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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第一章
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規則 5.

「安心したよ」

 だが、思いがけなくショーンが口にしたのは、そんな言葉だった。


「きみは、その、いろいろと奔放な方だし、あの女――、彼女は、まぁここの大家なわけで、この家にはそんな規則(ルール)なんてなくて、コウ一人に負担がかかってるんじゃないか、って気になってたんだ。はは、考えてみりゃ、そりゃそうだよな。きみが気づかないわけないよな」


 心から安堵したように、ショーンは大きく吐息を漏らす。だがその表情は、納得のいかない憂いに沈んだままだ。この違和感、どういうつもりで言っているのか、と僕の方がもどかしい。


「それよりも、ほら、あの話。コウに訊いてくれたかい?」


 探るように彼は僕を一瞥した。どうやら彼の気掛かりは、研究所で話したあのことだ。


「きみの深読みし過ぎだ」


 コウは僕にそんな話はしないもの。事実のはずがない。


「コウに確かめてくれたのかい?」


 答えられない。考えることさえ嫌だった。この沈黙と、表情にでているに違いない不愉快な感情をショーンは汲み取ったようだった。さっきとは意味の違うため息を漏らしている。他人の思惑には無頓着な彼でも、自分の思惑に反することには、気が回るらしい。


「彼が帰ってきたら、話をするよ。父の人形が絡んだ話なら、僕にとってもまったく無関係というわけでもないしね。力になれることがあるかもしれない」


 コウの口から僕に告げてくれない話になんて、本当は、まったく関わりたくなんてない。――コウは、僕の父やその病に触れる話題だから、あえて避けているのかもしれないのだから。でもこれ以上赤毛に好き勝手させるわけにもいかない。ショーンの危惧も不安も、理解できないわけじゃない。


 仕方なく苦笑とともに告げた約束に、ショーンは今度こそほっとしたように顔を緩めた。そんなに気になるのなら自分で尋ねればいいのに。だが赤毛の絡む話題を、彼は、傍からみて奇妙なほどコウに問い質すことを避けている。コウが自発的に話す分にはごく普通に自分の見解を語っているにかかわらずだ。それにけして、赤毛自身と会話することを避けているわけでもないのに――。


 ショーンにとっての赤毛の存在は、どこか慎重に扱わなければならない禁忌(タブー)のように見てとれた。これこそ、僕の印象に過ぎないかもしれないのだが――。



「これに目を通しておいてくれる?」


 昨夜のうちにまとめておいたシェアルールの契約書をショーンに手渡した。だが彼は取り立てて興味もなさそうに、ローテーブルに置いた。


「サインが欲しいんだ」

「サイン?」

「いちおう、契約書だからね」


 なんとまあ、彼はパラパラと紙面をくって、まともに読みもせずに最後のページの契約欄にサインした。


「互いのプライバシーを尊重して、同居人のことをむやみに外で喋らない。友人を家に連れてこない――。そういえば、これは以前、コウに聴いたよ。彼女が怒ったのはだからか。悪いな、忘れてたんだ」


 目に留まった箇所を読みあげ、ショーンは納得した様子で頷いている。やたら警戒心が強いくせに、一度信じた相手はまったく疑おうとしない。この単純な善良さが、コウと馬が合うところなのかもしれない。だが往々にして、純粋さが良い結果を生むわけではない。コウにあって、ショーンに足りないものは、慎重さなのだろう。




「ところでショーン、ウケイって何のことか解るかな? 多分、魔術か民俗学用語で、日本語だと思う――」

「ああ、占いの一種だよ! ちょうどそのテーマでコウと話してたんだ!」


 契約書を片づけて話題を切り替えると、ショーンは嬉々として喋り始めた。お得意のテーマだからな。普段なら御免こうむるところだが、時には彼の知識も役立ってくれる。


 ウケイ――。

 誓約(うけい)とは、端的に言うと、古代日本で行われた神意を問う占いなのだそうだ。


 あの時の赤毛の言い分から察するに、コウは僕に関することで、この誓約(うけい)という占いを行った。それは赤毛としては、面白くないことらしい。コウはいったい何を占って、あんなにも赤毛を苛立たせたのだろう――。

 占い、といわれても、まるで思いつかない。赤毛に脅迫された、などとコウに告げるわけにもいかないし、好奇心まるだしの眼前のこの男に一から十まで喋るわけにもいかない。


 ただ、僕のことでコウがあの赤毛の思惑に逆らっているらしいという事実が、僕に言い知れない高揚感をもたらしてくれたのは確かだった。





「そろそろ食事にしようか。続きは食べながら聴かせてもらうよ」


 浴びせられる言葉のシャワー。そのわずかな切れ間に、ようやく口を挟む。


「すぐに温めてくるよ。中華総菜を買ってるんだ」

「ああ、いいね」


 軽く頷くと、ショーンは足取りも軽くキッチンへと向かった。




 疲れる――。自分からだした話題とはいえ。


 古代宗教における神がかりの儀式での集団ヒステリー的トランス状態なんて、症例としては興味深いが――。やはり僕の理解には遠い、としか言いようがないじゃないか。







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