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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第四章
166/219

虹のたもと 4.

 反射的にスティーブを押しのけていた。僕の瞳は彼越しにいるアーノルドを捉えていたのだ。

 彼はゆったりとした足取りで魔法陣の周囲を遠巻きに回っていた。霧がかかって彼の表情が良く見えない。けれど、その口許が笑っているように思えたのだ。とても喜んでいるかのように――。


 背筋が凍りつくようだった。


 コウを奪われた。なぜか、そんな気がしたのだ。彼に騙されたのだ、と――。




「コウを返してくれ!」


 思わず叫んでいた。何の根拠もないのに。僕の手を上から握って放さないスティーブをキャリーバッグごと振り払い、アーノルドに詰め寄っていた。


「コウをどこへやったんだ! コウを返せ!」


 彼のジャケットを掴んで、乱暴に揺さぶっていた。まじかで見た彼は、やはり薄笑を浮かべている。


「なにをそんなに興奮しているんだね、先生。そんなに慌てなくてもすぐに逢えるじゃないか」

「コウはどこにいるんだ!」


 腹の底から湧きあがる憎しみで、どうにかなってしまいそうだ。

 この男は、コウに何を仕掛けたんだ? コウは、ショーンはどうなったんだ?


 生きているのか――。


「二人はどこにいるんだ!」





「アーノルド!」


 背後にいたはずのスティーブの声が逆方向から聴こえ、思わず声の方へと振り向いた。


「やめろ!」


 ものすごい力で、(アーノルド)は、僕を突き飛ばした。


 まるでスローモーションのように、アーノルドの動きが緩慢に見えた。つんのめり、転がるように走っているのに。


 無理だ、間に合わない。


 僕も彼に釣られ、引き込まれるように、走りだしていた。



 魔法陣の外から、スティーブの手が、憎しみを込めて、振りかざされる。あの人形(アビー)を円の中心に叩きつけるために。


 

 僕は、アビーを助けようと――。

 地面に落ちる前に、彼女を受けとめようと――。




 カ、シャーンッ――!




 柔らかで、冷たい、肌の壊れる音が響く。

 それは何度も、何度も、繰り返し聴いたのと同じ音。




 飛び散る鮮血。艶やかに光る黒い棺。喪服の弔問客。泣き叫ぶ赤ん坊(ぼく)。白薔薇に囲まれ横たわる、動くことのない彼女(アビー)――。


 スティーブが、アーノルドの頬を拳で殴りつけていた。アンナが彼の背中に飛びついて止めようとしている。けれどスティーブはやめない。崩れそうな彼の胸倉を掴んだまま、罵り続けている。


「目を覚ませ! この子にどんな罪があるというんだ!」


 他の弔問客たちが割って入り、二人を引き離して宥める。



 (アーノルド)は、両手で顔を覆って泣いている。


 スティーブは、唇をきつく結んで顔を背けたまま。





 ぼうと浮きあがる鈍い光の円を踏み越えて、僕は泣き叫ぶ赤ん坊(ぼく)を拾いあげ胸に抱いた。


「母さん――」


 砕け散った顔、バラバラになった身体、ちぎれた手足は辛うじてゴムで残骸が繋がっているだけ。


 


 その光景を見ていた一瞬は、自分で感じたよりも、ずっと長いものだったのだろうか。



 いつしか夕闇は視界を保てないほど濃くなっていた。闇空に薄く棚引く霧が、閉ざされた夜に濃淡をつける。




 やがて頭上から光が射した。月が昇ったのだ。


 僕はなぜか不思議に思わなかった。頭上に、月があることを――。そして、月の指し示す白い道を辿っていった。


 何も、考えることも、何も、疑うこともなく――。



 


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