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夏の扉を開けるとき  作者: 萩尾雅縁
第四章
140/219

彼岸 2.

 その後もショーンとは彼の発見に関する話題を続けていたのだが、もうほとんど聞いていなかった。けれど、僕は眼前に座るこの男のことを考えていたので、彼にしたところで文句はなかったと思う。

 ショーンのお喋りは自慰行為(マスターベーション)と大差ない。放出するためだけのものだから。それでも相手がいるといないとでは、快楽に多少の誤差がでるのだろう。時々、彼を刺激する質問を挿んでやるといい。それで事足りる。

 そもそも僕には魔術的見解など皆無に等しいのだから、彼にしても意見を求めているわけではないし、知的な会話を期待しているわけでもない。この場面での彼は、自分の好きにできるかどうか、僕の承認を求めているにすぎない。


 そんなことよりも、彼が食べものに頓着する男だと思ったことがなかった、という僕の認識の方が問題だった。実際のところ間違っているとは思わない。一緒に暮らして知る限り、チェーン店の持ち帰り(テイクアウェイ)かオーブンで焼くだけの冷蔵惣菜が彼の胃袋に放りこまれる食事だったのだ。

 だから彼の、白薔薇のジャムの独自性などという繊細な舌を持ってでもいるような発言が、ことさら意外で仕方がなかった。


 それは、僕のなかに一つの疑念を生じさせたのだ。



「それできみは、あのキノコの円環(リング)を作ったのは誰だと思ってるの?」


 唐突に、そして脈絡もなく繰りだされた僕の質問に、ショーンは絶句したように唇を結んだ。


「ああ、うん。スミスさんか、奥さんの方か、それとも、その親戚か知り合いの誰かか――」

「親戚?」

「ほら、前に言っただろ。黒髪の美女がいたって。ここに住んでいるんじゃなくてもさ、若い子が手伝いにきてるんじゃないのか? 彼には内緒でさ。よそ者がこの館に来るのは嫌がるんだろ? だからこっそりとさ」

「僕にも秘密で?」

「隠す必要もないだろうけど、家事の手伝いなんて、わざわざ言う必要もないんじゃないか。洗濯物を預けたり、食材を届けてもらったり、家のなかに入れることは少ないかもしれないしさ。だから言っただろ。この家、変だって。老夫婦二人で切り盛りしてるにしちゃ、行き届き過ぎてるんだよ。あの書斎なんて、あれだけ繊細な骨董品があちこちに分散して置かれてるのに、埃ひとつないんだぜ! そのくせ食事は時間のかかる凝った手作りだ!」


「きみがこんなに細やかな神経の持ち主だなんて――、僕の目は思っていたよりも節穴だったんだな」


 さすがに自分を顧みたよ。僕はそんなことを気にしたこともなかったのだ。


「それに書斎の窓から庭が見えるんだけどさ、スミスさんが働いてるところなんて、目にしたことないぞ。俺だってまだ数日いるだけなんだし、たまたまかもしれないけどさ。まるで小人の靴屋だろ?」

「小人の靴屋?」

「寝てる間に仕事してくれるヤツがいるってことだよ」


 さすがにここで妖精が家事や庭仕事を切り盛りしているに違いない、とは言わなかったのは、彼にしても昨夜の話を反省してのことだろう。あるいは、冷静になって自分の感じた奇妙さを現実的に検討するだけの理性を取り戻したのか。その方が僕としては有難い。妖精が相手では、進む話も進まなくなる。


「僕もね、ちょうどきみの指摘してくれたことに重なるかもしれない問題に、気づいたところなんだ」


 内緒話をするように声を低めて、上目遣いにショーンを見つめて顔を近づける。彼は近づいた分だけ後ろに反り返るように身体を引いた。怪訝な思いで見遣ると、すっと目を逸らされた。


「やめてくれよ、アル――」

「何を?」

「ちゃんと聞こえるからさ、えっと、ほら、食べづらいんだ」

「ああ――、ごめん」


 つい身を乗りだしていたからか。


 僕が身体を起こすと、ショーンはトーストラックからもう冷えてしまっているトーストを一枚取って、自分の皿へ載せた。

 本当によく食べるな――、と呆れながら、ともかく僕は自分の抱いていた疑問を彼に話した。少し込み入った話でもあったので、一通り話し終える頃には、ラックに残っていた数枚のトーストはすべて消え、彼は今度こそ皿をすっかり空にしていた。


 手持ち無沙汰からか、ショーンはテーブルに肘をつき、手を組んだり外したりの手悪さをして落ち着かない。そう、ロンドンでの普段の彼に戻っている。彼は僕といるときはいつもこうだ。この館に来てからの彼がいかに緊張していたかが、逆によく解る。


「アル、試しにカマをかけてみるかい?」

「どうやって?」


 彼は眼球だけを動かして、辺りに目を配る。それからぐいと僕に顔を寄せて声を落とした。





「早速、試してこようか?」

「僕がする。きみは書斎で待っていて。僕の方が効果があると思う。僕は彼女(アビー)の息子だからね」


 ショーンの顔がすっと離れる。互いに顔を見合わせた。つい、頬が緩んでしまう。彼にしても、僕にしても、実に馬鹿馬鹿しいアイデアだな、と思っているのだ。だからこそ、やってみる価値があるのかもしれない、と。


 御伽噺の世界は逆説的だ。馬鹿馬鹿しいことにこそ意味がある。僕の知る現実世界での規則通りには働かない。


 早く辿りつきたければ遠回りをすること。


 それが僕たちの見つけた、コウの隠れている扉を開くための一つめの鍵だった。





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