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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第一章
20/219

模様 2.

 バニーに言われたから、というわけではないけれど、久しぶりにカムデンのエディの店を訪れた。緑で縁取りされたドアを開けると、正面に飾られている大きく引き伸ばされた僕の全身像のパネルが視界に飛び込んでくる。ヘナとジャグアタトゥ、両方を組み合わせたエディの一番の力作。そして僕にとっても最高に思い出深いものとなった、羊歯(シダ)と極楽鳥のペイント――。



「アル! よく来てくれたね!」

 ぼんやりと見入っていると、エディが奥から顔を出して飛びついてきた。


「今シーズンのモチーフは何だっけ? どれくらいで仕上がる?」


 勝手知ったる店内を奥へと進み、施術室のラタンの肘掛け椅子に腰を下ろす。「はい。外、暑かっただろ?」と、エディが冷えたレモネードをくれた。


「どれがいい? イメージはねぇ、こんな感じ」

 さっそく渡されたスケッチブックをパラパラと繰る。


「これ」


 エディは意外そうに眉をあげている。「ほんとに?」と念を押して訊ねてくる。軽く頷いて、シャツのボタンを外しにかかる。

「ジャグアは時間が、」

「ヘナで描いて。早く仕上がる方がいい」

 考えるのが面倒で、投げやりに応えた。

「でも、この図案なら、」

「ヘナでこれ。それ以外は嫌」

 肩をすくめるエディを横目で見やり、服を全部脱ぎ捨てた。


「シャワーを使うよ」

「ヘナでいいなら、準備できてるからね!」


 今日は暑い。汗ばんでいる。不快感がまとわりついている。拭い落とせない。自分一人では――。




 軽くシャワーを浴びたら少しすっきりした。診察台みたいな細いベッドに俯せに横たわっていたら、視界に溢れる緑に、あっという間に意識が緩む。

 部屋を埋めつくす観葉植物は、きっとコウの気に入る。ここは、彼が丹念に世話をしているうちの浴室に似ている。常夏の緑の中で、小さな星たちが降り注ぎぶつかり合いながら流れているような、神秘的なシタールの音律に包まれ、眠気を誘われる。コウの淹れてくれる緑茶に似た香りと、わずかに混じるユーカリの香り。初めはこそばゆく感じていた塗料のひんやりとした感触も、エディの手のひらも、しっとりと肌に馴染み、心地良い――。




「アル――」

「ん」

「腰をあげて」

「もう描けたの?」

「アル――」


 ふわりとした微睡みから、無理やり意識を引き戻された。エディの手がまだ色を載せていない皮膚の上を、我慢しきれない様子で執拗に行ったり来たりしている。今さらながら、ぞくりと肌が応えている。


 せっかく気持ち良く眠れていたのに――。


 でも、僕にしてもそのつもりで来ているわけだから、言われるままにした。覚めきらない気怠さが全身に残っていたにもかかわらず、かえって感覚は鋭敏だった。急激に脳は痺れ、そして、とろりと蕩けていた――。



 初めは、汗をかくのは良くないんじゃないかと思っていたんだ。でも、躰を温めて毛穴をしっかり開かせる方が塗料の発色が良くなるのだそうだ。エディはプロなんだし、そのあたりは良く解っているのだろう。


 


 エディが満足したら、今度は表。背中ほど全面に描きはしない。半身を起こして彼の手が図案を描いていくさまを、ぼんやりと眺めていた。塗料が早く乾き過ぎないようにと、時々パッティングされるユーカリオイルのすっとした香りが、ぼやけた頭に一陣の風を吹き通す。


 残るは腕と脚。躰が冷えてくると、エディは空いている方の褐色の手で刺激してくる。細くて、しなやかな長い指。その繊細な指先で。その度に描く方の手も止まるから、予定以上に時間がかかった。





「やっぱりアルは、自分に似合うものが何かって、一番解ってるね。すごくいいよ」


 全身に描き終わったエディは、ため息をつきながら感嘆の声をあげる。描く前は、本当にこれにするのかと、煩く念押しして戸惑っていたくせに。もっとも、今まで僕が好んできたようなモチーフじゃないから、驚いただけなのかもしれないが。


「泊まっていく?」

「帰るよ。保護シートを貼って」

「泊まっていけばいいのに」


 首を横に振る。


「じゃ、明日、塗料を剥がしに来て」

「ん」

「撮影はその翌日に」

「ん」


 エディがもう一度僕にキスする。「解っていると思うけど、お風呂は駄目だよ」

「解ってる」


 こんなに時間を潰したんだ。僕だって綺麗に仕上げたいさ。


 



 

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