彼岸 6.
ショーンが黙り込んでしまったので、僕も手持ち無沙汰からぼんやりしていた。そのうち彼は、机の上に置かれている本の山から一冊を手にとりページを繰り始めた。会話は途切れたまま、何もかもが中途半端なまま、時間ばかりが過ぎていく。放りだされた沈黙のなかで、行くあても帰るあてもなく、時の狭間に漂うまま。
僕の帰るたったひとつの場所が、目を閉じたまま僕を拒否しているから。
コウ――。
――きみが、僕の還る大地なんだ。
きみの言葉の一つ一つを、どうして僕はもっと大切に聴いてこなかったんだろう。赤毛のアパートメントで今とよく似た眠りの中にいたきみを見つけたとき、目を開けて一番にきみはそう言ってくれたのに。
ショーンとの旅行の話をしてくれた時も――。
――彼岸から此岸へと白く伸びる一本の道。この道を見たとき、僕は不覚にも泣いてしまったんだ。この道はきみにつながっている。僕の帰る場所はきみのいるここなんだって、実感したんだよ。
その旅行で最も感動したという小さなタイダル・アイランド。この島がとても良かったときみが言ったから、僕は、この夏の旅行は島へ行こうと決めたのに――。現実はこんな山の中で、きみの心はいまだに還ってきてくれない。
――この島は、コーンウォール語で『森の中の白い石』っていうんだよ。
え――?
楽しそうに話していたコウが可愛くて、内容はほとんど真面目に聴いていなかったのだ。それなのに突然、海の中の漂流物がぷかりと波間に顔を出すように、その時の会話が、そしてコウのいた仄白く輝く妖精の環が意識に浮かんでいた。
「ショーン」
互いに思い思いに思索に耽って、存在すら忘れかけていた彼を見遣る。「ん?」と彼は手にした文献から顔をあげた。
「セント・マイケルズ・マウント。きみ、春にコウと旅行に行っただろ?」
「ああ――」
「僕の記憶違いでなければ、あの島はコーンウォール語で、『森の中の白い石』って呼ばれているんだって?」
ショーンが「あ!」っと小さく息を呑んだ。
「そうか――。全然結びつかなかったよ! あそこは、レイライン始まりの地だもんな、異界の入り口として相応しい聖地だな!」
聖地――。
「じゃあ、あの妖精の環のあった森も聖地なの?」
僕の質問に、ショーンはきょとんと変な顔をした。だがすぐにわずかに眉をよせると、じっと頭の中の何かを探しているように眼球を動かし始める。
「その発想は思いつかなかったよ。そうか、レイライン! となるとキャッスルリッグ・ストーンサークルか――」
ショーンはブツブツと呟きながら、床の上に投げ散らかしていた黄ばんだ紙の束をバサバサと音を立てて漁り始める。彼の頭はこういったものに学術的価値は見出しても、美術的価値を見ることはないのだろうな――、とそのがさつな扱いに溜め息が漏れる。
そして僕はまた取り残されて――。なんとなく窓辺によって庭を見おろした。強い陽射しに歯向かうように輝く白い氷山。その花群のなかを、彼がうろうろと歩き回っている。
「そういえば、あれから彼に逢った?」
「ん?」
床にしゃがみこんだままだったショーンは、手にしていた古い図版から顔をあげて僕の方へと目を向け、継いで僕を通り越して窓全体を見た。
「ああ、きみの親父さんか? うん、ときどきひょこっと覗いてくれる。しばらく仕事で忙しないから相手できないけど、成果を期待してるって言われたよ」
「申し訳ない――。まったく、どうしてあんなことを口走ったのか自分でも判らないんだ」
彼のノート、儀式の詳細の書かれた――。
儀式。ハムステッドヒース。ブーティカの塚。焼けた塚――、失敗。
「なんだか、変じゃないか?」
「唐突だな、何か気になることがあったのか?」
「彼だよ。なんでノートが必要なんだろう? 前にも話した通り、僕の推論では、彼はなんらかの儀式を用いてコウを内的世界に完全に取り込んで、自分にも見える自分たちの子どもにすることを目論んでいる、と思っているんだ」
ショーンは神妙に頷く。
「でも、彼は魔術師たちに貰った本は最初の儀式で燃やしてしまった、って言ったんだろ? そしてノートはその内容を書き写したものだって。でも、アビーの人形を用いて異界の扉を開く儀式は、彼女が亡くなる直前に行われたものだよ。おかしいだろ?」
「そうか? 一度目の儀式は精霊召喚と恋の成就。二度目の儀式が精霊召喚、そして異界の扉を開き魂を隠す儀式だよな? どっちもその魔導書に載ってたんじゃないのか?」
「精霊召喚の儀式は、日記にも記載されていないんだよ。一度目も、二度目も」
「つまり?」
「彼が本当に欲しいのは、異界の扉を開く儀式じゃなくて、召喚の儀式に関することなんじゃないかな」
「確かにそうかもしれないけど、」
「彼は自分では儀式を仕切れないんだ。そのために魔術師たちを呼びだしたいのだと思う」
「どうやって? 儀式を執り行ったって魔法陣から魔術師が湧いてでるわけじゃないだろ!」
「スミス夫人だよ。精霊を呼びだす儀式を執り行うことで、彼女が魔術師との仲介をするんじゃないかな? コウは違うって言っていたけれど、これだけ共通項があるんだ。赤毛と魔術師たちが無関係のはずがない。彼と赤毛が同じ魔法陣を使っていることにも説明がつくと思うんだ」
ショーンはひどく緊張した面持ちで頷き、立ちあがった。「一考の価値はあると思う。そうなると、彼が今作っている人形ってヤツが気になるな」と、僕の横にきて庭を覗きおろす。それから、いきなり思いだしたように僕の方を振り向いた。
「そういえば、きみ、腹減ってないのか? きみが倒れてる間に俺は一人で昼飯食っちまったぞ。夫人に何か作ってもらえよ」
気遣って言ってくれているのか、別に意図があるのか。それとも彼自身が空腹なのか――。
そんなよく判らない調子で、ショーンはいきなりこの話を打ち切った。
 




