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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第四章
159/219

儀式 5.

 一頻りショーンの話を聴き、様式うんぬん以上に、知識としての魔術でしかなかった儀式を現実で実践しなければならないことの未知こそが、きみを脅かしている不安なのではないか、と対処可能な問題にすり替えて話してみた。本人にも対応しやすい不安に焦点を当て直してみたのだ。


 対処法として、予定通り準備を進め、午後からリハーサルを行う提案をした。経験したことのないことを乏しい想像力であれこれ思い描くから、現実感が伴わず不安ばかりが増大する。その裏には、自分よりも優れているはずのコウでさえ失敗したのに自分が上手くやれるわけがない、との引け目さえもが見え隠れしている。


 ことの成り行きは僕の責任のうえにある、と言ったところでこれなのだ。コウを握りしめて離したくないのは彼も同じだ。ともあれもう僕たちには後がない。手っ取り早くこんな不安は取り払い、ショーンには自覚をもって本番に挑んでもらわなければ――。そのためには、不安を喚起させる儀式を事前に体験し、対処能力の自己評価を上げておくのが有効だろう。



 この提案に、彼はそれもそうだな、とあっさりと頷いた。こんなごく当たり前の手順を思いつかなかったことに、かえって驚いていたほどだ。納得を得て書斎へ取って返す彼を、「じゃ、また後で」と僕は微笑んで見送った。

 

 そして手許に残してもらったノートの翻訳とショーンの見解をまとめたレポートを、じっくりと読んだ。


 コウの精神的外傷(トラウマ)――。


 ずっと引っ掛かっていたのだ。彼の恐怖は、自身が火事を起こしかけたということに、本当に由来するのか。コウは僕にはそう説明したけれど、そんな体験をした割りに、彼は火を恐れないのだ。エリックの店での赤毛の悪戯にせよ、親が子どもを叱るように怒ってはいたけれど、焔自体や、火事を起こす可能性を恐れていたわけではなかった。むしろ彼は、赤毛の操る焔の奇術を喜んで見ていさえしたのだ。


 ハムステッドヒースでの儀式は、火の精霊(サラマンダー)を召喚し、人形にその力を閉じこめ使役するもの――。

 ショーンの解釈によると、召喚した精霊は魔術師本人が器となって憑依一体化し、目的を負った対象物に精霊の力を注ぎこむ。つまり、精霊の人形は精霊そのものを憑依させたものではなく、その力の象徴物だということになる。

 儀式終了時に同じ魔法陣上で、この象徴物は破壊する。願望成就と精霊の力の返還。原初回帰の成立。


 ――祈りながら汝自身を燃えあがらせよ


 アーノルド自身の言葉なのか、どこかからの引用なのか、英語、と添え書きがある。


 コウの火焔の入れ墨(タトゥー)が脳裏に浮かんだ。不安を喚起させる場面にあえて直面させるエクスポージャー法としての火焔。コウの不安は本当に僕のトリスケルが引き起こしたものだったのだろうか?


 コウの恐れながら惹かれるものは、赤毛なのではないか――。


 一番引き当てたくなかった答えを拾いあげ、つい苦笑が零れ落ちた。横恋慕しているのはどっちなのだ――。僕にはもう、どんな確信もない。



 ふっと、地面がなくなるような錯覚に囚われる。コウを喪うということは、僕にとってそういうことなのだ。


 僕を支える腕。

 僕を彩る世界。

 僕の生かす、愛。それが、きみ。


 きみを喪うことになったら、僕は、太陽がなければ輝くことのない月のような、虚空に浮かぶただの土くれになる。

 僕を内側から燃やし、循環させる焔のようなきみ。



 焔――。ハムステッドヒースでの儀式で、きみは何を望んだの? 


 そして、魔術師はどちらだったのだろう――。赤毛か、コウか――。



 僕のトリスケルから身を守るために刻まれた、とコウは言った。焔の入れ墨(タトゥー)。僕はショーンにこの入れ墨のことは話していない。僕のトリスケルのことも。コウの意識障害には関係ないと思っていたのだ。

 だが、火の精霊を召喚したというハムステッドヒースでの儀式が、いまだにコウのうえに何らかの影響を及ぼしていると考える方が妥当だと思えるのだ。そして、その儀式と係わっているとしか思えない、赤毛の、そしてコウの入れ墨(タトゥー)


 焔を操る赤毛。火焔の入れ墨。空を焼く黄昏時――。


 コウは焔を恐れない。

 それならば、儀式の失敗は、コウのうえにどんな傷を刻んだのだろう?



 ――現象としての火を身体に呑みこむってことだよ。それを内観するってさ、ちょっと俺には想像できないよ。



 僕のなかでは、これから起きることへの不安よりも不可解さの方が勝っていた。コウの抱える魔術的世界というものが、僕にはいまだ見通すことができないのだから。

 




 

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