコウが感じてしまうのは、それこそ文化の違いに根差しているといえるのかもしれない。


 人は、文化的背景を共有する間柄であればより類似性を見いだし、共感を感じるものだから――。


 けれど、実際には感情は個に属するもので、共感していると自身が感じている感情は、空想の生みだした理解に基づく自分自身の感情だ。この現実世界で他者と感情を共有できると思うのは幻想にすぎない。



「アル――、愛してる」


 コウが背伸びして頬にキスを返してくれる。僕の背景ではなく僕自身を確認する。抱える不安を自分で処理するための儀式なのだろう。


「行こうか」

 

 バニーが見いだしてくれる、きみの知らないきみに逢いに――。


 


 

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