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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第四章
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夢の跡 5.

 さぁ、これからコウと愛を確かめあおうってときに、ノックの音に邪魔された。この見計らったようなタイミングは間違いなくショーンだ。仕方なく小さく吐息を漏らし、苦笑しながらコウと目と目を見合わせる。


「行ってくるよ。コウはゆっくり休んでいて」

「うん。また後で」


 頬にキスしてベッドを離れた。


 別に、ショーンをこの部屋へ入れるのが嫌という訳ではない。彼は実によくやってくれたのだから、僕だって感謝してるさ。けれど、目覚めたばかりでまだ体調の戻りきっていないコウへの、彼の過剰な過保護ぶりは目にあまる。ほとんど迷惑だといっていい。まだ安静にしていなければならないから、と彼には立ち入り禁止を言い渡した。コウに会わせるのは、リハビリがてら彼が部屋から出るときだけに限らせてもらった。もちろん僕の立会のもとで。





 ショーンにはすっかり馴染の場所となった書斎ではなく、サンルームでもう一度お茶を飲んだ。


 書斎はもう、ゆっくりできる場所ではなくなっている。

 スティーブが、この家の魔術関連の品物を処分してはどうか、と僕に意向を尋ねたからだ。彼は、精神障碍者であるアーノルドの財産管理人でもあるのだ。(アーノルド)は実家とは縁を切っているので、僕が唯一正統な相続人となる。僕はスティーブと話し合い、この館にある魔術関連の蔵書、道具類の一切を処分することに同意した。彼にとっても、僕にしても、そんなものは忌まわしいものでしかない。コウの意見も尋ねたけれど、彼は特に反対しなかった。「その方がいいと思う」とぽつりと呟いただけだった。成り行きから、それらは今回のお礼としてショーンに託すことになった。そんな訳で今、書斎はごった返している。ショーンが根こそぎ持っていくつもりで、喜び勇んで荷造りに励んでいるのだ。

 



 コウは、彼の蔵書にも魔術の道具類にもまったく興味を示さなかったのだ。そのことがどうも僕には解せない。つい先ほどまでの彼との会話をも反芻しながら、煩く喋っているショーンに視線を戻し、彼を遮って口を挟んだ。


「ショーン、やっぱりね、コウに何度尋ねたところで、赤毛に関することだけは、どうも話をはぐらかされる感じだよ。答えてくれないわけではないし、コウも意図的にそうしているとは思えないのに、いつの間にか煙に巻かれている。他のことではもっと整然と話してくれるのに――。まだ奴の暗示が生きているのかもしれない、と安心できないんだ」

「ああ、そうだろ! やっぱりきみもそう思うんだな! 俺が訊いたときもそんな感じだったんだ。確かに、心配だな」


 と、心を痛めているとは傍目からは到底みえない食欲でスコーンを貪り食いながら、ショーンは何度も頷いている。そんな彼の変化も、僕の不安の種なのだ。食欲旺盛なのは以前からだし、どこがどう変わった、というのでもないのだが――。


 彼もまた、境界を踏み越えてしまったらしい、という認識が僕のなかに波紋を生みだしているのだろう。お互い、わけの判らない世界を彷徨い帰ってきたところなのだ。どちらが先、などと比べるのは意味のないことだが、彼は、僕たちよりもこの館へ戻ってくるのは遅かった。



 あの日ショーンは、予定通り森のなかで儀式を執り行ったのだ。僕が考えたようにしくじった訳ではなかった。手順通りに粛々と儀式を進め、四大精霊の人形を火にくべて壊し、焚きあげた。異変が起こったのはその後だったそうだ。人形を燃やしていた薪の焔が、油でも巻いたかのようにいきなり大きく立ち昇り、辺りの樹々に燃え広まった。だが実際にはそんなことは起こっていない。ただそのとき彼にはそう見えたらしい。突然の惨状に慌てて儀式を中断し、コウを抱えてその場を離れた。戻る途中でスミスさんに出くわし、彼にコウを託して自分は火事を防ごうと取って返したのだそうだ。なまじ火事対策に消火器や水を詰めたタンクを用意しておいたことが仇になった。



 僕がスティーブとともにアーノルドを抱えて館に戻ったとき、煉瓦塀の外灯の下、仄かに照らされた樫の扉にコウがもたせかけられていた。駆け寄って、彼の息を確かめようと頬を上向けると、コウは目を開けて「アル」と呼んでくれたのだ。嬉しくて、堪らなくて、僕はそこにスティーブがいることも忘れて、コウにキスしていた。

 


 ショーンが戻ってきたのは、翌朝になってからだった。あの森のなかの空き地で眠っていたところを、朝一番に探索にでてくれていたスミスさんに発見されたらしい。山火事の痕跡も何もない周囲の様子に、狐に摘ままれた気分で山を下りてきたそうだ。


 無事戻ったと聞いて部屋から駆けでてきた僕に、「とんでもない経験をしてきたよ。きみに聴いてもらいたいのは山々なんだが、まだうまく話せそうな気がしない」といたって神妙な顔で言い、それきりそのままだ。ただその後、意識の戻ったコウには「妹に逢えたよ」と、気恥ずかしげに話していたそうだ。



 だからなのだろうか。一皮剥けたというか。彼の雰囲気が変わった。そしてコウに向ける彼の意識も変わったように感じる。僕はそろそろ本気でこいつを警戒しなければならないような気がするのだ。



 ともあれ、今はそれ以上に考えなければならないことが山とある。そして第一に僕が取り組まなければならないのは、やはりアーノルドの問題だということに、変わりはないのだから――。





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