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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第一章
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規則 6.

 今晩の僕の夕食は、卵チャーハンと甘いソースのかかった肉団子だ。それに春巻き。ショーンも当然同じものを食べるのかと思ったら、夜食用にとっておくことにしたそうだ。そして、昨日コウが取り置いてあげた日本食を――、嬉々として食べている。


 一皿(ワン・プレート)上に、形良く、バランス良く、彩良く盛られた料理――。

 ああ、どう見てもあっちの方が旨そうだ。安っぽいプラスチックケースに入った出来合い(テイクアウェイ)なんかよりも。昨夜の残りもの、のようなものでも、コウは、気分良く食べられるように、と気づかっているのだ。彼はどこまでも利他的で優しい。買ってきたままテーブルにのせるこいつとは根底から違う。まぁ、きっと温め直してくれただけでも、彼としては上出来なのだろう。



 しょせんコウのいない食卓だ。どうだっていい。それより、このショーンの緩み切った顔のだらしないことといったら……。

「昨夜はミラのところに泊まったんだってね? 彼女も手料理でもてなしてくれるの?」

「まさか! 焼くだけの冷凍ラザニアだったよ。コウみたいなマメな奴なんてそうそういるもんじゃないよ」


 当然だ。


「あいつは見てるだけでほっとするよな。見るからに育ちがいい感じでさ。そのくせ高慢さなんて欠片もなくて、謙虚で。いい家に生まれたんだろうな、って思うよ」


 一瞬、彼の薄青の瞳に浮かんだ羨望の色。だがそれはすぐにぼんやりと霞み、それまでとは異なった好奇心に取って替わられる。


「今日はあの二人、ロンドン塔に行ってるんだったな。朝から出てるんだろ? 遅いよな。ほかにどこを回るんだろうな? ケルトの女王ブーディカの縁の地とかかな? きみは聴いてないのかい?」


 朝、寝耳に水で知らされるまで、出掛けることさえ知らなかったさ。仕方ない。「ああ、うん。特には」と曖昧に笑ってやり過ごす。


「ほら、きみがさっき尋ねた誓約(うけい)に似通った儀式をさ、女王ブーディカも行ったって史実にあるんだ。面白いよな。東洋と西洋――、文化の違いはあれど、こういうよく似た儀式形態があるってさ」

「誓約って、どんな?」


 ローマ帝国支配下のブリタニアで、王であった夫の死に乗じて王国を乗っ取ったローマの横暴な振舞いに奮起し、ケルトのイケニ族の女王ブーディカはケルト戦士を集めて反乱を起こした。


 この程度の知識は、ロンドンっ子(ロンドナー)なら誰でも知っている。だが、コウやショーンの興味の対象は、もちろんそんな歴史的事実ではないだろう。

 当然ショーンは、得意の話題を意気揚々として語ってくれた。



「ローマへの反撃の口火を切ろうってときにさ、女王は懐に忍ばせた野ウサギを放って、それが走り去った方向で吉凶を占う儀式を執り行ったんだ。そうやって古代ブリタニアの勝利の女神アンドラステへの祈りを捧げたんだよ。つまりさ、この誓約ってやつは、たんなる占いの意味だけじゃなくてさ、自らの決意の確固たるさまを神に確認する、特別な意味合いがあるんだ」


 はっ、とした。まさに霧が晴れるように。そうか、理解できたよ――。


「アル? どうかしたのかい?」


 黙り込んだまま、僕はあまりにも神妙な顔をしていたのだろう。ショーンが怪訝そうな瞳を向けている。「いや、」とおもむろに首を振る。そして、「何でもないよ。残念ながら、呪術に原始宗教――、僕には難解だな、と思ってね」と、わざと眉を寄せて肩をすくめてみせる。


「それより、きみ、お茶かコーヒーは?」


 もうとっくに食べ終わっていたのだ。食後のコーヒーには遅すぎるくらいだ。席を立って愛想笑いを浮かべる。「淹れてくるよ。これも規則の内なんだ。食事当番以外の者が、食後のお茶を準備するってね」





 キッチンで一人になり、ほっと息を継いだ。


 赤毛の言っていた誓約とは、あの時の、コウと僕の誓いのことだ。永遠に互いを愛するという――。これが叶うかどうかを神、ではなく四大精霊に問いかけた。恐らくはそういうことだ。


 吉とでるか、凶とでるか判らない呪術的な誓い。だから、コウを裏切るな、とあの赤毛は言いたかったに違いない。


 言われるまでもなく、僕はコウを裏切ったりしない。バニーに頼るのだって、コウのためだ。あの赤毛の存在が疾風のように巻き上げ混乱の中から引き摺り出すこのどうしようもなく狂おしい嫉妬で、コウを傷つけることなどないように――。彼はそのための防波堤だ。



 ピ――、とやかんが甲高い悲鳴のような音で鳴いて。


 びくりと肩が跳ねていた。深く息をついて、コーヒーを淹れる用意にかかる。


 何がこんなにショックなのだろう? あの赤毛が、僕たちの誓いの内容を知っていたことが? コウが彼に話したという事実が? こんな話をしなければならないような関係性が、彼らにあったのではないか、という疑念が――。だが、赤毛はこうも言っていたではないか。


 ――今に必ずこの呪を解いてやるからな、と。


 これは奴の嫉妬心からの言葉だ。これこそが、コウの心が僕にある証拠ではないか――。


 一年もの間コウを打っ棄り好き勝手していた奴が、今さら何を言うか! 僕はいくらでも受けて立ってやるさ!






ブリタニア…… イギリス、特に古代ローマの属州「ブリタンニア」があったグレートブリテン島南部の古称(ラテン語名)である (ウィキペディアより)

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